例会・活動報告

2008年4月14日 (月)

上富良野演習場外の国立公園散策フィールドワーク

旭川平和委員会青年部では、3月8日付北海道新聞の記事をうけて陸上自衛隊上富良野演習場の国立公園への拡張問題の現場を調べるため現地フィールドワーク(FW)を行いました。FWには地元の地形や自然、動植物について見識をおもちの自然保護団体メンバーの方に趣旨を説明の上、ご協力いただき、同行していただきました。

0002 以下は、参加した青年部員U・Nさんのレポートです。レポート中にあるように、私たちの現地FWは結果として上富良野演習場の拡張地域に足を踏み込んだことになります。私たちの目的は演習場用地に管理者の意に反して「不法侵入」することではなく、演習場エリアの外から周辺地域の様子を確認することにあります。よって陸上自衛隊上富良野駐屯地に問い合わせたところ札幌防衛局にまわされ、札幌防衛局は「地図は無い」と返答される(自然保護団体A氏談)など無責任な態度に終始しました。仕方なく、道新記事の図を参考におおよその演習場地域を地図上におとし、その周辺には踏み込まないよう注意して現地FWを行いました。現地に林野庁の標識があったことなどから、FW後、林野庁南部森林管理署に問い合わせたところ、詳細図のカラーコピーを提供いただきました。この地図を私たちの行動軌跡に落としたところ、結果として演習場拡張エリアを歩き回っていたことがわかりました。これは意図した行為ではないことを明記しておきます。〈山田〉

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さわやかな朝が台無しに・・・。

3月8日、道新朝刊をみてびっくり。自然あふれる国立公園が演習場になっているなんて!(当会ブログの該当記事参照)。驚きもつかのま、上富良野駐屯地の無責任で理不尽なコメントに、あ然。実際入山者はいるというのに、あっさり「立入禁止広報するつもりはない」。挙句、「(入山者は)勝手に入った」と・・・。私達国民の公園を“勝手に”演習場にしたのは、そちらでしょ? よく登山をする知人に尋ねたら、記事にもあるように「山スキーヤーなどなら、その区域に入ることは普通にありうる」といいました。「国立公園内に(実弾射撃が)着弾した例は無い」(駐屯地)からというのか、人命に関わることに対してこんな軽率な人が、国民の命を「守ってくれる」という自衛隊さんだなんてとても不安です。

自衛隊さんの代わりに(?)現場確認に行ってきました!

私たちからすれば問題だらけの国立公園買収。少なくとも駐屯地が「(市民が入山している)事実は把握していない」というなら私たちが確認してこよう!というわけで、私たちはある日の早朝、現場へ行ってきました。

さて私たちはいちおう演習場に侵入しないよう、その周辺を歩かなければなりません。頼りは道新記事から推測した演習場と他の国有林の境界線を記した地図と、我々の足跡を記録してくれる高性能GPS、そしてそのあたりの山をよく知るAさん。現場は標高1000mあたり。全員スノーシュー&スキーストックで、さあゴー!

P3290004copy ■出発地点にて

前夜からの雪が木の枝にうっすらと降り積もり、きれい。下を見ればかわいらしいテンの足跡があります。またスキー跡は何度も。スノーシューツアーの一行の足跡もありました。順調にすすんで40分後、ある一本の木の幹に何やら赤色のしるしが!マーカー(ペンキ?)で塗ってありました。みんな「!?」と覗き込んでみると、マーカー部分に林野庁の小さなプレートが貼ってあり、そこには【境界見出し 防○○○○(番号)】の文字。「【防】ってなに?」「防衛省の防?」「これってもしや演習場との境界のしるし?」と、にわかに騒然となりました。周囲を探索しましたが、同様のしるしはその一ヶ所のみ。私たちは憶測を抱きながらも、そのしるしが演習場の目印だとして奥に立ち入らないようにしながら外郭を歩くよう先をすすみました。

P3290010copy ■なんだこりゃ

P3290009 ■これがプレート

途中、お菓子の「きのこの山」みたいなかわいい木を発見。その近くで昼食をとり、帰り道に二ヶ所目の林野庁の【防】プレートをみつけました。これも演習場との境目だとすれば私たちは演習場の中を歩いてきたことになります。「こんな林道ちかくまで演習場が拡張されたはずはないよ」「そもそも【防】は防衛省と違うんじゃないか」などの声も。旭川に戻ったら【境界見出し 防】の正体と、正確な境界線を確認せねばなりません。最後、スノーシューが川に流されかけるというハプニングもありましたが(笑)、みな冬山トレッキング+その後の温泉(吹上温泉)♪を大満喫しました。

P3290030copy ■二ヶ所目のプレート

出入り自由(?)の演習場

一週間後、Aさんが林野庁から正確な境界線(下図のオレンジ線)を記した地図を取り寄せてくれました。それを【境界見出し 防】プレートのあった二ヶ所とあてはめると、ピッタリ!やはり【防】は演習場と国有林(林野庁管理)との境界のしるしだったということがわかりました。さらに地図に私たちの足跡(GPS軌跡→下図の緑線)をあてはめてみると、私たち演習場内をかなりウロウロしていたことがわかりました。そこでカップラーメンまで食べてしまいました。まるで自衛隊の冬山訓練のようです。推測した範囲が実際とずれていたのです。

20080329__ver2 ■ピンク線は推測した拡張地

20080329__ver4 ■全体像

私たちが通ったルートは“険しい地形”ではありませんでした。実際、正確な地図をもとに明らかになった演習場拡張エリアやその付近にはスキーで滑ったあとがいくつかありました。要は、山スキーヤーや登山者は演習場内にいとも簡単に立ち入ってしまえることです。しかもそこは着弾地の近く。やはり危険です。何事か起きる前に、国はまず安全対策すべきです。

素晴らしい自然のなかで感じたこと

トレッキングの途中、天然記念物のクマゲラがつついてぼっこりと穴があいた採餌木(※)がありました。クマゲラの威力すごい!演習場内にも当然ながら動物達が一生懸命暮らしていることがわかります。老いた大木の幹の皮が一枚一枚剥がれかけて模様をつくっているのも、味わい深いものがあります。人間でいえばわが町の長老様といったかんじ。今は静かに暮らす森の主なのでしょう。木々の合間を通り、透き通るような雪原を歩むにつれ、自然の威厳を強く感じます。(※さいじもく:鳥類が餌を採るための木。餌となる虫が樹皮の下に潜んでいるために木をつついてそれを食す)

P3290023 ■採餌木①

P3290028 ■採餌木②(地図の地点)

309 ■クマゲラ

演習砲弾の爆音や振動が、公園内に住む動物・植物達の生活にどう影響しているのか知りたいと思いました。また、国立公園は「自然公園法」に基づいて保護・管理されているとのことです。「自然公園法」がこの地域で果たして生かされ守られているのかということも、今回の件を含め学んでいきたいです。

またみんなで山へいきたいですね。ただそれも健やかな自然があるからこそできること。残念ながら今も森を壊し続ける人間がいます。私たちは平和とともに森を守っていきたいです。

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この問題は今後も調査しレポートしていきたいと思います。過日、第2回目の現地調査が行われました。そこでは営巣木こそ確認できなかったものの、真新しい採餌木が何ヶ所も確認され、Aさんからは別のキツツキと思われるドラミングを何回も聞いたと報告頂きました。

クマゲラ-wikipedia

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2008年3月27日 (木)

「イラク開戦5年『海外派兵恒久法』学習会」に参加して

Dscf2823 2008年3月21日、旭川平和4団体(旭川平和委員会、道北原水協、安保破棄旭川実行委、旭労連)主催でイラク戦争開始から5年の節目を忘れず、アメリカの戦争に協力していく日本のあり方に疑問を対置する「自衛隊海外派兵恒久法」学習会が開催され、30名の市民が集まりました。講師には北海道平和委員会理事長で弁護士の石田明義さん(北海道合同弁護士事務所)が駆けつけてくださり、貴重なお話を伺いしました。

