戦争遺跡・戦争の記憶

2016年8月16日 (火)

2016年8月15日 平和祈祷会でスピーチ

8月15日の夜、日本基督教団が呼びかけ旭川市内および上川管内のキリスト教会などが共同で開催している「平和祈祷会」にお招きいただき、パネリストの一人として当会事務局長が12分間のスピーチと、全体ディスカッションでの質疑応答に参加しました。

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会場の日本基督教団旭川豊岡教会には47名が集まりました。
第1部で賛美歌や牧師さんのお話などがあり、第2部で4名のパネリストが平和について12分スピーチ。質疑応答の後、第3部でお祈りをして閉会、という流れ。

パネリストの一人目はA.F.M.A.メンバーのあみさん。91歳の祖母から聞いた戦争の話。A.F.M.A.との出会いや、活動を通じて今まで出会ったことのない人たちとの交流を通じての自らの成長。その原点でもある教会での活動。印象的だったのは「みんな自分らしく。幸せを叫べる世の中に」と願い、そのために様々ぶつかる事があっても「(自分に)何ができるか、祈って、答えを求めたい」との決意。一直線に前を見てすすもう、という若者らしいスピーチでした。

二人目に当会・由井事務局長がスピーチ。平和委員会の活動を通じて出会った現元自衛官の方々との交流を通じて学んだことや支えることができた内容なども紹介し、「まじめな自衛官の方々の声を受け止め、一緒に考えることのできる活動が基地の町に必要」と呼びかけました。

三人目は美深の酪農家の女性。原発事故を機に「おかしい」と疑問を持ったことを自分なりに調べ、周りにも知らせながら活動してきたと紹介。「一人の母親として安倍政権の国づくりは怖い」「自民党改憲草案はおかしい」と指摘。経済効率ばかりが優先される世の中を子どもの世代に渡したくない、と行動しているそうです。でも小さな町では発言しづらいこともある、と。自分の言動が誤って他者に伝わったり曲解されてしまい怖いとも思う、と。欧米では家族間で議論することもしばしばで、それでも「意見が違うだけ」と尾をひかない。日本では意見が違えば人格自体否定されるよう、だと。まず家庭のなかから、と子どもと向き合うことに頑張っている素敵なお母さんでした。

最後に日本聖公会旭川聖マルコ教会の広谷牧師さん。被爆者の平均年齢が80歳を超え、戦争体験にも共通することですが「記憶の継承」が課題だと指摘。高橋哲也さんが紹介している英語圏で活発になりつつある「ポストメモリー」という動きが大事ではないか、と発言されました。若い世代が戦争体験者から聞き取りや映像を通じてなど記憶を受け止め、伝える。ポストメモリー自体が今後10年20年、100年と続き、しっかり取り組まれれば、よりはっきりとした輪郭の記憶が継承できるのではないか、と指摘されました。

その後、質疑応答で3人の方が質問され、交流がなされました。

宗教者の方々が継続して取り組まれているこれらの取り組みは貴重な活動蓄積と交流になっていて、今回のように私ども平和委員会やA.F.M.A.など他者の取り組みに学ぼうとされる姿勢は尊敬の一言です。

なお上記パネリストのスピーチ概要は参加した由井事務局長の個人メモによるもので、省略の仕方や受け止め方によるニュアンスの違い、発言者の意図と異なる表現もあるかもしれません。あくまでメモとして紹介させていただきますので、その旨ご了解ください。

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2016年8月15日 (月)

2016年8月15日 終戦記念日宣伝、いわゆる「赤紙配布」

終戦記念日の15日、旭川市2条買物公園では平和・労働団体などによる終戦記念日街宣、いわゆる「赤紙配布」宣伝が行われました。主催は旭川労働組合総連合・原水爆禁止道北協議会・旭川平和委員会。このほか、新日本婦人の会、道北勤医協などから参加があり、あわせて25名が参加しました。

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宣伝では5名がリレートークしました。

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旭労連の平山沙織さんは牧師であった祖父の戦争体験を紹介し、自身が引き継いだ「二度と戦争を起こしてはならない」との強い思いを訴えました。道北原水協の石川厚子さん(旭川市議)は南スーダン派遣中の自衛隊をとりまく危険性と自民党改憲草案の中身を紹介。平和憲法を守ろうと呼びかけました。

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道行く市民や観光客は次々と「赤紙」を受け取り、読んでいました。外国人3人組に声をかけ簡単に説明して「赤紙」を渡すと、受け取った女性が「赤紙」を上に掲げる一幕も。通行中の乗用車が路肩に停まり、運転席から「1枚ちょうだい」と呼び止められました。

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2013年10月28日 (月)

2013年8月15日、終戦記念日に旭川市中心部で赤紙配布

川平和委員会など5団体は15日昼、旭川市中心街の2条平和通・買物公園で終戦記念日「赤紙配布」宣伝に取り組みました。

買物客や観光客でにぎわう買物公園で「赤紙」(裏面に憲法9条・96条の条文を記す)を配ると、中高生やお年寄り、サラリーマンまで幅広く受け取り「召集令状」の文字に見入っていました。

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「樺太から引き揚げ、4歳のとき父に赤紙が来た」という70代の女性は、赤紙が届いたとき「ついにこの日が来た」と強い衝撃をうけ、以来「戦争には絶対反対」との思いを貫いてこられたそうです。

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2013年4月20日 (土)

2月22日、70年目の命日に映画『白バラの祈り』上映会

旭川平和委員会は22日、打倒ヒトラー・戦争反対を訴え1943年に非暴力抵抗運動を行った「白バラ抵抗運動」の若者達を史実に基づき描いた映画『白バラの祈り~ゾフィー・ショル、最後の日々』の上映を行いました。

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22日は主人公ゾフィー・ショルら3名がナチズム裁判で死刑宣告をうけ処刑されてからちょうど70年の命日にあたります。「憲法を変えて国防軍をつくる」と安倍政権が公言しているなか、「再び戦争をする暗黒社会に戻してはならない」と自主上映を決めました。上映会は午前と夜間の2回行われ、100名の市民が足を運びました。

映画は2005年のドイツ映画で、2006年から日本でも劇場公開されました。反ナチスのビラを大学構内で配布し秘密警察に逮捕されたゾフィーらが取り調べの過程でユダヤ人虐殺や戦争の誤りを正面から論じ、取調官が良心の呵責に苦しむ姿が印象的です。「国防軍反対サウンドデモ」を前に、声をあげていくことの大切さを伝えようと企画しました。北海道新聞でも報道され、若者も含む市民が駆けつけました。

ある参加者は「この日本でも絶対に起きないとはいえない時代になってきている」とし、「改めて憲法改正の問題など、よく考え、伝えていかなければ」と感想を述べています。

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2010年11月26日 (金)

