矢臼別

2012年12月30日 (日)

自衛隊のオスプレイ導入に反対!

在日米軍のオスプレイ配備が検討されていた頃から懸念していましたが、やはり自衛隊がオスプレイを導入したいと言い出したようです。東京新聞の本日(12/30)付一面トップ記事からご紹介します。

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事故も多いV-22オスプレイ。それどころか航続距離が伸び、侵略型の装備といっても過言ではありません。日本国憲法と相容れません。導入は断固反対。調査・研究費も予算措置すべきではありません。防衛省はオスプレイ導入を諦めてください。

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2010年8月23日 (月)

北海道全体が演習場に:北部方面隊、総合戦闘力演習が始まる(~9月14日)

陸上自衛隊北部方面隊の総合戦闘力演習という大規模・長期間の演習が今日8月23日始まりました。以下は産経新聞からの記事紹介です。

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「最大限の能力を発揮」 陸自北部方面隊の総合戦闘力演習がスタート

2010.8.23 11:53

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訓練開始式で訓示を述べる千葉徳次郎北部方面総監=23日、北海道千歳市の北海道大演習場東千歳地区第2滑走路(藤井克郎撮影)

 陸上自衛隊で最大の方面隊である北部方面隊(北海道)の総合戦闘力演習が23日、北海道千歳市の北海道大演習場などで始まった。午前10時半からは、東千歳駐屯地の第2滑走路で訓練開始式が行われ、千葉徳次郎・北部方面総監は「相好戦闘能力をいかに最大限発揮するかが重要」と演習の意義を強調した。

 この演習は、北部方面隊が平成18年度から5カ年計画で行っているもので、今年度が最終年の総仕上げとなる。演習名は「玄武2010」と命名され、陣地などを構築する「防衛作戦準備」と、防勢によって敵を阻止した体制から攻勢作戦に転移する「攻勢作戦」の2つの場面で実施する。北部方面隊の第2師団、第7師団、第11旅団など約1万5千人の隊員、約120両の戦車、約40門の野戦砲、約50機の航空機が参加。北海道大演習場のほか、別海町の矢臼別演習場、上富良野町の上富良野演習場などで繰り広げられる。

 演習に先立って行われた訓練開始式には、北海道大演習場に約4千人、矢臼別厰(しょう)舎(しゃ)ヘリポートに約2千人の隊員が出席。千葉総監の「やるべきことをやる、という一言に尽きる」との激励に、真剣な表情で聞き入っていた。

 演習は9月5日まで「防衛作戦準備」、同11日から14日まで「攻勢作戦」が実施される。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100823/plc1008231157007-n1.htm

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で、どんな演習か?というと自衛隊作成のビデオがあったのでご紹介します。なんとなくわかるような、わからないような?

どうです?わかりましたか?

んでもって、山田思うには正規の演習自体は23日からスタートですが、既に数日前から事実上始まっているんだと思います。というのも、演習の舞台となる各演習場にむけて数日前から大規模な移動がはじまっています。昼夜問わない移動で、例えば21日には「名寄方面から旭川方面に向って20台以上の自衛隊車列が移動していた」との報告もきています。17日には旭川駐屯地から夜に出発する第2特科連隊所属の99式自走155mmりゅう弾砲(トレーラーに積載)を2台見かけたとの写真付レポートも届いています。

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■99式自走155mmりゅう弾砲を積んだトレーラー

こうなってくるとまさに、全道が演習地域だなーと思うわけです。ただ実際の演習の場面場面は全て演習場のなかで行われるのでしょう。千歳市の公式サイトによれば、9月11-14日に実弾射撃が集中して行われるようです(記事中の「攻勢作戦」なんですね)。

上富良野演習場はどうなんでしょうか?旭川市内から上富良野演習場を眺められる(という噂の)石狩川に架かる旭川大橋で眺めてみることにしましょうか。

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2009年4月21日 (火)

訃報:川瀬氾二さん

根室管内別海町など4町にまたがる陸上自衛隊矢臼別演習場内に住み続け、移転を拒否し自分らしく生き続けられた川瀬牧場主の川瀬氾二(かわせ・はんじ)さんが2009年4月20日午前6時1分、入院先の釧路市内の病院で亡くなられました。82歳とのこと。

Photo ■在りし日の川瀬さん

岐阜県出身の川瀬さんは1952年に原野だった矢臼別へ入植。苦労して開墾してこられたそうです。1962年に矢臼別原野の開発計画が撤回され、演習場設置が諮問されました。同年、反対共闘会議設置。翌63年供用開始。64年用地買取交渉すすむなか川瀬さんら2氏が拒否。65年第1回平和盆踊り。68年矢臼別平和委員会結成。97年米海兵隊移転訓練開始。2005年イラク派遣差し止め請求訴訟(箕輪訴訟)の原告に加わる。07年「平和会館」完成。08年脳出血で手術。療養生活に入る。以上、矢臼別と川瀬さんの関わりをパンフレット『演習場のどまん中から・第9集・08-09年矢臼別の四季』(発行:矢臼別平和委員会)の「略年表」から抜粋しましたが、とても書ききれないドラマやたたかいが記録されています。

平和運動の大先輩の川瀬さん。苦労して開墾した大切な大地に住み続けたい。その思いから買取を拒否され、反戦地主と言われながら自然体でコツコツと人生をすすめられた川瀬さん。その姿から、私たちが学び受け継ぐべきものはたくさんありすぎて…。川瀬さんの人生とたたかいに思いをいたし、遺志を受け継ぐべくさらに歩みをすすめる所存です。自然体で、コツコツと。

川瀬氾二さんのご冥福をお祈りします。今頃は、先だって亡くなられた盟友ともいうべきアレン・ネルソンさんと彼の地で再会されているでしょうか。

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