Dscf2826 現在、マスコミ報道では福田首相が今国会に「恒久法」を上程したい旨表明し、遅くとも年内の臨時国会での成立を視野にいれていることが報じられています。政府がこのように急ぐ背景には、「恒久法」づくりで民主党までが推進の立場をとっているうちに、そして2009年1月に新テロ特措法(いわゆる「補給法」)が期限切れになるまえにレールを敷いてしまおうということです。これは「戦争への一里塚」どころの話ではありません。日本国憲法第9条を骨抜きにし、9条改憲ができなくともどんどん海外に出て行き戦争できるようにする法律、それが「海外派兵恒久法」なのです。

参加したわが青年部のS・Sさんは「こんな大変な法律が国会に出ているとは知りませんでした。これでは、たとえ憲法9条があったとしても海外派兵恒久法が出来たらなんでもありじゃん!ということですよね。福田さんって、ぼよんとした顔してるけど、陰ではひどいことをやってる人なんだって、わかりました。あの雰囲気にだまされないようにしないと!」と感想を寄せてくれました。

問題は、学習会への参加者が30名出会ったことも含め、平和を求める人々の間で「自衛隊海外派兵恒久法」の危険な中身が知られていないことです。民主党案も含めて問題は山積みにもかかわらず、民主党は美辞麗句を重ね、「新テロ特措法」対案の法提案者に護憲派議員を並べることで党内護憲派の口を塞ごうとしているように思えます。自民・民主の2大政党がめざす「恒久法」の危険性について、立場の違いを超えて学んでいく必要があると思います。

以前もご紹介しましたが、日本平和委員会がこの問題についての安価なパンフレットを作成しました。メールでご連絡いただければお届けしますので、ぜひご一読ください。

Photo ▼1冊150円(送料別)支払いは郵便振替または切手返送など要相談

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2008年3月20日 (木)

2008年3月例会:北鎮記念館見学会

陸上自衛隊旭川駐屯地内に建つ広報施設「北鎮記念館」。先日、2007年6月新装オープン以来の入館者数が3万人を超えたと第2師団公式サイトが記していました。旧館は年間約1万人だったそうですから、このままのペースでいけば4倍の4万人ほどの入館者数になるかもしれません。初年度ということで多いのだろうと思いますが、それでも恒常的に3万人くらいが入館するとなれば、影響力も大きいです。とりわけ、子ども達への影響が心配な施設。「まだ見てない」というメンバーもいましたので、3月例会は北鎮記念館見学会と題してみてきました。ここでは北鎮記念館への「論評」というのではなく、見学会の感想ノート的な報告にしたいと思います。

3月のとある日、参加したのはメンバー5名に非会員2名の計7名。メンバーが企画を知らせると「ぜひ参加してみたい」と急きょ駆けつけてくれた人。実は他にもとある中学校教員の友人から「参加したかったが、出張で旭川不在だった」との残念そうな声。一人ではなかなか行く気になれないけど、気になる存在、というのが北鎮記念館のイメージのようです。

P3090003 さっそく館へ入ります。参加者の足は入口で早くも止まり、じっと説明を読む。このペースなら閉館までかかちゃう、と促して中へ。いつもそうですが、入ると1階中央の「第七師団史」コーナーのところで説明をしてくれます。ほぼ同じ説明、私は何度聞いたことだろうか。そこから順路の2階へと促されます。今回は説明の自衛官氏はついてこなかったのですが、メンバーが「詳しい説明をちゃんと聞きたい」と言い、私もそのようが良いと思ったので言いだしっぺの人が依頼しに行き、自衛官氏とともに戻ってきました。

P3090014 メイン展示の2階は原則的には時系列に展示がなされています。スタートは旭川開拓。2007年6月の第2師団創立行事で西川市長が「開拓の歴史は北鎮記念館」のようなことを演説してましたが、どうやら一つの売りにしているようです。見学会後の感想交流では、「旭川の歴史なら旭川市博物館(神楽、大雪クリスタルホールにある)の方がよいのでは」や「アイヌ迫害の歴史は何もわからない」などの感想が出されました。また「屯田兵→第七師団→第2師団を『流れ』として見せて、旭川の歴史をつくってきたのは軍だ、と言っているようで納得できない」との意見もありました。

P3090044 続いて目を引くのは日露戦争コーナー。ここは旧館よりも全体のうちの構成比率を増しているのではないかと感じるコーナーで、2階で唯一の映像資料がある場所です。日露戦争は「最後の勝った戦争の記憶」ということで、何年前かの日露戦争100年のときはテレビや雑誌などでも随分取り上げられ、靖国派もとにかく日露を語る、という頃がありました。その影響を色濃く受け継いでいる印象このコーナーでは、自衛官氏の説明も力を帯びます。映像資料は4分ほどのDVDですが、日本の権益を守るため仕方なく戦争をした、との印象を強く受けます。テロップでそういう解説も為されます。たたかって、勝って、帰ってきたと、そういう映像なんですが、そこには朝鮮半島や中国の人々の思いや生活は一切感じられない内容なんです。感想交流でも「日本とロシアの権益の話ばかりだったけど、占領されていた場所で元来生活していたひとのことが語られないのは靖国DVD『誇り』と同じだった」との声もありました。

P3090062 ノモンハン事件やアッツ・ガダルカナルあたりで戦局が怪しくなってくるに従い、自衛官氏の説明も怪しさを帯びてきます。つまり、オカルト的な色彩を帯び始めるのです。例えば、ノモンハンで全滅した部隊の遺骨が戻ってきたとき、その部隊の隊舎の前にいるはずもない歩哨が勢ぞろいして「ささげ銃」をした、だとか、アッツ玉砕のときは隣のキスカ島の残存兵を収容する船がアッツ島近くを通りかかった際、日本兵は誰もいないはずのアッツ島から「万歳、万歳」の声が聞こえたとか、まあそういう類の話が3-4例紹介されました。感想交流では「国が運営し子どもらがよく聞きに来る施設で、科学的根拠のない話をいかにも実話かのように説明するのは問題ではないか」との声も出されました。

P3090061 いわゆる太平洋戦争あたりの展示では館内すべて「大東亜戦争」の呼称が使われています。感想交流で指摘がありましたが、1階の自衛隊コーナーにあった年表でも第一次大戦の部分には「WW1」の記載があるにもかかわらず、第二次大戦の部分はわざわざ「大東亜戦争」と書かれていたとか。これについて私は説明を受けるたびに「なぜ大東亜戦争と書いてあるのですか?」と質問しています。もちろん毎回、説明してくれる自衛官は異なる人です。最初の自衛官A氏は「勉強不足でわかりません。調べておきます」と率直に言っておられました。このときは好感持てました(今度会ったら聞きたいと思います)。B氏は「地理的な特徴に注目した呼び名なんです」と説明しました。中国からアジア方面での戦争、その地理的特徴をわかりやすくするためだ、というのです。何か納得しそうですが、ではなぜ「大」をつけねばならぬのか筋は通っていません。そして今回の自衛官氏は「第七師団など旧陸軍がそう呼んでいたからです」と答えました。確かに旧陸軍は大東亜戦争と呼称していました。「では海上自衛隊の広報施設では太平洋戦争と呼称しますか?」と聞いたら「わかりません」と聞き流されました。旧海軍は太平洋戦争と呼称を主張していたのです。しかしその理由は、国民のなかに抵抗感のある「大東亜戦争」呼称をわざわざ使う理由としてははっきりしません。納得するまで聞いていきたいと思います。

