沖縄問題

2008年3月28日 (金)

辺野古の有刺鉄線に巻かれたピース・リボンが焼かれる

ニュース紹介です。2008年3月27日付琉球新報のウェブニュースから「無残『平和のリボン』焼かれる-名護・辺野古」から転載します。

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無残「平和のリボン」焼かれる 名護・辺野古2008年3月27日

Img47eb465c03280 【名護】名護市辺野古の浜に設置されたキャンプ・シュワブを囲む有刺鉄線に結ばれた「平和のリボン」が27日朝、焼かれているのが分かった。
リボンには、キャンプ・シュワブへの普天間飛行場代替施設建設反対を訴えるメッセージが書かれ、500本以上結ばれていたが、ほとんどが焼かれている。
代替施設建設に反対し辺野古で座り込みを続け、現在も海外や全国から届くリボンを結び付けている篠原孝子さんは「基地を造ってほしくないという平和の気持ちを踏みにじっている。暴力的なやり方に憤りを感じる」と表情をこわばらせた。
篠原さんによると、26日夕方は、焼かれていなかった。【琉球新報より】

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■上の写真は山田が2007年8月に同所を訪ねた際に撮影した有刺鉄線とピース・リボン

法的には日米安保条約等関連法規に基づき設置されたキャンプ・シュワブと民有地の境目に米軍が設置した有刺鉄線に、勝手にピース・リボンを巻きつけたことになるわけで、政府や米軍はいいたいこともあるでしょうが、そもそも漁民達の生活の場である辺野古の海に民意など関係なしに基地をつくり居座っているのは米軍であり、それを許容しているのは自民・公明連立の福田政権です。その上で、「取り外す」のではなく「焼く」ことに現れている、日本の人々に対する敵意が許せません。何が「同盟国」なのだろうか。

もちろん記事でも、この事実を紹介している平和ブログでも、犯行が誰によって行われたかには言及していない。ある平和ブログでは米軍による監視カメラの存在を知らない第三者による犯行についても言及されています。しかし、その場(犯行時点)で捕まっていないことを考慮しても(第三者が米軍施設に火をつけたらどうなるでしょうか。その場で大変なことになりますよ)、米軍の監視カメラに映ってピース・リボンに火をつけて平気なのは、米軍自身ではないのかと・・・。あくまで推測です。

それにしても今回の事例は、辺野古を訪ね、ピース・リボンに平和の願いを託した全国の人々を震え立ち上がらせることでしょう。やはり、米軍基地は撤去しかない!

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2008年3月18日 (火)

2008年の「3・8国際女性デー旭川集会」に参加して

3・8国際女性デー旭川集会2008/なくそう!格差と貧困輝かせよう!世界の宝・憲法9条/2008.3.8(土)/主催 2008年実行委員会

Dscf1474 毎年旭川市長から祝電が届いていたそうなのですが、今年は届きませんでした。例年と会場が違ったので手違いがあったのか、故意なのか、気になるところです。集会の終わりに、沖縄の「米兵の女子中学生暴行に抗議し、日米地位協定の抜本的見直しを求める決議」が採択されました。

講演 「沖縄戦と教科書検定」

講師 河合剛俊さん(歴史教育者協議会会員。元高校教諭

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1、集団自決体験者の証言

冒頭で集団自決体験者の証言のドキュメンタリー映像が流されました。日本軍に殺害された集落の生き残りの方の証言です。

・当時3歳の女性「集団自決の際、母親の陰に隠れていて助かった。こっそり逃げていく人がいたのをみて、兄とともに逃げた。」

「山中に逃げ延び、米軍の配給などで暮らしていると、日本兵がやってきて、俺たちだってろくなものたべてないのに、どうしてお前たちがこんないいもの食べているんだといって、父親を連れて行き、日の丸だといって膝の皮を丸くくり抜かれて帰ってきた。」