今日11/26、旭川で映画「ヒロシマ・ピョンヤン」上映会

今日11月26日(金)、旭川市中心部の旭川市役所に隣接する「旭川市民文化会館」小ホールを会場に、映画「ヒロシマ・ピョンヤン」旭川上映会が開催されます。急な告知となりましたが、ぜひ時間をとって足を運んでいただけたらと思います。

■映画について
http://www.jca.apc.org/~earth/iinkai.html

■予告編
http://www.youtube.com/watch?v=nkFsAlJTALU

■開催要項
●11月26日(金)
①13:30~ ②16:00~ ③18:30~
各回とも30分前開場
上映時間90分
●旭川市民文化会館・小ホール
●鑑賞料 1000円(当日券も同じ)
●主催 映画「ヒロシマ・ピョンヤン」旭川上映実行委員会

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23日の北朝鮮による韓国への砲撃事件は決して許されない蛮行です。私達は平和を願うものとして武力による国際紛争の解決は支持せず、朝鮮半島の問題も話し合いで解決すべきと思います。こういうときだからこそ、「国家」と時代に翻弄された一組の母娘の物語に耳を傾けましょう。

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2010年8月20日 (金)

反戦川柳作家・鶴彬の生涯描く映画、9/14旭川で初上映

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つる あきら
鶴  彬

戦前活動した川柳作家です。
川柳といえば、サラリーマン川柳とかピリッと風刺をきかせた印象です。
鶴彬は侵略戦争を止めたい気持ち、庶民の生活を貧困から抜け出させて、みんなが平凡に生活できるようにしたいという理想を秘め、その思いを表現するために反戦川柳、プロレタリア川柳を詠みました。

暴風と海の恋を見ましたか

初期にはこのような情景的な川柳を詠んだそうですが、戦争が本格化してくると川柳の印象も一変します。

万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た
高梁の実りへ戦車と靴の鋲
屍のゐないニュース映画で勇ましい
手と足をもいだ丸太にしてかへし

最後の「手と足を…」は鶴の代表作の一つとされ、当時、一家の大黒柱が戦争に奪われ、残された者たちの生活が成り立たない様を表現して反戦を訴えました。 しかし現在、鶴彬の名はあまり知られていません。若く強い意志があったため、悪法「治安維持法」違反で逮捕・投獄され、ついに勾留されたまま29歳の若さで亡くなります。

その鶴彬の早熟な才能を、作家の田辺聖子や佐高信など多くの人が評価しはじめています。そんな中、鶴彬生誕100年を記念して、「遠き落日」などで知られる映画監督・神山征二郎さんがこのドキュメンタリー映画「鶴彬 こころの軌跡」を作りました。

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一見の価値ある作品です。道内では札幌に続き旭川が2ヵ所目の上映となります。多くの来場を呼びかけます。

と き 9月14日(火)
    ①10時30分~12時
    ②14時~15時30分
    ③18時30分~20時

ところ 旭川市民文化会館 小ホール
    旭川市7条通9丁目、旭川市役所隣

鑑賞券 大人前売 1000円(当日1200円)
    学生前売  800円(当日1000円)
    ※学生は中・高・大まで。小学生以下無料。

販売所 鑑賞券は旭川市内富貴堂各店、こども富貴堂で取扱中。
    また、以下の場所でも販売中。
    ・旭川市民劇場
    ・新日本婦人の会旭川支部
    ・各地域9条の会事務局
    ・道北勤医協友の会連合会
    ・旭川川柳社
    ・旭川労働組合総連合
    ・旭川平和委員会

主 催 映画「鶴彬 こころの軌跡」旭川上映実行委員会
    電話090-8372-3286

後 援 旭川市教育委員会、旭川文化団体協議会

小説 鶴彬―暁を抱いて 小説 鶴彬―暁を抱いて

著者:吉橋 通夫
販売元:新日本出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

反戦川柳作家 鶴彬 反戦川柳作家 鶴彬

著者:深井 一郎
販売元:日本機関紙出版センター
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ストレート−蟻食いを噛み殺したまま死んだ蟻・鶴彬−
配信元:電子書店パピレス
提供:@niftyコンテンツ

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2010年6月18日 (金)

「ブルーインパルス問題緊急アンケート」に寄せられた市民の声

6月12-13日のブルーインパルスの飛行があり、翌14日早朝から配布開始し、17日まで一気に取り組んだ「緊急アンケート」。本当は全戸に配布したかったのですが、手の届く範囲でもできるだけ多様な声を集めたい、と新聞折込や地域配布など2000枚を配りました。通常、この手のアンケートをとっても多くて10数件、少なければ5-6件しか帰って来ないのが残念ながら実情なんです。ところが、今回ばかりは様相が違いました。FAX・Eメールでの回答のみにしたものの、当日午前7時過ぎから続々と集るFAX。短期間の間で40通の「声」が集りました。またこれらの声の中には、ブログコメントも含ませていただきました。

その内容も多種多様ですが、共通してみなさん最初の衝撃、爆音の驚きを隠せません。あつ方々が「旭川空襲」など第2次世界大戦中を思い出されたそうです。また別の方々は普天間基地問題など、沖縄で暮らす人々は「こんなものではない」「これが毎日」と心を寄せておられます。

手を加えていないリアルな声に耳を傾けてください。ここで伝えたいのは、ブルーインパルスに対して旭川市民は決して賛成・歓迎ばかりではなく、快く思っていない市民も多く居るのです、ということ。ぜひお考えの一助に。

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【1】「孫の野球試合応援中に、突然の爆音にびっくり!4?5?機が並んで白煙を吐き、親機が横切る!これがブルーインパルスか!沖縄の爆音はこんなものではないですよね。速い、恐ろしい」

【2】「突然なにごとがおきたのかと、びっくりするような音が空から降ってきたというのが最初の感じです。段々怒りがこみ上げ、抗議の電話を自衛隊にするとノーテンキな声で『戦闘機』が明日の予行演習をしているとのこと。こんなイベントは即やめるべきです」

【3】「莫大な税金の無駄遣いだと感じた。記念行事で一機飛ばすのにどれだけの費用(国民の税金)がかかっているのか、明らかにしてほしい。市民の多くは『ブルーインパルス』の爆音と飛行については余り関心はなかったように思う。旭川市の『周辺町村から期待されているイベント』の説明について、その根拠―市町村民が本当に望んでいたのかを説明してほしい」(末広・女性)

【4】「東光地域では編隊飛行はなかったが、一機が11時すぎに私の上の上空を超低空で飛行し、横になって飛ぶなどあっという間でしたが、ものすごい爆音を残して市中心部に向って行きました。何か事故でもあったらどうするのかと思いました」

【5】「突然のごう音にびっくりしました。特に頭上を飛び去った時のごう音はすさまじいものがありました。確かブルーインパルスは過去に事故を起こしていたのでは。それを考えると怖いです。堤防に群がって見物している人がいましたが、あの場所に落ちたらどうなるのだろうと思いました。沖縄のことが頭をよぎりました」