P3090069 前回来たとき質問したのですが沖縄戦の展示がほとんどないのです。その時は「旧第七師団に関する展示をしているのですが、沖縄に派遣されたのは別の師団に再編成されて派遣されたのでここでは扱う対象ではない」との回答でした。しかし、「ああ沖縄戦」という新聞記事のスクラップは一つ展示されているのです。今回は前もって同様の説明がなされました。前回質問をうけて説明マニュアル(があるのではないかと推察している)が改訂されたものと思われます。それにしても、沖縄に派遣された部隊のことだけズバット欠落させているのはどうなんでしょうか?遺族の方々からの提供がなかったのでしょうか?沖縄戦では軍による住民虐殺が行われたとの証言があり、その地域には第七師団から再編された24師団がいたからなのでしょうか?真実はわかりません。

P3090081 最後のあたりに、なぜか海軍コーナーがあります。沖縄戦での説明と食い違いがあるのは何故でしょう。旭川縁の人がいたというなら、沖縄戦こそ紹介すべきなのに。それは置いといて、ここでは加藤建夫少将が大きなブースで紹介されています。ノモンハン事件などもそうですが、旧館で行われていた事件や部隊の紹介、という角度から、人物に光をあてて紹介する「パーソナル・ヒストリー」の手法が随分と取り入れられているように思います。以前、某高校の生徒グループが見学していたとき、5-6名の高校生に対し説明の自衛官が二人も付き添って、この加藤隼戦闘隊コーナーで「この人は旭川出身なんだ。旭川にはこんなにも立派な先輩がいたんだよ、すごいでしょう」という趣旨(正確には覚えてません)の説明をしていました。こういう手法の展示の方が、感情移入しやすいということなのでしょうか。

P6170010 全体を見学して2階で唯一説明をうけなかったコーナーがあることに気が付きました。他の参加者はみな初めてでもあったので気が付きませんでしたが、「226事件」コーナーについては説明されませんでした。なぜなのでしょうか?順路的に通過してしまう位置にあります。この配置自体が意図されたものなのかと勘ぐってしまいます。旧軍の汚点的な展示は、極力知らせまいという意図なのか?それはわかりません。

1階に下りてきて自衛隊コーナーと文学コーナーを見学。自衛隊コーナーには海外派兵ブースがありますが、ここの説明で自衛官氏は自衛隊のイラク派遣を「イラク派兵」と公言していました。私達としては「GJ」(グッジョブ)ってかんじですが、自衛隊的にはよいのでしょうか?ここでこんなことを書かなければ問題ないのでしょうが。

P3090097 旧館になかった(というか極小さかった)ものに売店があります。旧館では入口に自衛隊グッズが数点置かれていて売ってくれましたが(パンの缶詰、買いましたよ)、新館では自衛隊と商工会議所のコラボ=NPO法人「北鎮友の会」が運営する売店があります。オリジナル商品が置いてあり、売上はどうなのでしょうか。年間3万人も来ればかなり売れるのではないでしょうか。

以上が今回の見学会の概要でした。もちろん簡単な報告ですので指摘漏れの部分はたくさんあります。全体的な展示の問題として「旧軍を受け継いでいる」との指摘もありました。2時間の見学後、場所を移して1時間半ほど感想を交流しました。「ただ見るだけでは誤解ばかりが残る」との声もありました。学校単位での見学に疑問をもちつつも、少なくとも子どもらを連れて行くなら、事前事後学習をしっかりやって、戦前・戦後のことを学ばないと平和を育む教育にならないのでは、との声が多かったです。しかし学校現場の先生達は忙しすぎて難しいことはできないのではないか、などの意見も。

P3090099 子ども達は広報官らの一番の「狙い」なんだろうと思います。子ども達に迷彩グッズを身に着けさせての記念撮影コーナーもありました。子ども達には「カッコイイ」と見せている銃や戦車をバーンと撃ったら、罪も無い人や敵の兵隊が傷つき死ぬんだということを知らせねばなりません。それが教育というのではないでしょうか。そっか、広報施設だからね・・・。

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2008年3月18日 (火)

2008年の「3・8国際女性デー旭川集会」に参加して

3・8国際女性デー旭川集会2008/なくそう!格差と貧困輝かせよう!世界の宝・憲法9条/2008.3.8(土)/主催 2008年実行委員会

Dscf1474 毎年旭川市長から祝電が届いていたそうなのですが、今年は届きませんでした。例年と会場が違ったので手違いがあったのか、故意なのか、気になるところです。集会の終わりに、沖縄の「米兵の女子中学生暴行に抗議し、日米地位協定の抜本的見直しを求める決議」が採択されました。

講演 「沖縄戦と教科書検定」

講師 河合剛俊さん(歴史教育者協議会会員。元高校教諭

Dscf1477

1、集団自決体験者の証言

冒頭で集団自決体験者の証言のドキュメンタリー映像が流されました。日本軍に殺害された集落の生き残りの方の証言です。

・当時3歳の女性「集団自決の際、母親の陰に隠れていて助かった。こっそり逃げていく人がいたのをみて、兄とともに逃げた。」

「山中に逃げ延び、米軍の配給などで暮らしていると、日本兵がやってきて、俺たちだってろくなものたべてないのに、どうしてお前たちがこんないいもの食べているんだといって、父親を連れて行き、日の丸だといって膝の皮を丸くくり抜かれて帰ってきた。」

この方が体験を語り始めたのはごく最近で「このままでは事実が消え去ってしまう」と感じ、自分が体験者であると名乗り出たそうです。

・当時28歳の女性。家族を5人殺された。夜中に日本兵が10人ほど家に押し入ってきて、まず集落の男性が全て連れて行かれた。連れて行かれるときに、殺されると感じた。そのあと、残っていた女性と子供が海岸に一列に並べられ、向かい合った日本兵の手から手榴弾が投げた。自分は最前列にいて伏せたので、一命をとりとめたが、振り返ると、誰のものかもわからない、手や首がちらばっっていて、4歳くらいの女の子が血まみれになっていた。日本兵が帰ったあと、集落の木に縛り付けられて惨殺された村の男性の遺体を見た。ナイフで何箇所も刺され酷い姿だった。

2、沖縄戦の特徴

沖縄戦では唯一日本に米軍が上陸し地上戦が行われたこと、日本軍が日本の民間人を虐殺したこと。

3、2008年用歴史教科書検定結果について

文科省は集団自決について記述のある全ての教科書に対し、沖縄戦の実態について誤解を与える表現であるという意見を付した。集団自決が日本軍によるものではなく、住民の自発的なものであるよう書き換えを強制した。この検定意見の根拠は「直接的な軍の命令を示す根拠が確認できない」としている。

4、通説と根拠

沖縄の悲劇がなぜおきたのか、体験者の証言などをもとに研究されてきた結果、「日本軍の「軍官民共生共死」という基本方針のもと敵の捕虜になることの禁止が徹底され、軍が手榴弾を配布し、あるときは役場職員を介して自決指示を出したなどの事実が明らかになった。それにより、軍が直接住民にその場で自決命令を発したか否かにかかわりなく、「集団自決」がまさに日本軍に強制・誘導されたものであったことが明確になったのである。日本軍が存在しなかったところでは「集団自決」がおきていないこともそのことを証明している。」

ここで河合先生は、手榴弾は軍にしか渡されていなかったのに、手榴弾で自決したのだから、軍がわたした=強制したと取れる。「米軍の捕虜になるとひどい目にあう」と話していた日本兵は、アジア諸国の人々をつい最近まで「ひどい目」にあわせてきたのだから、生々しい話ができたのではないか、と話されていました。

5、歴史教科書検定の歴史

・1982年の近隣諸国条項

歴史教科書について「政府の責任において是正」「アジア諸国の近代史の記述に国際理解と国際協調の見地から必要な配慮をする。」「沖縄の県民感情に配慮する」と、沖縄戦について記述する流れができる。