この方が体験を語り始めたのはごく最近で「このままでは事実が消え去ってしまう」と感じ、自分が体験者であると名乗り出たそうです。

・当時28歳の女性。家族を5人殺された。夜中に日本兵が10人ほど家に押し入ってきて、まず集落の男性が全て連れて行かれた。連れて行かれるときに、殺されると感じた。そのあと、残っていた女性と子供が海岸に一列に並べられ、向かい合った日本兵の手から手榴弾が投げた。自分は最前列にいて伏せたので、一命をとりとめたが、振り返ると、誰のものかもわからない、手や首がちらばっっていて、4歳くらいの女の子が血まみれになっていた。日本兵が帰ったあと、集落の木に縛り付けられて惨殺された村の男性の遺体を見た。ナイフで何箇所も刺され酷い姿だった。

2、沖縄戦の特徴

沖縄戦では唯一日本に米軍が上陸し地上戦が行われたこと、日本軍が日本の民間人を虐殺したこと。

3、2008年用歴史教科書検定結果について

文科省は集団自決について記述のある全ての教科書に対し、沖縄戦の実態について誤解を与える表現であるという意見を付した。集団自決が日本軍によるものではなく、住民の自発的なものであるよう書き換えを強制した。この検定意見の根拠は「直接的な軍の命令を示す根拠が確認できない」としている。

4、通説と根拠

沖縄の悲劇がなぜおきたのか、体験者の証言などをもとに研究されてきた結果、「日本軍の「軍官民共生共死」という基本方針のもと敵の捕虜になることの禁止が徹底され、軍が手榴弾を配布し、あるときは役場職員を介して自決指示を出したなどの事実が明らかになった。それにより、軍が直接住民にその場で自決命令を発したか否かにかかわりなく、「集団自決」がまさに日本軍に強制・誘導されたものであったことが明確になったのである。日本軍が存在しなかったところでは「集団自決」がおきていないこともそのことを証明している。」

ここで河合先生は、手榴弾は軍にしか渡されていなかったのに、手榴弾で自決したのだから、軍がわたした=強制したと取れる。「米軍の捕虜になるとひどい目にあう」と話していた日本兵は、アジア諸国の人々をつい最近まで「ひどい目」にあわせてきたのだから、生々しい話ができたのではないか、と話されていました。

5、歴史教科書検定の歴史

・1982年の近隣諸国条項

歴史教科書について「政府の責任において是正」「アジア諸国の近代史の記述に国際理解と国際協調の見地から必要な配慮をする。」「沖縄の県民感情に配慮する」と、沖縄戦について記述する流れができる。

・1983年に4度書き換えられた教科書

1983年の高校用歴史教科書には沖縄戦の解説として日本軍の住民殺害について記述する原稿が出されたが文部省の検定によって、削除された。以下資料から抜粋。

原文「戦闘の邪魔になるなどの理由で約800人の沖縄県民が日本軍の手で殺害された」

→ 文部省、数字に根拠がないとして書き換え命令。

一次修正文「スパイ行為をしたなどの理由で、日本軍の手で殺害された県民の例もあった」

二次修正文「混乱をきわめた戦場では、友軍による犠牲者も少なくなかった」

三次修正文「沖縄県史では戦場の混乱のなかで、日本軍によって犠牲者となった県民の例もあげられている」

→ 文部省「検定制度を取り違えてませんか」

四次修正文 日本軍による殺害の記述なし

→ 検定パス

・1984年文部省が「集団自決」とかかせた。これに対し、「自決」という言葉で記載するのはおかしいとして裁判が起きる。

この家永教科書裁判で、法廷で現地住民の証言により集団自決の実態が明らかになっていく。家永教科書裁判第3次訴訟最高裁判決では「集団自決」と記述することを認めながらも、「集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体のあり方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのはあたらないとするのが一般的であったというのである」「集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切ではないとの指摘もあることは原審の認定するところである」と沖縄側の証人の主張を認めた。これ以降、「集団自決」が日本軍によって強制されたものであることは研究者の間でも定説となり、多くの教科書にも書かれてきた。

6、記述修正の背景

  自由主義史観研究会の「沖縄プロジェクト」2005

「今回の調査で軍命による集団自決が虚構である証拠をつかめたのが、現実の教科書に軍命説がいまだに書かれている現状をあらためなければならない」と述べている。

・大江・岩波訴訟2005年

原告こ告訴状から抜粋「大江健三郎氏が著した「沖縄ノート」を含む岩波書店発行の書籍は、・・・集団自決が、原告梅沢元少佐、あるいは原告赤松元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである・・・」