【6】「ブルーインパルスのことで思い出すのは、1982年頃だったか、静岡県浜松上空で同じような曲技飛行中、一機が墜落炎上した事故のことです。テレビのニュースでも放映していました。住宅地・商業地などが密集する旭川上空を、轟音を撒き散らしながらの低空飛行!もし万一の事が有れば、被害は地上にも及びます。道新は好意的に伝えていましたが、私としては怖い思いがします。西川市長はパイロット出身だそうですが、このような危険な曲芸飛行を許すのでしょうか。市民の安全を守ることができないのなら、本当に情けないですね。税金も相当額が使われたことでしょう。曲芸飛行はもう今回限りにして、大切な税金を市民・国民のために使っていただきたいと思います」(西地域・男性)

【7】「今日は休日でのんびりしていたところに、急な爆音。窓から見ると知識のない私でも戦闘機と思われるモノが上空を旋回していました。暑さの中、窓を閉めても騒音はたいして減らない。ペットはおびえていました。駐屯地に電話をかけたところ、新聞や広報誌で知らせているので問題ないと、見ていないほうが悪いような言い草です。らちがあかないので他の問い合わせ先を訊いても『知らない、わからない』『あんたの名前は?』と横柄な態度。イベントとして喜ぶ人もいるかもしれませんが、沖縄問題の最中にデリカシーの無さと、対応の悪さに自衛隊への不審がつのりました。」

【8】「12日の日中、父親(102歳、要介護5)と車椅子で近くにある新富公園を散歩し、木陰で休みながら新緑の季節に触れながら、普段の体と気持ちの疲れを癒していたのですが突然、物凄い大きな爆音とキーンという神経が逆なでされる金属音の異様な雰囲気に投げ込まれた感じになりました。父親は驚いて『速く家へ帰ろう』と言い始めたのですが、爆音のためにその声が聞き取れないのです。爆音に怖れる父親、自分の言葉を息子に聞こえなくて苛立つ父親…そんな遣り場のない怒りを実感した父親との散歩でした。この様な恐ろしい、しかも、家の中に逃げ込みたくなるような行動(ブルーインパルスの低空飛行)などは、今後、絶対に行わないで欲しいです」(新富・男性)

【9】「私も生まれたときから18年間 自衛隊のすぐ近くに住んでいるのですが
いきなりヒュンヒュンと風を切るような音がして しかも見たこともない小さな飛行機が
すごい速さでグルグル回っているのを見て 血の気も失せる思いでした
友人から『北朝鮮のミサイルを迎撃したら 富良野の近くに落ちるようになっている』
という定かではないけれど 現実味のある話を聞いていたので 『遂に来てしまったか!?』
とかなり動揺してしまいました(笑)
きっと私みたいに最近の社会情勢から ナーバスになっている人もたくさんいるはずです
近所の人たちも何事かと外に出ていました だから近隣に住んでいる人の家一戸一戸に
チラシを配って事情を説明してほしかったです」

【10】「 私は今70歳 この歳になってから あんな爆音 聞きたくなかった
空襲警報が鳴り 祖父の指示に従い 爆撃機がとうり過ぎてから 一人づつ 向かいの防空壕へ走る
開放されるまで約一時間 近くで聞こえる高射砲(?)の音 爆撃でいつ家族ごと吹き飛ばされるのか
不安でいっぱい 身動きもできず
その日 パルプ工場の煙突に 大きな穴が開いたと聞いた」(末広・男性)

【11】「12日昼頃、ただならぬ轟音に驚きベランダにでてみると、見慣れないジェット戦闘機が5機、隊をなして、南方から私の住むマンションにすさまじいスピードで迫ってきた。
戦争が始まったのか? 普天間の米軍が旭川で演習を始めたのか?・・・?
戦闘機は、旭川の空すべてを占領したかのように、東に、北に、南に、西に、高度あげて、あるいは頭上すれすれに現れては消え、爆音をとどろかせ、煙をまき散らし続けた。
旭川市民を嘲るように、旭川の空を蹂躙した。
 空はすべての人のものである。静穏な環境は私たちのものである。
多くの市民を恐怖に陥れながら、大爆音をあげて縦横に飛び回ることが、だれに許されるというのか。私は怒りでいっぱいである。
私は、おののきながら、沖縄はじめ全国の基地に暮らす人たちを思った。かつて名護市植物園でふるえあがった米軍機の轟音を思い出した。以前、自衛隊員がイラクに出兵する時、自衛隊裏門で10人ほどの自衛隊員が、何台もの装甲車とともに、道を行く私たちに拳銃を突きつけて立っていたことを思い出した。
自衛隊は、なんとしてでも戦争の足音を高めて、私たちを屈服させようとしている。そのやりかたは、いよいよ居丈高になっている。私たちは決して黙っていてはいけないと思う。」(西地域・女性)

【12】「 13日夕刻、ふるさと会(士別市多寄町、参加者最高齢89歳、80歳代4名、75歳以上8名、70歳以上6名、それ以下6名)の会長挨拶『・・・・・国の財政問題、普天間問題、今日のブルーインパルス飛行も有りました。あのような物が必要とされない世の中で有って欲しい・・・・』
 会長代行の役員が乾杯の挨拶の中で『ブルーインパルスの飛行を見て、終戦の2,3日後、米軍の戦闘機だと思うが超低空飛行で自分達の頭上を通過した時のことを思い出して、あの音を聴いて気持ち悪くなりました・・・・・・』
 それを聴いて参加者の一人が『そうだ、あの時防空壕だったか、あなぐらに逃げこんだことがあったな』など。ブルーインパルス飛行、自衛隊に期待する声は無し、無いほうが良いの声も無し。」

【13】「 12日午後生協に行くのに車に乗り込もうとした時、4基の飛行機が音をたてて飛んでいき三歳の孫がこわいってとんで来ました。生協に着いて車から降りようとしたその時、直ぐ、目の前をといっても過言でないくらいの距離を爆音をたてて白い尾を引いて飛んでいきました。孫もさっきよりもびっくりして怖いねーってしばらくたたずんで居ました。そのあと、小学3年だという知らない男の子が来て『すごかったねー落ちるかと思ったよ』って話しかけてきました。
 次の日仕事先で話題になり何の為にって知らない人の多いので、町内で何日か前に回覧板がまわってきて創立記念日のアトラクションで宣伝していたよって言うと、どうしてってびっくりしていました。 このことに国民の税金が使われているんだよって言うと、そんなのしなくてもってという話になったので米軍の思いやり予算もみんなの税金が使われているんだよって話しました。知らない人が多いのにびっくりでした。その日の午後また爆音を聞かせてとんでハートのマークを作っていたそうです。忠和地区では堤防の上で沢山の人が見学していたそうです。
 市民の方々は何の為にこんな事をやっているのか、分からない人も多いと思います。喜んでいるこも居ると利きました」