・1983年に4度書き換えられた教科書

1983年の高校用歴史教科書には沖縄戦の解説として日本軍の住民殺害について記述する原稿が出されたが文部省の検定によって、削除された。以下資料から抜粋。

原文「戦闘の邪魔になるなどの理由で約800人の沖縄県民が日本軍の手で殺害された」

→ 文部省、数字に根拠がないとして書き換え命令。

一次修正文「スパイ行為をしたなどの理由で、日本軍の手で殺害された県民の例もあった」

二次修正文「混乱をきわめた戦場では、友軍による犠牲者も少なくなかった」

三次修正文「沖縄県史では戦場の混乱のなかで、日本軍によって犠牲者となった県民の例もあげられている」

→ 文部省「検定制度を取り違えてませんか」

四次修正文 日本軍による殺害の記述なし

→ 検定パス

・1984年文部省が「集団自決」とかかせた。これに対し、「自決」という言葉で記載するのはおかしいとして裁判が起きる。

この家永教科書裁判で、法廷で現地住民の証言により集団自決の実態が明らかになっていく。家永教科書裁判第3次訴訟最高裁判決では「集団自決」と記述することを認めながらも、「集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体のあり方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのはあたらないとするのが一般的であったというのである」「集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切ではないとの指摘もあることは原審の認定するところである」と沖縄側の証人の主張を認めた。これ以降、「集団自決」が日本軍によって強制されたものであることは研究者の間でも定説となり、多くの教科書にも書かれてきた。

6、記述修正の背景

  自由主義史観研究会の「沖縄プロジェクト」2005

「今回の調査で軍命による集団自決が虚構である証拠をつかめたのが、現実の教科書に軍命説がいまだに書かれている現状をあらためなければならない」と述べている。

・大江・岩波訴訟2005年

原告こ告訴状から抜粋「大江健三郎氏が著した「沖縄ノート」を含む岩波書店発行の書籍は、・・・集団自決が、原告梅沢元少佐、あるいは原告赤松元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである・・・」

この口頭弁論を傍聴した「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」の構成団体は、自由主義史観研究会・昭和史観研究会、靖国応援団、新しい歴史教科書をつくる会大阪など。

・教科書検定制度と検定調査官の問題点

調査官、審議会について、教育現場の経験がない、教職免許がない人材の起用、教科書執筆者からも学問的知識や水準に問題があると指摘される、調査官任命の基準が不透明などの問題がある。また教科書会社と調査官と審議会に同じ大学の研究室のOBや教授と教え子などのつながりがある。

・防衛庁では沖縄戦を3ヶ月間よくがんばった、と高く評価している。

防衛版の戦史では「集団自決は当時の国民が一億総特攻の気持ちにあふれ非戦闘員といえども敵に降伏することを潔しとしない国潮がきわめて強かったことがその根本理由である」「戦闘員の煩累を絶つため崇高な犠牲的精神により自らの生命を絶つものも生じた」と記述されている。

7、2008年検定意見を撤回しないことの意味

改憲、新教育基本法を支える歴史認識の育成。殉国美談で愛国心・軍民一体の国防意識を育てようとしている。

南京大虐殺の死者数、慰安婦における軍の強制性 集団自決の軍の直接命令 などの歴史事実の歪曲・否定。

侵略戦争の否定。戦争の悲惨さ、人権破壊、人間性の否定・喪失をまなばせないことで対米従属戦争(国際貢献)への批判的視点をくもらせ・戦争肯定の意識を醸成させようとしている。

8、国を守るとは誰から誰を守ることだったか

東条内閣成立の背景「皇族内閣で開戦。失敗したら国民の怨みが皇室にあつまる」

45年2月近衛文麿上奏文「敗戦必死 国体護持のために敗戦より敗戦にともなって起こる共産革命」

ソ連の対日参戦と御前会議・「聖断」「(国体維持は)大丈夫だろう」

●レポーターMNさんの感想

最後のほうは講演の時間が足りなかったのでレジュメのままです。国を守るとは「国体を守る」「国民から天皇(あるいは天皇制)を守る」という意味だったのではないでしょうか。

冒頭の証言で、がまの中での集団自決だけではなく、その後も日本軍が集落で虐殺を行っていた事実は衝撃的でした。また、事実をゆがめようとあの手この手で工作してくる力に恐怖を感じましたが、事実は事実です。「事実が消されてしまう」と、語り始めた体験者の気持ちにこたえ、私たちが事実をしっかり学び受け止め、伝えていかなくては!と考えました。あと、防衛戦史の話は書きとめていて胸が悪くなりました。

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2008年3月 3日 (月)

「3・1ビキニデー旭川集会」に参加して

2008年2月14日に開催された「3・1ビキニデー旭川集会」には、会場いっぱいの参加者で熱気溢れました。集会では元第五福竜丸乗員の大石又七さんが講演され、核兵器廃絶への決意を改めて確認しあう場となりました。主催は原水爆禁止道北協議会(道北原水協)。以下に、当会から参加したAさんのレポートをご紹介します。

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Pict0001 2月14日、講師に第五福竜丸乗務員の大石又七氏を迎えて「3・1ビキニデー旭川集会」が開かれました。会場には40人弱の方が集まりました。

講演で大石氏が第五福竜丸に乗船していて被爆したのは20歳のとき、終戦から9年ということで、戦時中の情報がなく、広島、長崎に「ピカドン」という爆弾が落とされたことは知っていましたが、それがどのような爆弾かは知らず、実験の光や音も最初は自然災害と思っていたそうです。

Pict0003 敗戦で小さくなっていた政府は「アメリカの核実験に賛成で協力する」などと国会で答弁し、9ヶ月でアメリカと政治決着を結んで事件にふたをしてしまい、後から色々な情報が出てきているそうです。

大石氏自身もガンを発病し、また最初の子どもが死産で奇形児だったことから、体験談を語るようになったそうです。現在、第五福竜丸の乗組員23人のうち12人がなくなり11人が生存していますが、体験談を語っているのは大石氏だけだそうです。

大石氏は「若い方に知ってもらいたい」と・・・ビキニ事件が忘れ去られようとしている今、この事件のことを後世の人にも伝えなければならないと思います。

(レポート:旭川平和委員会会員M・A)

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2008年2月28日 (木)

2008年2月例会:治安維持法下の自由に対する「弾圧」

当会青年部2008年2月例会を開催しました。今回は戦前の治安維持法下で、人々の自由と平和を求める活動に対する特高(特別高等)警察による弾圧(というか拷問)の実際について、体験者の手記をもとに学びました。

ノンフィクション:拷 問

実は青年部のメンバーの一人Hさんのお祖父さんが体験者その方。便宜上、おじいさんをKさんといたします。Kさんは戦前、某地方で業界紙記者をされていました。その活動のなかで、貧困に喘ぐ農民達の状況を目の当たりにし、戦争に突き進む国の前途を憂い、平和と民主主義の活動に身を投じておられました。Kさんは戦前、6度(または7度)も逮捕されながら、終戦まで人々のためにたたかいぬきました。私達が学んだのはKさんの自費出版の著作集。このなかに「実録と実話」という項があり、そこに「拷問」というタイトルの文章が掲載されています。孫であるHさんは「怖くてこの『拷問』の部分だけ読めなかった。みんなと一緒なら読めると思う」と今回の学習テーマを提案してくれました。

内容については余り細々とは書きませんが、戦前活動を続けながら当時非合法とされた日本共産党員だった某氏を3ヶ月自宅に匿ったことからKさん自身が「共産党員ではないか?」との疑惑をうけ(実際は党員ではなかった)、それが被疑事実として100日間にわたり特高警察に逮捕・拘留され、江戸時代を思わせる酷い「拷問」をうけるのです。Kさんは拷問の最後に、「共産主義のために死ぬなら、それでもいい」と思い至り、ある意味「悟り」に似た境地に入られます。その結果、「落ちない」(または「違ったか」)とわかった特高警察は拷問を止め、傷の回復を待って釈放します。それでも公的には「起訴留保」となり、「いつでも再逮捕できる」ことを臭わせ、活動再開しないよう警告されるのです。手記は拷問の全過程を詳細に記録してあるほか、そのことによってさらに深められたKさんの平和と民主主義への気持ちの高まりがよくわかるものとなっています。

