「3・1ビキニデー旭川集会」に参加して
2008年2月14日に開催された「3・1ビキニデー旭川集会」には、会場いっぱいの参加者で熱気溢れました。集会では元第五福竜丸乗員の大石又七さんが講演され、核兵器廃絶への決意を改めて確認しあう場となりました。主催は原水爆禁止道北協議会(道北原水協)。以下に、当会から参加したAさんのレポートをご紹介します。
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2月14日、講師に第五福竜丸乗務員の大石又七氏を迎えて「3・1ビキニデー旭川集会」が開かれました。会場には40人弱の方が集まりました。
講演で大石氏が第五福竜丸に乗船していて被爆したのは20歳のとき、終戦から9年ということで、戦時中の情報がなく、広島、長崎に「ピカドン」という爆弾が落とされたことは知っていましたが、それがどのような爆弾かは知らず、実験の光や音も最初は自然災害と思っていたそうです。
敗戦で小さくなっていた政府は「アメリカの核実験に賛成で協力する」などと国会で答弁し、9ヶ月でアメリカと政治決着を結んで事件にふたをしてしまい、後から色々な情報が出てきているそうです。
大石氏自身もガンを発病し、また最初の子どもが死産で奇形児だったことから、体験談を語るようになったそうです。現在、第五福竜丸の乗組員23人のうち12人がなくなり11人が生存していますが、体験談を語っているのは大石氏だけだそうです。
大石氏は「若い方に知ってもらいたい」と・・・ビキニ事件が忘れ去られようとしている今、この事件のことを後世の人にも伝えなければならないと思います。
(レポート:旭川平和委員会会員M・A)





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