【14】「12・13日は旭川を留守にしておりブルーインパルスは経験(?)していません。イメージするには大変な音だったと思われます。今日道東からの帰路に、旭川方面からですが南富良野からたくさんの自衛隊の車が(30台まで数えたのですが…)公道を走っていました。大きなトラック式の車には、自衛隊員がこれから戦争にでも行くのかと思うような物々しい様子でした。運転中でしたがラジオから国会中継、首相の沖縄の抑止力の答弁が入っており、とても気味の悪さを味わいました」(大町・女性)

【15】「晴天の中12日の午後、あまりにも騒音で驚き何事が起きたのかと土曜日でしたが市役所に電話しました。『国の訓練らしいけど』と自衛隊の電話番号を教えてくれたのですぐかけ、『この訓練大丈夫なんでしょうか?落下したら大変なので』と言うと『大丈夫です。ブルーインパルスの訓練です』と答えてくれましたが、翌日も同じで毎日沖縄の人たちはこの様な恐ろしい騒音の中で生活していることがよーく解りました。オロオロした私は反対ですね」(新旭川・女性)

【16】「突然の爆音に驚き空を見上げました。すると超低空のジェット機、北朝鮮との間で何かあったのかと不安に思いテレビをつけました。私達は戦後『平和で豊かな社会で生活をしたい』との思いで不戦の憲法を作り、以後60数年これを守ってきました。平和な市民生活の頭上で爆音を出し、市民生活を不安に陥れる、このブルーインパルスはさしずめ、青い空の暴走族です。止めてほしいものです」

【17】「私の日々の暮らしには、ありえないことでした。予告なし(自分にとって)の頭上に響く爆音は、末広に住む私と緑が丘の医大に夫、入院中の知人(病院の窓がゆれていたとのこと)、市内のはじからはじにいて同様に襲いました。20分ということですがとても長く感じられました。行ったことはないですが、普天間基地を想いました。一刻も早く基地から解放されることを願いますし、西川市長が歓迎したことは市民に慣れをつくる方向で、まきこまれたくありません」(末広・女性)

【18】「文学サークルの例会中でしたが、突然、話し声が聞こえなくなり、窓を閉めました。沖縄では常時こうなんだろうね、と話し合いましたが、『こんなもんじゃない。これ以上だ。なにしろガラスがわれるほどだから』と話し合いました。事故が起きたらどうするのだろう?と心配し合いました」(大町・男性)

【19】「12日、13日とも気温が高く多くの家が窓を開けていたと思います。私の家も駐屯地の近くにあり、非常に騒音に悩まされました。沖縄では毎日がこんな状態かと思うと現地の人の気持ちが良く分かります。2日間ではありますが、どうしても曲技飛行をしたいのならば人家の無い郊外でしてほしい」(春光・男性)

【20】「橋の上を車で走行中、川に飛行機が落ちるのではないだろうかとか、ひどい頭痛におそわれた。病人とか赤ちゃんなどは気がふれることはないのかと。不安になりました」(錦町・女性)

【21】「6月12日・13日戦闘機の低空飛行が数回くり返されました。キーン、ゴーゴー、バリバリ!!住宅街に落下するのではと驚きました。沖縄では毎日、このような爆音と恐怖にさらされているのか。気の毒です。税金を使って国民に不安を与えるのはヤメて欲しい」(錦町・男性)

【22】「13日、富沢でサイクリングをしているとき、6機編隊で旋回飛行をするジェット戦闘機を見ました。最初はなにが始まったかと驚きましたが、そのうち苦々しい思いで一杯になりました。子供にとってはカッコよく見えるようですが、戦力を誇示し戦争を鼓舞するようなパフォーマンスは絶対にやめてもらいたい。また税金の無駄遣いもやめさせたいので、費用がいくらかかったか教えてほしい」

【23】「突然の音にびっくりしました。次に落ちてきたらと思うとゾッとしました。沖縄ではこんな音が日常茶飯事なのかと考えると、我慢することはできないとつくづく感じました。そもそも憲法違反の自衛隊の創立記念行事などあってほしくないし、まして好印象を市民に植え付ける『ネライ』を隠しているように思えて不愉快です」(神楽岡・女性)

【24】「丁度この時、北門町13丁目に仲間4人と物作りの話を聞いて(9:30-11:30)窓を開いていたので空の爆音に米軍の沖縄だと思い、日本の自衛隊もここまで来たかと思いました。沖縄の基地の爆音はこの1000倍です。支配者の用心棒の兵器と兵隊。日本は今もって世界に侵略の反省も謝罪もしていないので、米軍は日本の軍拡を予想して日本から出て行かないのです。国家とか国旗法まで作ったから。鳩山・小泉・安倍・麻生と2世3世の戦犯族の孫が首相の狂気です。声を大きくしよう。もう戦争する時代じゃないのだ」(男性)

【25】「あまりの低空飛行に驚きました。平和なくらしを脅かす金属音です。平和を願う祭典なら不似合い。知人宅の犬がず~っとおびえ吠えていたそうです。いまにも落ちそうで、また音は気持ちを暗くさせました。特に税金で飛行しガソリンをまきちらしているかと思うと、やめてほしい」(曙・女性)

【26】「突然の爆音、恐怖で空を見上げました。体中不安でいっぱいになりました。あの様な爆音は二度と聞きたくありません。日本の空にも私たちの頭にも響かせてほしくないです」(永山・女性)

【27】「猛烈な騒音で、沖縄の普天間の人々は毎日悩まされているでしょう。旭川では多くの人々が只驚き空を見上げていました。大変迷惑です」(新旭川・女性)

【28】「本当の平和が(日本の平和が)空に自衛隊の飛行機が飛ぶことなのでしょうか?新しい時代とはどういう事なのか、知っても良いのかどうか私には意見を述べる程の者では無いですが、他の方法もあったのでは無いでしょうか?(他の方法で祝う等)。本当に検討した上で、決まってしまった事は『良い』も『悪い』も言えず、人の声を聞いて生きていくのですから」(新旭川・女性)

【29】「昨日(13日)午後の低空飛行は轟音で家の中に居て恐怖を強く感じた。65年前の日本の敗戦間近のアメリカ軍のグラマン機の攻撃を瞬時に思い出して恐怖に戦(おのの)き感情が高ぶった。私は現在の豊岡12条1丁目で生まれ育ちました。牛朱別川を挟んで向側に国策パルプ工場が有り(現在日本製紙工場)、グラマン機何度となく攻撃するたびごとに我家の上を通る時に人を見掛ると機銃掃射を何回も襲った事を昨日の出来事の様に思った。午後の3時過に忠別パークゴルフ場に妻と二人で行ったが、日曜日と云うのに人が指折り数えるだけしか居なかった。顔馴染みの人に合ったら皆んなブルーインパルスを見に行ったのだろうと話をして居た。先々を考えると人々は何を思っているのかむなしい感じがした」(東光・男性)