注意していただきたいのは、戦前の日本では国民総動員の戦争協力体制が敷かれ、政党では日本共産党以外の政党が全て解散し「大政翼賛会」を結成していました。そのような中、戦争反対を唱えることはそれ自体が非合法とされ、政党では「日本共産党」(現在の国会で議席をもつ日本共産党と同一。同党は1922年に結党し、今日に至っています)だけが反戦を貫き、宗教者では宗派を問わず多くの教団が天皇の神格性を容認する中、一部良心的な僧侶(竹中彰元氏とか)や牧師などが「戦争反対」を唱えたに留まりました。

さて手記を読み終えた後に感想を出し合いましたが、メンバーは口々に「いまの日本でも、いつ同じことが起きても不思議ではない」と感想を述べました。例えば、反戦の意思表示のビラを自衛隊官舎に配布したことのみで逮捕・起訴された立川自衛隊監視テント村反戦ビラ裁判。開かれたマンションで議会報告を配布しただけで逮捕・起訴された葛飾マンションビラ配布裁判。国家公務員が休日に職場と関係ない地域で政党ビラを配布したことが違法とされた二つの国公法弾圧事件(2003年国公法弾圧堀越事件2005年世田谷国公法弾圧事件)。何をおいても最大限保障されなくてはならない「言論(表現)の自由」が、法の「曲解」とも受け取れる「運用」によって制限され弾圧されている現状がすでにあるのです。治安維持法のように、心の中で「思った」だけで弾圧される治安立法も決して皆無とはいえなくなっています。

このような時代だからこそ、日本国憲法の平和条項のみならず、それを保障する人権条項を活かす活動が大切なのではないでしょうか。私達は改めて「平和」を訴える自由が保障されていることの大切さを理解し、平和な日本と世界を実現するため、多くの人と手をつなぎ行動をひろげたいと思ったのです。

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2008年2月12日 (火)

2・11「建国記念の日」関連集会/参加報告

2月11日の「建国記念の日」に旭川で開かれた2つの集会にそれぞれ参加してきました。靖国派は「建国記念の日奉祝会」、政教分離派は「旭川2・11平和集会」。それぞれについて概略を報告します。

「紀元二六六八年 建国記念の日奉祝会」

ロワジールホテル旭川で開かれた実行委員会主催の同集会。事前宣伝で午後2時から式典があり、午後2時40分から講演があるとわかっていたのですが、都合の関係で2時40分に会場到着しました。ちょうど式典が終わったところで短時間の休憩。会場に入り後ろの方に立っていると目の前を制服を着た第2師団長・師岡陸将が「前の方が人が少ないから・・・」と談笑されながら通過される。おっしゃるとおり、会場は400席ほどでしたが入場していたのは320名~多く見積もっても350名くらいかと思います。

実行委員会の代表は日本会議上川会長で豊岡中央病院を運営する医療法人の理事長田下昌明氏。後で聞くところによれば、日本会議や隊友会などが中心となっている実行委員会のようです。街中に貼られているポスターの連絡先は隊友会旭川中支部事務局長さんの個人宅になっていましたので主力は両団体なのでしょう。そのことは式次第で開式・閉式の辞を隊友会関係者が行っていることからも推察できます。田下氏は当ブログ記事「防衛協力団体、とは?」でも紹介しましたが防衛親睦団体「北友会」の会長も務めています。第2師団の広報紙?ともいえる「北鎮」2008年1月号でも写真入で登場しています。

P2120005 式典に参加できなかったのは失敗でした。左の式次第のとおり今津代議士をはじめ民主党の西川旭川市長、商工会議所の高丸会頭、第2師団の師岡師団長が式辞を述べることになっています。会場で配られたパンフレットには西川市長と今津代議士の「祝辞」も掲載されていますが、それぞれが何を述べたのか?聞いてみたいものでした。とくに西川市長については2007年の北海道護国神社慰霊大祭には「公務欠席」したものの、同年の西神楽招魂祭には代理出席をさせており、目立たないところでは「本籍自由党」の素地を隠していないとも言われています。

P2120006 式次第では来賓紹介がありますが、来賓には先の4名以外に自民党道議2名、旭川市議会議長の民主党岩崎議員、陸上自衛隊幹部6名(これら幹部自衛官は北海道護国神社慰霊大祭にも特別来賓として出席していた)、神社宮司2名、旭川ペインクリニックの的場光昭理事長、他数名となっています。北海道護国神社慰霊大祭と同じように、ここでも政・軍・財の協力関係が浮き彫りになっています。

P2120007 山田が参加したのは第2部:記念講演のところからで、講師は当ブログでも話題の佐藤正久参院議員。文民統制逸脱の「駆けつけ警備」問題は一時話題になったものの、すぐにメディアから消されてしまいました。演題は「私たちが守るべきものとは」として、60分の講演でした。講演は長く話した割には実質は大したことは言ってなく、テロ特措法に基づく海上補給活動について反対の世論が高まったのは「説明しきれていない」ためだと指摘。説明のために「自分は一年生議員ながら自民党HPのトップに丸川珠代参院議員とのインタビューを貼らせてもらった」「自民党はやる気さえあればできるんです」と批判世論のある自民党へのフォローも欠かしません。結局、「日本は石油がなければ困る」「インド洋警備は石油輸送で日本も恩恵を得ているのに、それまでやっていた燃料補給を放り出してしまった」と述べ、「国益のためにやらねばならない」と訴えます。国益のため、国益のため、といいますが、そこでは民主主義国家として憲法を守るという民主主義の保障は眼中に無い印象でした。国民は際限の無い派兵活動、法で歯止めがかけられない派兵活動に対しNOの民意を表明したのです。憲法に基づいてやれ、と国民が指示したのです。そのことをきちんと各国に説明すべきところを、「国益のために撤退は誤り」とただ根拠無く言う様はイケイケドンドンの先遣隊長“らしさ”でしょうか。

佐藤氏は民主党の「アフガン対案」については批判的でした。その点はさすが持論の「体制つくってから派兵」論者だなと思いました。民主党のアフガン対案では現地調査もせずに危険なアフガンに自衛隊を送ろうとしている、と指摘。ペシャワール会の中村哲さんを例に挙げ「あの活動のように特定地域で長年取り組めば信頼関係もできているでしょうが」、そうでないところにいきなり自衛隊や文民警察等を投入するのは危険すぎる、と述べていました。いま福田政権は派兵恒久法づくりのために民主党アフガン対案に積極的だと報道されていますが、いざ自民党が衆院で一転賛成することになったら佐藤氏は難と言いますか、注目したいところです。

P2110026 佐藤氏は最後に、「国益を守っていくということをどう実現していくか」と問題提起し、そのためにはこのような精神が必要ですと、内ポケットから取り出した「とある文章」を読み上げました。「これは何かわかりますか」と会場に問うと、大きな声で「教育勅語!」との返答。そうだろうな、とは思っていましたが、あまりに彼らなりすぎる落としどころに興ざめしてしまいました。読み上げたのは教育勅語の現代語訳(←リンク先のものとほぼ同じと思います)でした。佐藤氏は「私がこれを読めば『軍国主義』と言われますが、どこが軍国主義でしょうか」「こんないいことが書いてある」と述べ論を閉じました。

この論調はまさに靖国DVD「誇り」と同じではありませんか。大切にすべきは国でありみんなの利益だといいながら、家族愛や兄弟愛、支えあいといった道徳を持ち出し、それが無いのが問題だと復古調の主張を繰り返しています。そもそも家族の団欒を奪ったのは過重労働や低賃金化ではあるまいか。それは自民党と財界の経済政策の結果ではありませんか。それにこの教育勅語の現代語訳ですが、結局のところ「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」とし、それが「善良な国民」としての「当然の努め」であると結論付けており、これを子ども達に洗脳のように刷り込むことは軍国主義といわずしてなんであろうか、と思います。