この口頭弁論を傍聴した「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」の構成団体は、自由主義史観研究会・昭和史観研究会、靖国応援団、新しい歴史教科書をつくる会大阪など。

・教科書検定制度と検定調査官の問題点

調査官、審議会について、教育現場の経験がない、教職免許がない人材の起用、教科書執筆者からも学問的知識や水準に問題があると指摘される、調査官任命の基準が不透明などの問題がある。また教科書会社と調査官と審議会に同じ大学の研究室のOBや教授と教え子などのつながりがある。

・防衛庁では沖縄戦を3ヶ月間よくがんばった、と高く評価している。

防衛版の戦史では「集団自決は当時の国民が一億総特攻の気持ちにあふれ非戦闘員といえども敵に降伏することを潔しとしない国潮がきわめて強かったことがその根本理由である」「戦闘員の煩累を絶つため崇高な犠牲的精神により自らの生命を絶つものも生じた」と記述されている。

7、2008年検定意見を撤回しないことの意味

改憲、新教育基本法を支える歴史認識の育成。殉国美談で愛国心・軍民一体の国防意識を育てようとしている。

南京大虐殺の死者数、慰安婦における軍の強制性 集団自決の軍の直接命令 などの歴史事実の歪曲・否定。

侵略戦争の否定。戦争の悲惨さ、人権破壊、人間性の否定・喪失をまなばせないことで対米従属戦争(国際貢献)への批判的視点をくもらせ・戦争肯定の意識を醸成させようとしている。

8、国を守るとは誰から誰を守ることだったか

東条内閣成立の背景「皇族内閣で開戦。失敗したら国民の怨みが皇室にあつまる」

45年2月近衛文麿上奏文「敗戦必死 国体護持のために敗戦より敗戦にともなって起こる共産革命」

ソ連の対日参戦と御前会議・「聖断」「(国体維持は)大丈夫だろう」

●レポーターMNさんの感想

最後のほうは講演の時間が足りなかったのでレジュメのままです。国を守るとは「国体を守る」「国民から天皇(あるいは天皇制)を守る」という意味だったのではないでしょうか。

冒頭の証言で、がまの中での集団自決だけではなく、その後も日本軍が集落で虐殺を行っていた事実は衝撃的でした。また、事実をゆがめようとあの手この手で工作してくる力に恐怖を感じましたが、事実は事実です。「事実が消されてしまう」と、語り始めた体験者の気持ちにこたえ、私たちが事実をしっかり学び受け止め、伝えていかなくては!と考えました。あと、防衛戦史の話は書きとめていて胸が悪くなりました。

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2008年3月 5日 (水)

集会告知:3・8国際女性デー旭川集会

「3・8国際女性デー旭川集会2008」が開催されます。

案内チラシによれば「国際女性デーは、世界の女性達が平和と権利を求めて連帯し、行動する日です。1908年(wikipediaによれば1904年とされています-山田注)、アメリカの女性達が『パンと参政権』を求めて起こした行動に学び、1910年に開催された国際社会主義婦人会議で3月8日を世界の女性の統一行動日と決めました。今では国連事務総長がメッセージを発表する全世界の取り組みとなりました」と紹介されています。

実際、国連広報センターによれば「1977年、国連総会は各国に対し、それぞれの歴史、国民的伝統や習慣に沿うかたちで任意の日を「国際女性デー」と宣言するよう呼びかけました(決議32/142)。女性に対する差別撤廃と、社会開発への完全かつ平等な参加に向けた環境整備に貢献することが各国に期待されています。この国際デーは国連総会が宣言した「国際女性年」(1975年)および「国連女性のための10年」(1976~1985年)に引き続くものです。国連が3月8日を国際女性の日としたのは、国際女性年(1975年)のことでした」との記述があり、国際女性デーが国連総会決議に基づくイベントであることがわかります。

今年の旭川集会は教科書検定での沖縄戦集団死「削除」問題について講演が行われるということです。お近くのかたはぜひ参加してはどうでしょうか。

3・8国際女性デー旭川集会

とき:2008年3月8日(土)午後7時~

ところ:旭川勤労者福祉会館/大会議室(旭川市6条4丁目)

演題:「沖縄戦と教科書検定」

講師:河合剛俊さん(歴史教育者協議会旭川支部)