【30】「空襲かと思いました。背筋が凍り付いてます。近所の方々皆さん、何事かと騒いでいます。演習の墜落事故で亡くなっても、俺の事、忘れないでくださいね…(12日のメール)」「昨日(13日)は実家に避難してました。昨日のブルーインパルスはだから春光台までは聞こえなかったですですが!来年以降からぜひとも止めてほしいです。アクロバティックを楽しみたい人たちに苦言を呈すようですが飛ばすなら、せめて基地内だけでやってほしい。あるいは、アクロバティック飛行訓練には税金でなく一定の寄付金でやるとか、お金を払ってでも見たい人たちもいれば生命を失ってでも上で飛んでほしい方々もいるのでしょう?あいにく、俺は自分達が納めている税金で飛んでいる軍事飛行機の下敷きになって死にたくないです。米軍がこの北海道にも基地を作れば毎日あの音と毎日付き合ってかなければならないと思うと頭痛くなりますよ」(大町・男性)

【31】「病中の妻が2日共床に就いていた時に騒音で目覚め、何事が起こったかと、その後眠れなかった。市街地で騒音をひびかせ、危険な飛行を繰り返すことは許されない行為です」(中央・男性)

【32】「私の家はわりと近くに自衛隊基地があります。12日はとつぜんのことで何事かとびっくりしているうちに低空飛行が始まりました。我家の屋根スレスレのところを飛ばれて生きた心地がしませんでした。ただ考えることもなく見ているぶんにはかっこいいのかもしれませんが、今、普天間のこととか、徳之島のことなどある中で、国民の心をさかなでする様なやり方にはらが立ちました。となりの奥さんも、これじゃ沖縄の人たちもうるさいしあぶないしで大変なんだなって云う事がよく判るよね、と言っていました。裏の家では赤ちゃんがびっくりして泣いていました」

【33】「平和な春光台で庭の手入れをしていた時に、突然のゴー音を響かせて自衛隊機が編隊を組んで長い煙の尾を誇らしげになびかせて旋回をくり返すのに驚きました。沖縄の人々の苦悩や被害も思わせたりして涙が出そうになりました。かつての軍国少年も老化しましたが、日本が戦争をしない平和な国であるようにとの願いを強くさせられました」(春光台・男性)

【34】「13日(日)昼、『キューン』という音が鳴り響き、空を見るとブルーインパルス!!沖縄国際大に落ちたあの光景が旭川市内にも…?と考えると恐ろしく感じた。今回の『曲技飛行強行』により、旭川市の態度が判明。厳しく抗議すべきであり、今回の飛行の結果内容を空自は全面公開し、民意を問うべきである。断じて許される行動ではない。『自衛隊基地に海兵隊訓練移転』という最中の出来事であり、今回の飛行は『容認する』かのような把え方さえ出来る。極めて遺憾である!!」(大成・男性)

【35】「12日14:50頃、爆音が聞こえ外に飛び出しました。近所の人たちも何事かと空を見上げています。5機が編隊を組んでの超低空飛行、2機による交差飛行、6機で円を描くアクロバットなどを目の当たりにしました。近所の方も「すごい音だね、落ちたらどうするんだろうね」と話していました。
市役所に抗議の電話をしたところ、「私は当直なのでわからない、月曜日に電話してほしい。」との対応。「ほかにも抗議の電話がかかってきていませんか?」との質問には、「いくつか問い合わせの電話はありましたが、『ブルーインパルスです』と説明したら、『そうですか』ということで終わりました。苦情をおっしゃったのはあなたが初めてです」との回答でした。
自衛隊に対しても電話をし、「何時から何時まで、何機が飛んでいるのですか」と聞いたら「14:50から15:10までで5機です」との回答(写真を撮っていたので確認したら少なくとも6機が同時に飛んでいました)。また、「今日は当直しかいないのでわかりません。明日は基地公開なので係の方が来ていますので明日電話してください。」とのことでした。「あなたは下請けの方で自衛隊の方ではないのですね。」と聞くと、「はい」とのこと。「あのような危険な飛行をしてもし事故などが起きた場合の体制はどのようになっているのか知らされてはいないのでしょうか」との質問には「すみません、わかりません」と困った様子でした。
住宅街でのアクロバット飛行による騒音と事故の危険、仮に事故が起きた場合の対策、市民への説明不足・・・などなど、旭川市と自衛隊の問題点はあげればきりがありません。」(西地域・女性)

【36】「確かに技術はすごいと思います。しかし、それは、事故が起きなかったからそう感想を書けますが、やってはいけないことだと思います。私の家は自衛隊にもひかくてき近いため真上を飛びました。1番ビックリしたのは、高度の低さです。機体がはっきり見えて手が届きそう。ハトなどの鳥よりも下を飛んでました。こんな市街地で絶対にやるべきじゃないです。許可した市に対して抗議します」(近文・女性)

【37】「すさまじいごう音に腹を立てた夫が、すぐ自衛隊に抗議の電話をした。『戦争でも始まったのかい!お祭りはいいが普天間の問題があるときにやるとはどういうことか!普天間は毎日だが、一日とは言え同じ事だ!音の迷惑かかる地域に事前に了解を得ているのか?』
 ①又次回も同じことをするのか、②もしやるなら事前に地域に賛成反対も含めて了解をきちんととること。
 以上2点について返事を求め、こちらの名前と電話を知らせた。かなり怒りにみちた電話で、受けた人も驚いたことと思う」(永山・女性)

【38】「旭川駐屯地に近い春光地区に住んでいます。ミシン掛けをしている時、突然大きな音がして驚きました。こんな音が沖縄では毎日毎時間続いているのかと思うと気の毒でなりません。負担(基地)は取り除くべきと思います。一機飛ばすのに相当な税金が使われています。その分を社会保障に回して欲しいです」(春光・女性)

【39】「6月13日(日)の昼前にものすごい轟音に驚きました。日常聞いている旅客機の音とはまるで違っていて、何事かと恐ろしくなりました。私は、事前に何も情報を得ていなくて、前日のことも外出していて、知りませんでした。夫は、前日にも戦闘機を見たそうです。そして、ヘリコプターなどが時々、飛んでいても通過するだけだったのに、何度も、旋回をして、我が家の頭上を飛び、戦争の恐怖を身に感じました。私は、戦争を体験したことはありませんが、こんなに、恐ろしく感じるとは、本当の戦争の時や、沖縄の人々は、どんなに辛く、命を縮ませて居ることでしょうか。怒りがわいてきます。許せません!戦争は、絶対に嫌です!戦闘機は必要ない!」(永山、女性)