旭川2・11平和集会

この日の夜、日本基督教団旭川六条教会において信教の自由と平和を願う人々により「旭川2・11平和集会」が開かれました。主催は同集会実行委員会。市内のプロテスタント教会を中心に準備されたものと推察します。

P2110030 集会は日本基督教団旭川豊岡教会の筒井牧師が司会を務められ、冒頭に礼拝、第2部として記念講演という似て非なるものなれど構成は靖国派集会とおなじように進められました。集会には40名強が集まり、少数なれど自発的意思に基づく力強い意思と祈りがあったように思います。

礼拝では日本パブテスト連盟東光キリスト教会の松坂牧師が説教されました。続く講演では無教会主義の牧師活動をされている元軍医で医師の荒川巖さんが「クリスチャン軍医としての体験」と称して自身の経験を話されました。

P2110028 荒川さんは海軍軍医中尉としてグアム・三重・台湾と勤務され、台湾で終戦を迎えられました。荒川さんによれば「海軍は陸軍と違って大らかだった」とし、「誰を尊敬しているか」と上官に問われたとき、本来なら「天皇陛下」というべきでしょうが「内村鑑三と矢内原忠雄と新渡戸稲造」と答えたと話し、上官は「お前、無教会主義か」と聞かれたものの特に罰はうけなかったことなどを紹介。「陸軍だったら大変だったでしょう」と戦前の陸・海軍の微妙な違いについても話されました。また軍医として兵士を治療すれば再び前線へ出て人を殺すかもしれない、との状況のなかで、「人としてあるべきことをしよう」「人を生かそう」と治療に専念したこと、終戦時に診察室を連合軍に明け渡した際もすべての医療機器・医薬品を整理して渡し「人を生かすために使ってほしい」と述べ連合軍から賞賛されたことなども紹介しました。

集会には旭川平和委員会青年部から4名が参加し、荒川さんの講演に耳を傾けました。

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2・9米軍来るな千歳集会/参加報告

この間、ご案内してきました催し物が開催されました。このうち2月9日に千歳市で開かれた「米軍来るな千歳集会」に参加してきましたので概要を報告します。

2・9米軍来るな千歳集会

千歳市民文化センターの大きな会議室で開催された同集会。会場には開会の30分前に到着するも、イスは会場の半分程度しか出てなく「少ない」と感じました。旭川からは5名が参加。このうち旭川平和委員会の会員が3名。うち2名が青年部。時がたつにつれて不安は一転、増える参加者にイスが足され、足され、最終的には参加は220名を超えました。

P2090011 集会ではDVD上映(「海上自衛隊もやってきた~辺野古からの緊急レポート」)、主催者あいさつに続き来賓挨拶として民主党・小林ちよみ氏、共産党・宮内さとし氏、社民党・山口たか氏がそれぞれ挨拶。余談ですが宮内さとしさんは原水爆禁止世界大会に一緒に参加したとき「個人加盟制の平和運動体に市民が自覚的に参加して粘り強く活動しないと平和は実現できない」と話されているのに感銘し平和委員会に入会するきっかけとなりました。

P2090025 集会のメインスピーカーは新崎盛暉・沖縄大理事長。「米軍再編を考える」と題し、米軍再編とは何なのか、いま日本で何が起きているのか、これにどう立ち向かうべきか、等についてわかりやすく話されました。

よくわかった点は、2005年10月29日のいわゆる「中間報告」(『日米同盟 未来のための変革と再編』)において現在の「再編」のベースが明らかとなったが、そのなかで「日米の相互運用性の向上」と「ミサイル防衛(BMD)」が2大柱として重視されている、ということ。最近もPAC3の配備に関連して首都圏では問題が起きており、入間平和委員会の友人は2007年11月の入間基地航空ショーでPAC3を見て、「戦争に使う武器を市民の目にさらしたくないですよね。入間基地からは今でも10数人がイラクに派兵されているそうです。すっかり忘れられているけど、航空自衛隊は撤退していないんです」と感想をメールで送ってくれたのが思い出されます。「相互運用性」というところでは、現在第2師団が取り組んでいるC4I2部隊実験が深く関係しているものと思います。これら陸自のIT化は、単に「近代化すれば人員が削減できる」というコスト的な問題ではなく、もちろん「情報優越」が戦術的に必要だということもありますが、主として米軍との相互運用性を向上させ法律的な派兵体制が整ったときに遅滞なく陸上部隊を共同展開したい、という意図があったのではないか、と考えざるを得ないのです。

P2090013 そして改めて感じたのは「米軍来るな」というけども「沖縄に帰れ」ではダメだ、という新崎さんの指摘です。そうなんです。沖縄の負担は軽減しなければなりません。昨日も沖縄で14歳の女子中学生が海兵隊員に連れ去られ暴行されました。誰しも「またか」と思ったことでしょう。いつまで繰り返すのか。暴力支配が軍隊の本質である以上、軍隊が駐留している限りこの手の事件はまた起きるかもしれません。だから撤去しかないのです!岩国も厚木に返すわけにはいかない、千歳も沖縄に返すわけにはいかない。だからアメリカへ帰れ!なのです。

P2090012 さて集会ですが会場にはメディアの取材もきていましたが、目立ったのは千歳高校放送部のみなさんです。集会開催前には実行委員会の平井代表にインタビューし、集会中も熱心に取材していました。これがどのような成果となるか楽しみです。

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2008年1月12日 (土)

2008年1月例会:沖縄問題を再び考える

新年、おめでとうございます。今年も旭川平和委員会ブログをよろしくお願いします。「2007年回顧、2008年展望」に書いたように今年もコツコツすすんで行きたいと思います。当ブログへのご意見、ご感想、ご批判はコメント欄か、またはメールにて受け付けています。

2008年1月例会を開催しました。メンバー半数の出席およびゲスト1名が参加しました。ゲストは鷹栖町出身で現福岡県選出の日本平和委員会青年理事Aさん(20)。政治学を学ぶ学生さんです。Aさんにも例会の第2テーマ「日本平和大会in沖縄」参加報告をしていただきました。感謝します。

第1テーマ:9・29教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会

今年初の例会は「沖縄問題を再び考える」ということで、第一テーマは「教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会DVD」をみんなで観て意見交換を行いました。昨年(2007年)9月29日に宜野湾市海浜公園で開かれた同集会。集会実行委員会が作成した純粋な記録DVDです。会員Sさんのお父さんお勧めの一品。

観てまず思うのは会場の熱気。集会では冒頭、沖縄県議会議長(自民系)や沖縄県知事、沖縄県教育委員長などが次々と挨拶します。普通、この手の「挨拶」はダレルものです。しかし、みんな集中して聞いている。それもそのはず、「挨拶」も実に内容のあるものでした。「挨拶」にたった人物が「実は・・・」と自分も集団死の生存者であることを紹介する。それを高校生らがじっと聞き入る。そこには真剣さ以外の何ものもありませんでした。

そして青年たちの真剣さ。集会前に「平和の火」をリレーでつないだ子ども達もそうですが、参加した子どもら、中学・高校生たち。友人の大学生はみな「参加した」と口々に言っていました。訴えた高校生2名の言葉は、思想信条の違いを超えて参加したすべての人の心に届いたことでしょう。その思いは私の心にも届いています。

例会参加者からはこのような集会の姿に一様に驚きの声があがりました。そして「なぜ沖縄県民の伝えたい思いが本州やここ北海道まで伝わらないのだろうか?」と疑問がわきあがりました。これは第2テーマでも共通した話題となります。

ある参加者から、こんな声がありました。「最新の雑誌『北海道経済』(2008年1月号)に右派の医者がコラムを書いているが、そのなかでこの集会を『デモ』と間違え、しかも『11万は誤り。1万9千しかいない』などと根拠の無い記述をしている。許せない気持ちでいっぱいだ」とHさんが述べました。