参加費:500円

保育:保育室があります。必ず事前にお申し込みください。

問い合わせ:新日本婦人の会旭川支部 電話0166-26-2949

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挑まれる沖縄戦―「集団自決」・教科書検定問題報道総集

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2008年2月16日 (土)

米軍機移転訓練、2月25‐28日にFA18と決まる

今朝(2008年2月16日)の北海道新聞一面コラム「卓上四季」が、米軍機の移転訓練問題でなかなかすっきりした物言いをされています。以下に紹介します。

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戦闘機マジック(←リンク切れに注意)

手品師たちは昔から、観客に怪しまれない動きをしながらトリックを用意したそうだ。例えばさりげなくポケットに手を入れる。観客は「何か種があるのではないか」と疑いながらその手に注目する▼手品師はハンカチを取り出す。汗をふいてポケットに戻す。「何だ、それだけか」。観客は納得して視線を移す。そこで手品師はポケットから手を出す。手にはもちろん、隠していたものを握っている▼そんな舞台でも見るようだ。在日米軍再編に伴う訓練移転で、千歳基地を使った日米共同訓練が二十五日からと決まった。飛んでくるのは、米軍岩国基地のFA18戦闘攻撃機だという。おや、いつの間に岩国基地からになったんだっけ?▼沖縄には基地が集中している。負担を少しでも軽減するための移転だ、と政府は繰り返し説明してきた。ならば仕方ない、と納得した人は少なくなかったはずだ。その結果、受け入れが決まった。だまされた思いがするのは、地元ばかりではあるまい▼「実は全国の基地を米軍が自由に使えるようにするための再編だ」。そんな指摘は当初からあった。種明かしをされてみれば、その懸念がますます深まるようだ。沖縄の負担軽減という建前から切り離されるなら、千歳を使った訓練はなし崩し的に増えかねない▼「訓練移転」の言葉がトリックめいている。これは千歳への「訓練拡大」ではないのか。

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リンク切れするかもしれませんが、関連記事として2月15‐16日の両日、北海道新聞には「米兵外出に職員同行」(16日)、「戦闘機移転訓練 千歳は25-28日」(15日)などがありますのでご紹介しておきます。

Fa18f なおやってくる米軍FA18ですが通常型の「ホーネット」でもF15比で騒音は格段に酷いとの声がありますが、岩国基地に移転計画の有る厚木基地所属の約半数はエンジン性能が向上されたFA18E(単座、またはFA18F複座)スーパーホーネットで、さらに通常比35%も出力が増大。これに伴い一層爆音が酷いとのこと(赤旗2004年10月2日記事「神奈川厚木基地・爆音が胸押しつぶす」参照)。アメリカでも社会問題になっているようです。

北海道新聞「卓上四季」が言うように「トリック」で誤魔化そうということでしょうが、道民は騙されず、ともに声をあげていく時ではないかと強く思うのです。

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追記:当ブログがリンクさせていただいている「念仏者九条の会北海道」様が、当ブログの「2・9米軍来るな千歳集会/参加報告」を丸々紹介してくださっています(こちら)。念仏者九条の会ブログ管理者様より依頼があり、拙文ながらありがたいお申し出に了解させていただきました。ポイントに強調もしていただき、よりわかりやすくなっています。御礼を申しあげると共に紹介させていただきます。

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2008年2月12日 (火)

2・9米軍来るな千歳集会/参加報告

この間、ご案内してきました催し物が開催されました。このうち2月9日に千歳市で開かれた「米軍来るな千歳集会」に参加してきましたので概要を報告します。

2・9米軍来るな千歳集会

千歳市民文化センターの大きな会議室で開催された同集会。会場には開会の30分前に到着するも、イスは会場の半分程度しか出てなく「少ない」と感じました。旭川からは5名が参加。このうち旭川平和委員会の会員が3名。うち2名が青年部。時がたつにつれて不安は一転、増える参加者にイスが足され、足され、最終的には参加は220名を超えました。