【40】「6月12日と13日の2回にわたり、旭川上空でブルーインパルスが飛行した件について。
 聞くところによると、1982年、91年、2000年と、ブルーインパルスの事故があり、それぞれ死亡者が出ているとのことです。確かに、人によっては楽しみな催しかもしれませんが、仮に事故があった場合、大惨事になることは必至です。広大な平野、或いは、海上で飛行展示を行うのであれば理解できるのですが、30万人以上が住む、市街地上空でこのような飛行展示を行うのはどう考えても異常としか思えません。
 沖縄では、ヘリやジェットによる騒音に長い間苦しめられ、大規模な反対集会があり、民主党政権は公約を破ったとして鳩山さんが退陣させられたのはつい最近のことです。そんな沖縄の人々の感情を逆なでするように、楽しみとして軍用戦闘機による飛行展示を実施する、というのも、同じ日本に住む人間として優しさに欠ける行為であると思います。
 旭川の責任ある首長として、本来なら飛行展示を控えさせる、というのが本筋だと考えます。今回の飛行展示は、事故がなかった、という点においては無事でしたが、もう2度とこの町の上空で同じことをやってもらいたくありません。その事をお願いしたく書かせて頂きました(2児の母として)。」(春光・女性)

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書いている内容には事実誤認もあれば、素朴な怒りをぶつけている方もいます。それらはあえて訂正せず、そのまま掲載しました。もちろん自衛隊・旭川市に提出した際には「ここにこう書いてありますが、事実誤認であることは私たちも承知しています」と個別説明しています。ですので、声の一つひとつに対する揚げ足コメントはご遠慮ください。

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2010年2月13日 (土)

紀元二六七〇年(平成22年)建国記念の日奉祝の集い:見たまま聞いたまま

2010年の旭川「建国記念の日奉祝の集い」を見学してまいりました。

Sn3d1122 ■案内看板

今年もロワジールホテル旭川で開催されました。会場に着くと一般受付で「参加してもいいですか?」とこちらが質問する前に「アンケートにご記入下さい」と言われ、即座に記入。年齢と性別、この集会を何で知ったか?を書き、アンケートを渡すと資料と記念品が入った袋を渡され、「どうぞ」と。

Sn3d1132 ■配布資料

Sn3d1128 ■紅白餅

Sn3d1129 ■いつもの業者

Sn3d1130 ■開けてみると…

紅白饅頭を楽しみに帰宅後に開けてみたところ、今年は紅白餅。去年は饅頭ではなかったですか?(違っていたらごめんなさい)。そのせいか消費期限が去年より1日短い。空けたらそこに写真右のような紙片があって、「建国記念の日」「紀元節」についてアピールされている。

Sn3d1131 ■紀元節について

もちろん文中には、明治6年の最初の紀元節が1月29日であったこと(2月11日に大した根拠はない)などの記載はありませんでしたが…。

入場するとイス5席のテーブルがタテに10列、ヨコに4行で計200席。去年より入っているなーとの印象はありましたが司会席逆サイドの左側前方にポッカリ空席ゾーンが。全部で150名程度でしょうか。ほとんどが70-80代の男性。女性と青年の姿はポツポツ。みなスーツ姿ですから私のような私服姿は目立つ目立つ。最後列に着席すると、両隣のおじいさんたち、酒臭いったらありゃしない。既に一席終えてきた感。酒の勢いか私語や独り言も多い。彼らにとって厳粛な祝いの場ではなかったか?

集会の式次第は例年と同じ。以下にご紹介。

1開式の辞
2国家斉唱
3紀元節の歌
松式辞
5祝辞
6祝電披露
7来賓紹介
8聖寿万歳
竹閉式の辞

不吉な数字の「4」と「9」を松と竹に置き換えてます。私のような局外者が困ってしまうのは「国歌斉唱」と「聖寿万歳」。一応、見学に来たのであって祝いに来たのではないですが、場の空気を乱すのはいくら何でも失礼と思い起立拒否はしませんでした(まあ当然か)。

Sn3d1123 ■田下昌明氏

式辞は実行委員長で豊岡中央病院の理事長(だったか?)の田下昌明氏。長いので全部は紹介しませんが、印象的な部分を少しかいつまんで。
自民→民主への政権交代したが「然し乍ら只今、新政権はいたずらに迷走を続けているとの感が否めません」「そして夫婦別姓、外国人参政権など、国民が望んでもいないわが国を内部から崩壊させるような政策がすすめられようとしています」。
→望んでいる国民は多いです。何をもって「内部から崩壊」なのか抽象的でわかりません。
「わが国が如何なる国であるか、わが国はどういう歴史を辿ってきたのかを再確認するのが、かつては紀元節と称された今日の建国記念の日であります」。
→しかしその歴史とは「神話」なのですね。

祝辞には3人の方が紹介され発言していました。以下は山田メモなので省略等あります。

祝辞1人目:旭川商工会議所副会頭・松野和彦氏(旭薬調剤センター代表取締役)
会議所としての正式な祝辞はパンフレットにあるとおり。参照してください。私見ですが明治政府が明治5年に建国記念の日を紀元節として定め、欧米と交渉していった。そのおかげで今日がある。実に英断だったと思う。その結果、資源のない日本が世界に列することができた。
第2次世界大戦、東京裁判などあるが日本は決して悪くなかった。戦争に引き込まれたのだ。当時資源のなかった日本が強大になりすぎた。
戦後、これまで培ってきたことをすべて否定された。渡部昇一さんの2月10日発売の近著。渡部氏は右翼だが事実は事実としてもっともな記述。いま日本はあるけど日本人の心を持っている人が少なくなっているのではないか。これまでずっと培ってきた日本人の心、これを失うな、と。

Sn3d1124 ■今津寛氏

祝辞2人目:元防衛庁副長官・元衆院議員・今津寛氏
派遣切りされた人たちの問題、東京では派遣村に集った580人の半数が、支給された2万円を受け取ったら行方不明になったという。とても残念。日本人は本当は自分のためでなく人のために何かをなす。
いま旭川冬まつりにたくさんの客で会場は一杯。その雪像作りをあたりまえのように自衛隊がやっている。本来は国民を守る任務の自衛隊が、まつりのためにがんばっている。
政権が代わり自民党に厳しい批判がある。事業仕分けなど話題だが、同じことは自民党もやっていたが宣伝が民主党ほど上手ではなかった。その民主党、小沢幹事長に連れられて中国に143人の国会議員が行ってきた。北京で国家主席に面会するときの卑屈な姿、日本人として耐えられない。昨年の副主席来日の際のルール破りについても「構わない」との姿勢。その他にも外国人参政権の推進や夫婦別姓。護国神社のある街ですが、靖国神社参拝をやめて無宗教の施設をつくろうとの動きも。これらは日本人であることを根底から覆す。今の政権は日本人であることと相容れない。
自民党は謙虚に反省をしながら、懸命に努力をします。ぜひ叱咤激励してください。

Sn3d1127 ■冨樫勝行氏

祝辞3人目:陸上自衛隊第2師団副師団長兼旭川駐屯地司令・冨樫勝行氏
先人の知恵である礼儀正さなど、世界で高く評価されており、日本の誇りです。日本ならではの価値、日本の強さを忘れずにいたい。