Matoba001 左がそのコラムです。書き手は旭川ペインクリニックの的場光昭氏。氏が前々回の道議会議員選挙旭川市区に立候補して無残な結果に終わったことは記憶に残っている方もいるかもしれません。このコラムは毎回、氏の価値観に基づく主張が続いており、今回は46回目。

今回のテーマは「偽装」。その一例として沖縄戦集団死に関わる軍の関与(強制)が削除された教科書検定意見に対する県民大会を槍玉に挙げたのです。曰く「沖縄県民をも・・・大嘘つきにしてしまう」と。

Matoba002

氏は「嘘を言う」と「嘘をつく」を区分し、県民大会に対する批判の集中点を北海道新聞をはじめとするマスコミにあてました。曰く「『11万人デモ』と北海道新聞も主催者側の発表を鵜呑みに報道していたが、航空写真を拡大して参加者を数えた結果1万9千人であったそうだ」「マスコミの助長によって沖縄県民をも大陸や半島人なみの大嘘つきにしてしまう」というのです。このようにマスコミを「断罪」する手法でもって、実際は県民大会(それも「デモ」だなどと恥ずかしげもなく大間違いを繰り返している!)を「偽装」だとレッテル張りをしています。このニュースソースはこちら(産経ニュース2007年10月17日「沖縄県民大会参加者『約1万8000人』自民歴史教育議連」)だと思います。ニュースソースでも「デモ」だなどと一言も触れていないのに「デモ」「11万人デモ」「デモ」と3度も繰り返すあたり、思い込みが激しい方なのかな、と推察します。産経の記事では航空写真から可視可能な人を数えたといういかにも信憑性がありそうなことを書いているものの、沖縄タイムス2007年9月30日付記事が述べているような「周辺の敷地にも人があふれかえった」ような状況は一切反映していないと思われます。そもそもこの手の集会を実数より低く見積もっている警察発表(約4万人)の半数にも届かぬ数字にいかなる根拠があるのか、ましてや現地を見ていない「都内の警備会社」なるものが机上の空論ではじき出した数字に科学的な根拠があるのか疑問しか残りません。

そもそも9・29県民大会後、いち早くネット右翼が「11万は虚数」と騒ぎ出していましたが、その論法は「水増し」は「左翼団体」の「常套手段」というものですが、そもそもこの集会の実行委員会代表は自民党系である沖縄県議会議長さんです。もちろん県教組や高教組、新婦人や共産党、社民党なども加わっていますが、いわゆる保守系のPTA連合会や子ども会育成連合会などが前面にたって準備した大会であり、県民大会を「左翼が偽装した集会」とのイメージにすり替えたいネット右翼の意図は見透かされていると言わざるを得ません。保革一体となり抗議の声をあげた沖縄県民の怒りを本土に伝えたくない、というのが正直なところと推察します。

第2テーマ:11・23-25日本平和大会in沖縄

Aさんに報告いただいた11月の日本平和大会in沖縄。Aさんは参加した催しで学んだことだけでなく、移動中目に付いたことや現地の人に積極的に話しかけた内容などを盛りだくさんで報告してくれました。ときには疑問、ときには悩みも含めて。

嘉手納基地近くの「道の駅」でみた「壁画」にはポップな米軍のイラストが書かれていて、実際はこんなものではないはずと疑問を深めたそうです。また基地に隣接している畑でジャガイモをつくっている男性との対話では「基地さえなければ」と男性の心情を推察するも実際は「生まれた頃からあったからね」と半ば諦めに似た思いを聞き、その思いにも寄り添いともに考えていく姿勢が大事なのではないかと模索していたり。そんなAさんの報告を聞くたびに、沖縄の実情に対する私達「離れた人々」の無知や無関心が問題だと思いますし、それを引き起こしているメディアによる「報道しない」姿勢への疑問も抱かざるを得ません。それはメディアの安保条約に対する距離感も影響しているような気がしてならないのは私(山田)の感想です。

意見交換を終えると予定終了時刻より30分以上遅くまで例会を開いていたことに気づかされました。参加したメンバーのうち、沖縄の基地の実相を見てきたことが無いメンバーは「ぜひ一度行きたい」と口々に語られました。

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2007年12月17日 (月)

2007年12月例会「望年会」

当会12月例会を開催しました。年末ということもあり、この一年の活動を振り返り、2008年を展望する意味も込めて「望年会」(旧年を忘れず新年に活かし、新たな希望を望もう、という意味。自己解釈ですが)を開きました。望年会には今年最高の82%の青年部の仲間が参加してくれました。子育て世代が多いなか、子ども連れも2組。メンバーの周りを子どもが駆け回る賑やかな例会となりました。

12月例会では11月24日に東京で開かれた「九条の会第2回全国交流集会」に、旭川から参加してきた部員Hさんから参加報告をしてもらいました。九条の会は11月24日現在全国で6801の会があるそうで北海道は465で全国3番目。この日の交流集会には北海道から43名、旭川周辺からはHさんと当麻九条の会の女性が参加したそうです。この二人は9月に開かれた「ピース・ピース・コンサート」(旭川西地域九条の会が呼びかけ、実行委員会主催)での収益から派遣費を捻出。学んできたことを旭川に還元しようということで参加してくださいました。

集会では全体会のほか、分散会と青年分科会が開かれ活発に活動が交流されたとのこと。Hさんも参加した分散会で「ピース・ピース・コンサート」の取り組みなど発言したそうですが、1団体あたり5分の発言を厳格に守らねばならないほど、みな積極的で活発だったそうです。集会の最後には「『九条の会』からの訴え」が提起され満場の拍手で採択されました。Hさんは「会を立ち上げていく、という段階から、立ち上げたけども孤立孤しがちな各地の『会』の相互ネットワークを広げる段階に入っている」と報告。メディアが取り上げないなかで「相互ネットワーク」が単位「九条の会」の活性化につながるのでは、と提起しました。

Hさんの報告の後、食事もとりながらこの間の活動の報告や、初めて会う部員同士の自己紹介なども行われました。ここでせっかくなので1年間を簡単に振り返ってみたいと思います。今年2007年は2月から活動がスタートしました。

2月例会:千歳への「米軍機飛行訓練移転」を考える

3月例会:イラク戦争4周年・イラク戦争は何なのか?

6月例会:銃社会を考える・「ボウリング・フォー・コロンバイン」を題材に

7月例会:「女性自衛官の人権裁判」から考える軍隊と人権

8月例会:靖国DVD「誇り」の視聴と意見交換

9月例会:〔公開例会〕靖国DVDを子ども達に見せていいのか考える

10月例会:沖縄問題・「辺野古」など現地訪問報告

12月例会:望年会・九条の会全国交流集会の報告

以上の例会を軸に、その合間に各種講演会や学習会、自衛隊創立記念行事や北鎮記念館の見学、護国神社・上川神社等の例大祭の実態調査、旭川以外から来られる北鎮記念館見学希望者の同行・解説等などに取り組んできました。

2008年は毎月例会を開くことを軸に、さらに部員の声や社会情勢を反映させ多彩に取り組んで行きたいと思います。ブログ更新は年内も行う予定です。

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2007年9月14日 (金)

高校門前で「九条守ろう」署名行動

旭川平和委員会は9月上旬、国連NGO(※)の「新日本婦人の会」(新婦人)旭川支部が継続して取り組んでいる高校門前での「憲法九条守れ」「すみやかに核兵器廃絶を」署名行動に参加しました。署名行動は約20分の短時間行動ながら、65筆の署名を集約しました。

P9120040 この行動は「もし憲法が変えられたら真っ先に戦場に行かされるのは今の高校生かもしれない」と新婦人旭川支部の平和部が企画し8月から継続して取り組んでいるものです。市内全高校前での行動を目指しているそうです。