P2090011 集会ではDVD上映(「海上自衛隊もやってきた~辺野古からの緊急レポート」)、主催者あいさつに続き来賓挨拶として民主党・小林ちよみ氏、共産党・宮内さとし氏、社民党・山口たか氏がそれぞれ挨拶。余談ですが宮内さとしさんは原水爆禁止世界大会に一緒に参加したとき「個人加盟制の平和運動体に市民が自覚的に参加して粘り強く活動しないと平和は実現できない」と話されているのに感銘し平和委員会に入会するきっかけとなりました。

P2090025 集会のメインスピーカーは新崎盛暉・沖縄大理事長。「米軍再編を考える」と題し、米軍再編とは何なのか、いま日本で何が起きているのか、これにどう立ち向かうべきか、等についてわかりやすく話されました。

よくわかった点は、2005年10月29日のいわゆる「中間報告」(『日米同盟 未来のための変革と再編』)において現在の「再編」のベースが明らかとなったが、そのなかで「日米の相互運用性の向上」と「ミサイル防衛(BMD)」が2大柱として重視されている、ということ。最近もPAC3の配備に関連して首都圏では問題が起きており、入間平和委員会の友人は2007年11月の入間基地航空ショーでPAC3を見て、「戦争に使う武器を市民の目にさらしたくないですよね。入間基地からは今でも10数人がイラクに派兵されているそうです。すっかり忘れられているけど、航空自衛隊は撤退していないんです」と感想をメールで送ってくれたのが思い出されます。「相互運用性」というところでは、現在第2師団が取り組んでいるC4I2部隊実験が深く関係しているものと思います。これら陸自のIT化は、単に「近代化すれば人員が削減できる」というコスト的な問題ではなく、もちろん「情報優越」が戦術的に必要だということもありますが、主として米軍との相互運用性を向上させ法律的な派兵体制が整ったときに遅滞なく陸上部隊を共同展開したい、という意図があったのではないか、と考えざるを得ないのです。

P2090013 そして改めて感じたのは「米軍来るな」というけども「沖縄に帰れ」ではダメだ、という新崎さんの指摘です。そうなんです。沖縄の負担は軽減しなければなりません。昨日も沖縄で14歳の女子中学生が海兵隊員に連れ去られ暴行されました。誰しも「またか」と思ったことでしょう。いつまで繰り返すのか。暴力支配が軍隊の本質である以上、軍隊が駐留している限りこの手の事件はまた起きるかもしれません。だから撤去しかないのです!岩国も厚木に返すわけにはいかない、千歳も沖縄に返すわけにはいかない。だからアメリカへ帰れ!なのです。

P2090012 さて集会ですが会場にはメディアの取材もきていましたが、目立ったのは千歳高校放送部のみなさんです。集会開催前には実行委員会の平井代表にインタビューし、集会中も熱心に取材していました。これがどのような成果となるか楽しみです。

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2007年9月 5日 (水)

キャンプシュワブ・辺野古・キャンプハンセン・都市型戦闘訓練施設

8月半ば頃、所用があり沖縄を訪ねてきました。用事を終え、帰る日の午前中だけでしたが沖縄の「いま」に触れる時間をとれましたので、簡単にレポートしたいと思います。写真中心で見たこと、感じたことをありのまま、でご紹介します。

この日は朝5:20に起床。名護の反対側からキャンプ・シュワブを経て辺野古に。余談ですが沖縄というのは細長い島であることがよくわかりました。出発の際に地図を確認し、島の反対側に向かう、と聞いて、北海道感覚の私は「何時間走るのだろう?そんな時間あるのかな?」と思いました。しかしちょこっと山を登れば、もう降りている。「もうすぐキャンプ・シュワブだよ」と案内&運転のA氏。すぐに「米軍施設」の看板が目に入ります。

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辺野古弾薬庫:あの半島全部が弾薬庫だよー、とA氏。米軍の保有するすべての種類の弾薬を管理できる部隊が駐屯しているそうです。核兵器も可、ということ。遠くから眺めている限りでは緑豊かな半島(実際は辺野古崎、というようです)にしか見えません。

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キャンプ・シュワブ:歩哨の米海兵隊員が「やめろ」という仕草。A氏によれば、写真真ん中あたりの赤字に白文字の看板が危険度緊張度を表示する看板なのだそうです。コンディション・ノーマルから始まって、緊張度が増すごとにアルファ・ブラボー・チャーリー・デルタの5段階とのこと。9・11事件の頃はコンディション・デルタが発令されたとのこと。アメリカ本土から程遠い沖縄で、アメリカの事情で最高度の緊張状態が発令されるということは、地元で暮らしている人々にとっても緊張を強いられるのではないでしょうか?米軍が隣にあるということの意味を、いまは米軍がいない地域の日本人も考えるべきです。ちなみにこの日はコンディション・アルファだったようで、普通の状態ではなかったようです。何があったか?