ところで自衛官は皆、制服でこられていましたが、公務中ですか休暇中ですか?質問状を出す前にコメント欄に書き込んでいただけると助かります。

予定していた旭川市長西川将人氏の祝辞は公務欠席のためメッセージを司会者代読でした。ちなみに今津氏の祝辞中に出てくる派遣村の話は明らかに産経新聞の受け売りですが、あの報道には事実誤認があって確かに行方不明になった人もごく少数いたものの、他の人々は職を探していて門限(しかも早い!)までに施設に戻れなかっただけと後日判明したことまではフォローできていないようです。

祝電は3名の自民党国会議員からのみ。3名とは伊達忠一、山谷えり子、佐藤正久の各自民党参院議員。

Sn3d1136 ■パンフレットより

来賓紹介では参加している来賓が全員紹介されました。ここで興味深かったのは人数が昨年より一気に増えていることです。ここに参加者数微増のトリックが隠されているような気がしてなりません。というのも昨年まで来賓には加わっていなかった肩書きの方が加えられているのです。例えば「新しい歴史教科書をつくる会」の事務局を担うカルト団体として一部に有名な「キリストの幕屋」も加わっていました。学校法人桜岡学園名誉理事長とか自衛隊父兄会、陸士61期生会、桜会、日本女性の会とかわけのわからんものまで。そして見過ごせないのが自衛隊第2師団および駐屯地の各最先任上級曹長、そして駐屯地曹友会長。高級幹部のみならず、曹士クラスにまで触手を伸ばそうという靖国派の延命大作戦とみました。会場には制服姿の自衛官が何人かいましたが、みな来賓のひとがたでしょう。来賓にせねば来ない、ということでしょうか。

毎年なんですが、自民党や保守系議員ばかりがずらずら並ぶ中、民主党市議会議員・岩崎正則前議長が来賓参加しています。今年も名前を呼ばれて、立ち上がって挨拶していました。市政通の知人に聞いたところ、岩崎氏は根っからの「そういう人」みたいです。

一つ疑問もありました。昨年まで「聖寿万歳」を行っていた旭川ペインクリニックの的場光昭氏が来賓として参加していない様子。これは驚きました。きっと的場氏ならば、何を置いても予定を空けることでしょう。もしかすれば出席はしていたのかもしれませんが、それなら更に疑問です。来賓ではなかったということですから。

Sn3d1134 Sn3d1133

例えば今津寛氏が来賓として参加していることは関係していないでしょうか。国会でのアイヌの先住民族決議で今津氏がとりまとめをしたことに、的場氏は相当噛み付いています。この問題では的場氏、田下氏、比布神社の鎌田告人宮司の3名が歩調を同じくしています。田下氏は実行委員長として今津氏を招かないわけにはいかない。しかし的場氏は…、そんな構図でしょうか。「思い込みも甚だしい」と笑われるかもしれませんが(苦笑)

式は2時に開会し、予定をオーバーして2時40分に終了。10分休憩の後に2時50分から記念講演があったのですが、残念、山田、欠かせない用向きのため講演部分は欠席いたしました。今年は「日本地雷処理を支援する会」(JMAS)理事の出田孝二氏がカンボジアにおける平和構築について講演する予定でしたので、本来の意味で楽しみだったのです。自衛官OBでつくるNGOだとしても、外から見る限りJMASの地雷除去活動は意味のあるものと見受けられます。例えば小松製作所との単独協力体制になっていることなどから背後に何かあるのか、とか、自衛官の天下り先になってやしないか、とか、勘ぐるべきではない(苦笑)と思ったり。現地の人に役立つ支援ができていれば一定の評価はあってよいと思います。なので聞きたかったのになー。

ちなみに講師の出田氏、最終階級は陸将補で陸上自衛隊施設学校長まで昇った陸自幹部でした。パンフレットに掲載されている写真を見て、友人は「作業服に大工刈だね」と言ってました。人となりばかりはわかりません。

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2010年2月 9日 (火)

【告知】2010年東アジア共同ワークショップin札幌

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2010年冬・東アジア共同ワークショップin札幌
シンポジウム
「レイシズムを越えて ~私たちが創る東アジアの和解と連帯」
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■日 時 2010年2月21日(日) 13:00開始

■場 所 本願寺札幌別院・ホール
(札幌市中央区北3条西19丁目2-1)
地下鉄「西18丁目」下車、北へ徒歩5分

■内 容
時代が閉塞してくると、異なるものを排除することで自分を守ろうとする人々が出てきます。現代日本にもそのような様相が頭をもたげてきました。韓国併合から100年の年を迎えて、新しい東アジアを展望するには、流れに身を任せていてはおぼつかないようです。
第1部シンポジウムではテッサ・モリス=スズキさんをお迎えして、「グローバル化するレーシズム、越境する対話 ―21世紀的人種差別の克服に向けて」と題して基調報告をいただきます。
第2部ワークショップでは、国内外の参加者によるディスカッションを中心に、未来を創造する和解と共同の道をさぐる企画を準備しました。多彩なアーティストによるミニコンサートも。
レイシズム(人種差別)の横行する現代をみつめ、共にのり越えていく出会いの場、2010年冬の「東アジア共同ワークショップ」にお出掛けください。

■第1部 シンポジウム 13:00~17:00 事前申込不要
 第2部 ワークショップ 17:00~ 事前申込。布団代負担で宿泊可。

13:00 開 会

■報告者:
・小野寺真人さん(京都府立大学大学院生)
 空知民衆史講座韓国聞き取り調査から
・金有變さん(北海道朝鮮初中高級学校教員)
 北海道朝鮮学校からの報告
・金英丸さん(平和博物館学芸員)
 現代韓国のレイシズム
・塚田高哉さん(ミュージシャン・東川町)
 東川の強制労働と韓国の遺族

13:20~15:00

■講演:テッサ・モリス=スズキさん(オーストラリア国立大学教授)
「グローバル化するレーシズム、越境する対話 ―21世紀的人種差別の克服に向けて」

15;00~
質疑応答 16:10~
17:00~ワークショップ・ディスカッション
19:00~懇親会・コンサート


■全体参加費(シンポ~ワークショップ通し)
青年・学生 3,000円(夕食懇親会費を含む)
社 会 人 5,000円(夕食懇親会費を含む)
■第1部のみ参加費(シンポジウム)
青年・学生 1,000円(資料代含む、高校生以下は別途検討します。)
社 会 人 2,000円(資料代含む)
■宿泊 希望者は20日、21日の宿泊(札幌別院)が可能。要事前申込。
一泊2,000円(布団代・別院宿泊費)
第1部のみの参加は申し込み不要ですが、全体参加には事前申し込みをしてください。  

■ご参加ご支援の輪でワークショップを支えて下さい!
 日本各地や海外からも若者が集います。出会いを支えるため、皆様のご参加、ご支援を宜しくお願いいたします。第1部のシンポジウムのみのご参加も歓迎いたします。
・当日カンパも募ります。
・郵便振替:02870-6-22154 (名義:空知民衆史講座)