この日は陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接する旭川北高校での行動で、署名板の後ろに長い列ができるなど平和への関心の強さが示されました。

P9120045 行動には、隣町の鷹栖町出身で日本平和委員会理事のあすみさん(福岡)も帰省中ながら急きょ駆けつけていただきました。ある女子高生は憲法九条について「授業で平和について考えたことがある」と述べ、積極的に署名してくれました。

行動後、平和委員会のメンバーは今年6月10日に移転新築した旭川駐屯地内の軍事資料館「北鎮記念館」を見学しました。

P9140001 開館から2ヶ月で来館者1万5千人を突破し(旧館は年間1万人ほど)たことが自衛隊準機関紙『朝雲』で紹介されています。記事では平塚清隆館長(一等陸尉)が「新記念館は相当の広報効果が期待できる」と述べており、実際に運動部のジャージを着た近くの私立高校生のグループが自衛隊員数名の説明を受けながら見学していたり、地域のグループホームが集団で見学していたりと見学者は絶えていないようです。彼らとしての問題は「物珍しさ」が過ぎた後の入館者数大幅減をどうするか、でしょうが、この点でも平塚館長は「あらゆる媒体を活用して積極的に情報発信」することと同時に、「市の観光行事などともタイアップ」することを述べています。これは「地域の町おこし」にと理由を述べつつ、西川将人市長が開館の日に師団創立記念行事で述べた「旭山動物園に次ぐ第2の観光名所に」との戦略と歩調をあわせています。これらは準備された方向性であると見たほうが自然です。

参加したメンバーの間でも自衛隊の若年層対策の現状が話し合われ「国際貢献とか災害救助とかばかり紹介されているが、実際に戦闘が始まれば自分の撃った弾で相手国兵士や民間人が死ぬかもしれない。カッコいいだけでは話は終わらない。そのことも紹介すべきなのでは」などの意見が出されました。

(※)国際連合の経済・社会理事会に認証登録され、関連の国際会議等に出席・発言できる非政府組織。「女性の地位委員会」など国際会議に参加し、提言しています。

さあ、今日は何位でしょう。数日前は二桁まで上昇してましたよ!

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2007年9月11日 (火)

終戦記念日宣伝-「赤紙」配布

今日は9月11日ですね。6年前、アメリカWTCへの2機の突撃テロ。ペンタゴンなどにも。イスラム過激派の仕業とも、アメリカの自作自演(映画『911ボーイングを探せ』など参照)とも言われています。少なくともアフガン戦争、イラク戦争の口実にされ、WTC・ペンタゴン周辺で亡くなった人も含め多くの罪無き人々の命を奪いました。改めて宣言します。私たちはテロも報復戦争も断固として反対です。支持しません。「軍隊があるから戦争が起きる」とは写真家・石川文洋さんの言葉。世界の全ての武器を、花に変えましょう。

少し前のことですが、8月15日はわが旭川平和委員会と道北原水協・安保破棄旭川・旭労連の4団体合同で終戦記念日宣伝-いわゆる「赤紙」配布-に取り組みました。30分間という短時間の行動ではありましたが、通行人の多くの人が受け取り、「憲法九条守ろう」の署名に協力してくれる人も多くいました。

P8150085 「赤紙」とは、いわゆる太平洋戦争中の召集令状のことです。当時は赤紙一枚で兵士が次々に駆り出されました。「兵士は赤紙一枚分でただ同然だが、軍馬は天皇陛下の軍馬。兵士は軍馬以下」などと揶揄され、命が軽く扱われた、との話も聞いています。私たちが配っているのは実際の赤紙(召集令状)の複製品で、戦争を知っている世代にも、知らない世代にも手にとってもらうことで「戦争とは」「徴兵とは」「人の命とは」を考えていただく機会になれば、と続けています。今年の行動では4団体から13名が参加し、たった30分間で500枚の赤紙が配られました。これは通常の街頭でのチラシ配布と比べても凄い受け取りぶりです。時節柄もあるでしょうが、市民の関心の強さに驚きました。

P8150090 当日はNHKや北海道新聞などメディア各社も駆けつけ、普段はない取材が繰り広げられました。NHKは赤紙を受け取った人、署名に協力した人からコメントを撮影しようと何人も、何人も声をかけ、思いを聞いていました。北海道新聞も署名活動の姿を写真におさめ、市民の思いをあつめていました。「季節ネタ」でもあるのでしょうが、こちらとしてはメディアサイドがどういう趣旨であろうと、宣伝の姿や市民の声をありのままに報道してくれるならば協力は惜しみませんし、有益だと考えます。晴天にも恵まれ、この日の夕方のニュースでは写真の子ども連れ女性のコメントや宣伝の様子が放映され、何人もの知人から「宣伝、テレビに出てたよ」と声をかけられました。

若い世代の反応もよく、自転車に乗った高校生らが赤紙を受け取り、信号待ちの間「これ何?」「戦争、あるの?」などと質問。元高校教諭で安保破棄旭川の湯川事務局長が丁寧に説明していました。私たちは引き続き、街頭で直接声を届ける活動に取り組んでいきたいと思います。ご支援、よろしくお願いします。

■ご意見・ご質問はこちらまでどうぞ。

今日はこのブログ、何位でしょうか?クリックして確認を。

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2007年8月13日 (月)

8月例会「靖国DVD『誇り』から考える近現代史」

8月例会を開催しました。会員外の方の参加も増え、いつもより多い会合でした。8月例会がテーマに取り上げたのは靖国DVD『誇り』です。正確にはDVDアニメ「誇り~伝えようこの日本(くに)のあゆみ~」となっていますが、私たちは靖国DVD『誇り』と呼んでいます。DVDに靖国神社の姿が描かれていますから、あながち間違いとも言えないでしょう。

2007051803_01_0 ■靖国DVD『誇り』

これは以前から当ブログでも紹介してきた、中学生むけに日本青年会議所が作成した思想教育教材ですが、世論の批判を受けて文部科学省の受託契約は結ばないことを表明していました。ただし今後は、民間教育運動として全国展開されるでしょうから、私たち自身、現物を見て研究しておく必要があると感じていました。

チャンスは突然やってきました。とあるルートで現物を所持している人からお借りすることができたのです。詳細は申せませんが、お骨折りいただいた関係のみなさんに感謝申しあげます。ということで、8月例会では靖国DVD『誇り』を視聴し、意見を述べ合いました。

●靖国DVD『誇り』の内容

あらすじは簡単です。17歳の高校生・中根こころが主人公。夏休み、内申書のために一週間の体験学習のため老人ホームへ行くが「ウザイ」と思う。そこで出会った近現代史を調べているという19歳の遠山雄太。ちょっとカッコイイ系男子。

P8050094 ■左・雄太と右・こころ

不自然にも雄太が語る近現代の歴史講話に「引き込まれ」(シナリオより)、夕暮れまで話が続く。体験学習が「ウザイ」なら、雄太の話も「ウザイ」ように思うのだが・・・。

P8050097 ■映像資料を多数使用

なぜか翌日も会う約束をするこころ。翌日も続く歴史講話。雄太が講話をしている間、画面は映像資料を流しているものの、原音はほぼ流されず一貫して雄太のナレーションですすめられる。それは歴史資料に都合の良い音を重ねたい、との印象をうける。ところでこころ、体験学習はいいのか?さらに翌日には靖国神社へともに参拝。

P8050098 ■靖国神社

P8050099 ■参拝する二人

「愛する自分の国を守りたい、そしてアジアの人々を白人から解放したい」と戦争の「大義」を説明し、方法論としては特攻作戦を批判しながらも戦争そのものを擁護する雄太に感情移入していくこころ。雄太は「日本人として過去に何があったのか正しい事実をきちんとした歴史で知ることは必要だよ。良くないのは、偏った見方で物事を判断したり、自分達にとって都合の悪いことに目をつぶることなんだよ」と述べるが、「正しい事実」とか「きちんとした歴史」は何をさす