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辺野古:午前7時前。美しい海。穏やかな波。突然目の前に開けた海岸の美しさに、暫し目と心を奪われました。

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辺野古:向こう側のちょっと突き出た部分(辺野古崎)に新基地を建設しようとしています。次の写真(↓)をご覧ください。だいぶ海を潰さねば作れません。この美しい海を。

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辺野古:こんなふうに。赤線は滑走路予定地。上のピョコっとTの字に飛び出しているのは軍港ができるとのこと。「移転じゃなく、新築で増強なんだよ」と説明してくれた女性。政府の説明がいかに欺瞞に満ちているかがわかります。

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辺野古:海岸が有刺鉄線で遮断され、向こう側は米軍用地。上陸演習などしょっちゅう行われ、漁業被害は日常茶飯事だそうです。

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辺野古:しかし、そこにも基地反対の声を押しとどめることはできません。有刺鉄線に結ばれたたくさんのリボンに、人々の思いを感じました。普段は有刺鉄線に近づくと、海兵隊員が出てきて威嚇されるそうです。

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辺野古:ちょうどヘリ基地反対協議会のボート隊の出動に遭遇できました。いまボート隊は高齢の方々が毎日がんばっている、と。本当なら支えるべき幅広い人々が駆けつけられなくなっているとA氏。高江問題も起きている、というなかで多くの人々が知らねばならないですね。

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キャンプ・シュワブ:キャンプ・ハンセンに向かう途中、「これ戦車が通る道」と停めてくれました。「LZ」はLanding Zoneで着陸地点の意味だそうです。

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キャンプ・シュワブ:アスファルト道路の途中で、この部分だけコンクリート。本州ではあまり見ませんね。アスファルトのほうは国道です。

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キャンプ・シュワブ:戦車道を下るとすぐ浜辺です。この浜辺も米軍用地。装甲車などが轟音をたて、この美しい浜を切り裂くのです。

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戦車橋:キャンプ・ハンセンから海岸(たしかブルービーチだったような)の上陸訓練場に抜ける直線上に国道を越える形で戦車橋がありました。短距離です。ほんのちょっと走れば、向こうはキャンプ・ハンセン。

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キャンプ・ハンセン:メインゲート。緊張感が漂う。ちなみに「ハンセン」とか「シュワブ」とかの名称は、沖縄戦で亡くなった海兵隊員の名にちなんでいるそうです。

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キャンプ・ハンセン:沖縄はやはり米軍車両が目立ちます。国道を走っていると、何台も何台もすれ違います。自衛隊の黒に近い緑というか黒というか、あの一色よりも迷彩のほうが「軍用車」であることを思い出させます。

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キャンプ・ハンセン:そしてやはり米兵が住んでいる場所なのだと思わされたのは、公用の非軍事関係の車両も多く走っていることです。こちら(↑)のボンネットバスなどは、日本ではかなりレアな車両に類するのではないでしょうか?このバスとは違いますが、基地間移動のための定期運行バスが走っている、というのははじめて知りました。

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キャンプ・ハンセン:ゲート出口には車止めが設置してありました。逆走して突入しようとすればタイヤに突き刺さり、侵入を防止する、というわけです。

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ところで余談ですが、米兵所有の非公用車両は日本ナンバーみたいですが、ナンバーの「と」とか「ふ」とか書いてある部分が「Y」とか「E」なんだそうです。これは在日米軍には共通したことだそうで、横須賀や他の在日米軍基地のあるところでは常識みたいです。A氏には「そんな珍しいの?」と珍しがられましたが、自衛隊ナンバーは見慣れていても、こういうのは見慣れませんので。

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キャンプ・ハンセン:ゲート正面の歓楽街。夜になるとアメリカ人で賑わうそうです。