その他、日程や宿泊等の詳細は事務局まで。

■問い合わせ先
東アジア共同ワークショップ委員会
空知民衆史講座 事務局(殿平 真)
郵便振替:02870-6-22154 (名義:空知民衆史講座)
〒074-0141 深川市多度志630一乗寺気付
TEL:0164-27-2359 FAX:27-2890
rainsky@yahoo.co.jp

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報告者のお一人、塚田タカヤさんからご案内いただきました。
私たちも関心あるテーマです。
多くの市民の参加を呼びかけます。

2010年2月9日
旭川平和委員会

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2009年12月 1日 (火)

旭橋に貼られた「鎮護」の札

旭川市内中心部、石狩川に架かっている「旭橋」。昭和7年に完成し、かつて旧陸軍第七師団の兵士たちが軍靴を鳴らして出兵していった当時を知る貴重な戦争遺産であり、今なお現役の橋として旭川市民の日常を支えています。今回、旭橋の塗装大工事が行われ、これまで重ね塗りされてきたペンキがすべて剥がされ、新たに塗りなおされました。

その際、ペンキを全部剥がしてみたら橋桁の常盤通側に「鎮護」の札(銅板)が新たに発見されたそうです。

Pc010002 ■あさひかわ新聞

上の写真は2009年12月1日付あさひかわ新聞の記事ですが、第一報は11月中旬発行の雑誌『北海道経済』で知りました。現・旭橋が完成した昭和7年当時、北海道護国神社は無く、上川神社でははっきりわからないと『北海道経済』の記事でしたが、その後判明したらしく、「あさひかわ新聞」では「上川神社が取り付けたものであることが、橋渡式の祝詞の記録から判明」したと書かれています。

せっかくなのでぜひ実物を見たい、と某日早朝にでかけてきました。まず住宅地図の現地周辺をご覧ください。この地図の記号を使って説明します。

Pc010003 ■住宅地図より

地図を上側に国道40号線をすすむと比布方面、下側がロータリーを経て旭川駅方面です。「鎮護」の札が見つかったのは最初②のあたりかと思ったのですが、『北海道経済』の記事を正確に読むと①であることがわかりました。

Sn3d0934 ■朝日浴びる旭橋

上の写真左側の橋桁に黒いプレートが貼ってあります。まずはここから拝見しました。

Sn3d0926 ■「旭橋概要」

これには旭橋の基本データが記録されていました。昭和4年11月に着工して昭和7年11月に完成。実に3年がかりの大工事だったのですね。後で見た旭橋について説明した看板によればこの場所には4度架橋しているそうで、3年かかってつくったこの橋が、戦争もくぐり抜け77年後の今まで残るとはよほど頑丈に作ったのでしょう。

北海道開発局旭川道路事務所のサイトに詳しい歴史が書かれていますが、総工費約104万円、現在の価格に換算すれば約28億円もの費用がかかったそうです。

■北海道開発局旭川道路事務所「旭橋」
http://www.as.hkd.mlit.go.jp/road1/asdj/asahibashi/index.html

このサイトの「旭橋のあゆみ」はなかなか面白いです。

さて、当の「鎮護」の札はこの黒いプレートの鉄骨を挟んで裏側、地図①の場所に②方向に向いて貼られていました。

Sn3d0929 ■「鎮護」札

正確には旧字体の「鎮」ですが、ここではご容赦を。

「あさひかわ新聞」の記事では「橋建設の安全と、第七師団がある関係から、北の脅威から橋を守ることを願ったものではないか」と関係者の話を紹介していますが、それならば地図②の部分に貼ってもよかったのではないか、と思います。陸上自衛隊旭川駐屯地に建つ北鎮記念館の平塚清隆館長(自衛官)は「北からの護りとともに、出征する兵士への安全祈願の意味もあったのでは」と非公式ながら見解を述べられていました。それは大いにあり得ることと思いますが、それでも①であることの説明力は不足しています。なぜ常盤通側だったのでしょうか?

ちなみにこの「鎮護」札、縦18センチ、横9センチ、厚さ1ミリの銅板だそうです。同じく「あさひかわ新聞」の関係者の話では「旭橋は完成後、ほぼ10年おきに塗り替えられてきました。多分、2回目の塗り替えの時、間違って札の上から塗ってしまったのでしょう」と推察しています。昭和7年に完成して、1回目の塗り替えが昭和17年ごろ、2回目が昭和27年ごろだと推定すると、戦後の混乱期のことでもありますしそういう可能性もあるかも、くらいには思いますが何ともいえませんね。意図的に塗りこんだ、という説はありえないでしょうか。そもそも構造上、なぜこんなにも目立たない場所に貼ってあるのだろう、と思いました。ですから逆に目立たなくさせたい。北方からの何か恐ろしいものから街を護る最後の砦として「隠れ守護札」のように最初から塗りこまれていたという可能性はありませんか?こちらも何の根拠も無い推測に過ぎません。

Sn3d0931 ■側面のプレート

上で紹介した黒いプレートや「鎮護」札の側面には「昭和六年 汽車製造株式会社 製作」というプレートがありました。すこーしだけ調べてみたら、汽車製造株式会社は明治29年から昭和47年まで存在した文字通り機関車等の製造会社でした。その後は川崎重工業に吸収されて消滅していますが、現在川崎重工は軍事産業として多くの軍事関係品を生産しており、例えば旭川駐屯地第2飛行隊も所有するヘリコプターのOH-6も生産しており、旭橋の上を飛んでいます。

橋の建設は早くから手がけていたようで1912年ごろ(大正初期)から初期の製作記録があり、旭橋がつくられた1930年代あたりは大量の橋をつくっています。戦後は1959年とかそういう時期まで。ですから汽車製造と共に橋梁製作も事業の柱の一つとしてあったのでしょうね。ちょっと調べただけですからよくわかりませんが汽車製造株式会社製作のもので全国で40数例の橋が現在も架かっており、関西が多いのですが例えば東京の隅田川にかかっている駒形橋という橋が同じ汽車製造株式会社の製品でした。昭和2年に製作されたものです。

A50031 ■駒形橋

A5003 ■駒形橋一般図

さて話を旭橋に戻しまして、「北海道遺産」にも指定されたこの旭橋ですが、昭和31年までは路面電車の軌道が敷かれ、旧師団のさらに向こう側まで路面電車が通っていたそうです。そのため片側一車線の車両通行部分以外に電気軌道用のスペースがあって、現在だと片側二車線には狭いけど一車線では微妙に広くて、時々車両が並行して走ったりしていますね。

Sn3d0935 ■朝日に映える旭橋

そんなことを考えながら記録しているうちに旭橋にオレンジ色の朝日があたり美しい全景が目に飛び込んできました。曇り空が玉に傷ですが、塗装工事を終えてすっきりした旭橋です。今後も情報にはアンテナをたてていきます。

■北海道新聞ウェブの「鎮護」札、再設置記事
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/201838.html

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