旭橋に貼られた「鎮護」の札
旭川市内中心部、石狩川に架かっている「旭橋」。昭和7年に完成し、かつて旧陸軍第七師団の兵士たちが軍靴を鳴らして出兵していった当時を知る貴重な戦争遺産であり、今なお現役の橋として旭川市民の日常を支えています。今回、旭橋の塗装大工事が行われ、これまで重ね塗りされてきたペンキがすべて剥がされ、新たに塗りなおされました。
その際、ペンキを全部剥がしてみたら橋桁の常盤通側に「鎮護」の札(銅板)が新たに発見されたそうです。
上の写真は2009年12月1日付あさひかわ新聞の記事ですが、第一報は11月中旬発行の雑誌『北海道経済』で知りました。現・旭橋が完成した昭和7年当時、北海道護国神社は無く、上川神社でははっきりわからないと『北海道経済』の記事でしたが、その後判明したらしく、「あさひかわ新聞」では「上川神社が取り付けたものであることが、橋渡式の祝詞の記録から判明」したと書かれています。
せっかくなのでぜひ実物を見たい、と某日早朝にでかけてきました。まず住宅地図の現地周辺をご覧ください。この地図の記号を使って説明します。
地図を上側に国道40号線をすすむと比布方面、下側がロータリーを経て旭川駅方面です。「鎮護」の札が見つかったのは最初②のあたりかと思ったのですが、『北海道経済』の記事を正確に読むと①であることがわかりました。
上の写真左側の橋桁に黒いプレートが貼ってあります。まずはここから拝見しました。
これには旭橋の基本データが記録されていました。昭和4年11月に着工して昭和7年11月に完成。実に3年がかりの大工事だったのですね。後で見た旭橋について説明した看板によればこの場所には4度架橋しているそうで、3年かかってつくったこの橋が、戦争もくぐり抜け77年後の今まで残るとはよほど頑丈に作ったのでしょう。
北海道開発局旭川道路事務所のサイトに詳しい歴史が書かれていますが、総工費約104万円、現在の価格に換算すれば約28億円もの費用がかかったそうです。
■北海道開発局旭川道路事務所「旭橋」
http://www.as.hkd.mlit.go.jp/road1/asdj/asahibashi/index.html
このサイトの「旭橋のあゆみ」はなかなか面白いです。
さて、当の「鎮護」の札はこの黒いプレートの鉄骨を挟んで裏側、地図①の場所に②方向に向いて貼られていました。
正確には旧字体の「鎮」ですが、ここではご容赦を。
「あさひかわ新聞」の記事では「橋建設の安全と、第七師団がある関係から、北の脅威から橋を守ることを願ったものではないか」と関係者の話を紹介していますが、それならば地図②の部分に貼ってもよかったのではないか、と思います。陸上自衛隊旭川駐屯地に建つ北鎮記念館の平塚清隆館長(自衛官)は「北からの護りとともに、出征する兵士への安全祈願の意味もあったのでは」と非公式ながら見解を述べられていました。それは大いにあり得ることと思いますが、それでも①であることの説明力は不足しています。なぜ常盤通側だったのでしょうか?
ちなみにこの「鎮護」札、縦18センチ、横9センチ、厚さ1ミリの銅板だそうです。同じく「あさひかわ新聞」の関係者の話では「旭橋は完成後、ほぼ10年おきに塗り替えられてきました。多分、2回目の塗り替えの時、間違って札の上から塗ってしまったのでしょう」と推察しています。昭和7年に完成して、1回目の塗り替えが昭和17年ごろ、2回目が昭和27年ごろだと推定すると、戦後の混乱期のことでもありますしそういう可能性もあるかも、くらいには思いますが何ともいえませんね。意図的に塗りこんだ、という説はありえないでしょうか。そもそも構造上、なぜこんなにも目立たない場所に貼ってあるのだろう、と思いました。ですから逆に目立たなくさせたい。北方からの何か恐ろしいものから街を護る最後の砦として「隠れ守護札」のように最初から塗りこまれていたという可能性はありませんか?こちらも何の根拠も無い推測に過ぎません。
上で紹介した黒いプレートや「鎮護」札の側面には「昭和六年 汽車製造株式会社 製作」というプレートがありました。すこーしだけ調べてみたら、汽車製造株式会社は明治29年から昭和47年まで存在した文字通り機関車等の製造会社でした。その後は川崎重工業に吸収されて消滅していますが、現在川崎重工は軍事産業として多くの軍事関係品を生産しており、例えば旭川駐屯地第2飛行隊も所有するヘリコプターのOH-6も生産しており、旭橋の上を飛んでいます。
橋の建設は早くから手がけていたようで1912年ごろ(大正初期)から初期の製作記録があり、旭橋がつくられた1930年代あたりは大量の橋をつくっています。戦後は1959年とかそういう時期まで。ですから汽車製造と共に橋梁製作も事業の柱の一つとしてあったのでしょうね。ちょっと調べただけですからよくわかりませんが汽車製造株式会社製作のもので全国で40数例の橋が現在も架かっており、関西が多いのですが例えば東京の隅田川にかかっている駒形橋という橋が同じ汽車製造株式会社の製品でした。昭和2年に製作されたものです。
さて話を旭橋に戻しまして、「北海道遺産」にも指定されたこの旭橋ですが、昭和31年までは路面電車の軌道が敷かれ、旧師団のさらに向こう側まで路面電車が通っていたそうです。そのため片側一車線の車両通行部分以外に電気軌道用のスペースがあって、現在だと片側二車線には狭いけど一車線では微妙に広くて、時々車両が並行して走ったりしていますね。
そんなことを考えながら記録しているうちに旭橋にオレンジ色の朝日があたり美しい全景が目に飛び込んできました。曇り空が玉に傷ですが、塗装工事を終えてすっきりした旭橋です。今後も情報にはアンテナをたてていきます。
■北海道新聞ウェブの「鎮護」札、再設置記事
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/201838.html
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