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都市型戦闘訓練施設:金武町内にあるこの施設は、いわゆる市街戦での接近戦訓練のため作られた施設で、無人の街並が広がっているそうです。金武町は町として反対しているとのことで、監視やぐらが組まれています。ここはやぐらに登る入口。

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都市型戦闘訓練施設:やぐら最上部から見えるのはこの部分だけ。この向こうに無人の街並が広がってるらしい、という話です。ここで模擬戦闘を行えば、逸れた弾丸が民有地まで飛来する事だって充分あります。通常の射撃場と異なり、射撃の向こう側に弾丸止めなどありません。住民は、いつ飛来するかわからぬ弾丸への恐怖に怯えねばなりません。

Photo

この図は少々古いのですが北海道平和委員会発行『平和の炎-89沖縄-北海道平和委員会、沖縄基地調査・交流の記録』から抜粋したものです。ちなみに『平和の炎』とは読谷村の記念誌の名称だとのこと。それにちなんで命名させてもらったそうです。でもって、この図は時期は不明(少なくとも89年より以前)で、古いものですが金武町伊芸地区で発見された被弾痕や弾丸の一覧図です。レンジ6という射撃場での移動射撃訓練でこれだけの飛び出しがあるわけで、都市型戦闘訓練施設ではどうなるか・・・。今後明らかになっていくことでしょうが、その過程で人々への被害がないことを祈るばかりです。

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都市型戦闘訓練施設:そういう説明を聞いている最中にも米軍機が低空で飛行していきます。住民が接する恐怖は一つだけではなく、山から、上空から、国道から・・・いたるところに存在します。

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都市型戦闘訓練施設:これもA氏に「珍しいの?」と尋ねられましたが、送電線の鉄塔と鉄塔の真ん中につけられているポチッとした丸いもの。これは低空で飛ぶヘリが接触事故を起こさないようにつけられている目印だとか。そういう低空をヘリが飛ぶことの証明でもあります。

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また余談ですが、金武町の国道沿いの店で沖縄そばを朝食代わりに食べました。美味しかった。A氏が食べていた名前は忘れましたがモツ煮込みみたいな汁、メッチャ美味かったです。沖縄の味、サイコー。

本当はこの後、普天間飛行場へ向かう予定でしたが、突然と言うか私も驚きましたが那覇空港で中華航空機の燃料漏洩による爆発・炎上事件がありまして・・・事件の2時間後くらいの便で東京へ向かう予定でしたから「まずは空港へ」と進路を変え、行けずじまいでした。

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那覇上空:少し距離があるところからも事故機の黒煙は空を覆うように見えました。この時点では事故の状況が細かいところまでわからず、不安でいっぱいでした。

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那覇空港:事故機は鎮火していました。不幸中の幸い、と申しましょうか、死者もでず最小限の被害に留められたことは何よりでした。しかし、これが滑走路上であったら、空のダイヤは大幅に乱れます。ましてや共同使用の自衛隊や、さらに緊急着陸などで米軍機などが炎上したならば、ことは早々には収まらないでしょう。そういう可能性とも隣り合わせなのだ、と理解しました。

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駆け足で見てまわったために、不充分さや理解の浅さもたくさんあることと思います。今回、ブログの記事を準備する過程でもA氏には幾つかの貴重な指摘を頂戴しました。改めて感謝します。そして、沖縄の基地問題は広範囲で問題が深く、単純でないこともよくわかりました。今回の沖縄訪問で感じたことは、再び沖縄を訪ね、在沖米軍の現状をさらにリアルに見てこなければならない、ということです。そして沖縄から北海道まで、日本国民が一丸となって基地撤去の深い意思をかちとらねばならないのだ、ということです。

さて宣伝というわけではありませんが、「2007年日本平和大会」が11月に沖縄でひらかれます。日程は11月23-25日の2泊3日。先立って22pm-23日amまで国際シンポジウムが開かれます。大会第一次案では那覇市民会館での全体会以外にも、那覇市内での動く分科会や、最終日は名護市内で名護行動が予定されています。実行委員会は「この沖縄の地でしっかりと戦争の実相と歴史の真実を学びましょう」と呼びかけます。ぜひあなたも、2007年日本平和大会in沖縄へ!

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