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2009年7月に作成された記事

2009年7月28日 (火)

2009年7月20日、日韓共同報告会に130名

2009年7月20日、旭川に隣接する東川町の町農村環境改善センター・大ホールにて「忠別川周辺地域の朝鮮人強制連行・強制労働―日韓共同報告会」が開かれ、会場いっぱい130名の参加がありました。主催は「江卸発電所・忠別川遊水池 朝鮮人強制連行の歴史を掘る会」(以下、掘る会)。地元、東川町と東神楽町が町として後援し、調査に協力しました。

P7200090 ■会場全体の様子

Sn3d0466 ■北海道新聞から

この地域では中国人強制連行については慰霊碑(中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑:東川町東14号共同墓地)も建てられ、毎年7月7日に慰霊祭が行われる(上の北海道新聞記事参照)一方、朝鮮人強制連行については公式には「未確認」の段階とのこと。よって慰霊碑の建立などは今後の課題になっています。

P7200063 ■近藤さん

P7200061 ■塚田さん

この日は「掘る会」代表の近藤伸生さんが司会を務められ、最初に3月に行われた訪韓聞き取り調査の報告が「掘る会」事務局長の塚田タカヤさんからされました。映像も交えながら、現地で行われたことの生々しい証言が紹介され、特に「(高給を得られる、と)騙されて連れてこられた」とか「無理やり」など本人の意思とは別に日本まで連れてこられたことの証言。また、厳しい労働実態の一方で、文句を言わずよく働いたものだけに旭川で休みをとる権利が与えられるなど、労働者「管理」の実情が語られました。それらの工事は地崎組や荒井組など、いまも残る企業が受注していたことも明らかになっています。

P7200065 ■鶴間さん

次いで、この間の「掘る会」の活動でわかったことを鶴間松彦さんから報告されました。ここでは特に、逃亡した朝鮮人労働者の「給与」が法務局に供託されている事実などが明らかにされ、驚きました。これらのデータは個人情報は黒塗りされていますので、今後政府間の交渉により解明がすすむものと思われます。

韓国側からは韓国政府・日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会第3課のメンバー6名が来日。大方の予想(?)を覆して、若い女性が過半数を占める若き調査団でした。

P7200068 ■許さん

P7200078 ■李さんと尹さん

韓国側報告の冒頭は第3課長の許光茂(ホ・グァンム)さんが同委員会の沿革を含めた経過、組織内容、業務概要や調査の進行状態など全体像を報告。次いで、尹智炫(ユン・ジヒョン)さんと李宣姈(イ・ソンヨン)さんのお二人が「上川地方及び旭川市の朝鮮人強制動員の実態」と題して詳細な報告をされました。これによれば上川・旭川で5ヵ所の事業場に強制動員がなされ、実数は不明ながら少なくとも3000人以上が動員されたのではないか、とのことです。今回「掘る会」が様々調べられた東川町及び東神楽町以外でも旭川市の「旭川飛行場」や「東旭川上遊水池」「東旭川下遊水池」などへ動員されていたことが証言などからわかっているそうで、現在裏付け調査が求められています。

「旭川飛行場」といえば想起するのは陸上自衛隊旭川駐屯地に斜めに走る「旭川飛行場」。これがいつ建設されたのかが問題となるのですが、調べたところ昭和13年9月に民間用(民生用?)として着工開始、昭和18年6月21日に(軍用に?)転用工事開始し、昭和20年4月に完成しています。しかしながら、これらの工事がどのように行われたか?については詳しい史料が残されていません。ウェブ上を探すと「愛国飛行場」として建設され、その作業には「三浦綾子が女子青年団の指導員として動員されていた」との記述が確認できますが、その元となる史料は明らかではありません。ですが年代的には符合しますし、戦前のこの地域の飛行場とは愛国飛行場のみとのことですので動員されたのは明らかだと思われます。今後の調査に期待されます。なお、陸上自衛隊北鎮記念館にも問い合わせましたが、愛国飛行場に関連する史料は無い、とのことでした。その際、いくつかアドバイスをいただきました。この場で、対応いただいたH准尉さんにお礼申し上げます。

これら日韓の調査は今が「スタート」です。地域に埋もれている証言や史料を掘り起こし、この地域で何が行われたのか?を事実に基づいて明らかにし、犠牲者の足跡を明らかにし、お詫びすべきをお詫びし、日韓友好連帯増進に寄与できればと考えます。ブログ読者の方でも、何かご存知の方か又は知っておられそうな方を紹介いただける場合は当会青年部までメールでご連絡ください。

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2009年7月21日 (火)

2009年7月21日、陸自第2師団長が交代

昨年(2008年)8月1日付で就任された佐藤修一前師団長が退職され、新たに21日より前陸将補・陸上幕僚監部装備部長だった渡部悦和氏(54)が陸将に昇進の後、第2師団長に就任された。いづれも7月14日付閣議了承。7月16日付『朝雲』より。

Photo ■渡部・新師団長

0002 ■『朝雲』より

渡部氏のプロフィールですが、なかなか興味深いので若干ご紹介したいと思います。そもそもwikipediaにページがある、というのも興味をひきます。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%82%A6%E5%92%8C&oldid=26954628

1978年(昭和53年)3月:一般幹部候補生(U)として入隊
1992年(平成4年)7月:2等陸佐に昇任
1997年(平成9年)1月:1等陸佐に昇任
2000年(平成12年)8月:第28普通科連隊長
2002年(平成14年)3月:陸上幕僚監部人事部補任課長
イラク人道復興支援における佐藤正久先遣隊長らの人選を行った。
2003年(平成15年)7月:陸将補に昇任、12月:第3師団副師団長
京都府丹波町で発生した鳥インフルエンザ事案に関し出動・指揮。
2005年(平成17年)7月28日:東部方面総監部幕僚副長
2006年(平成18年)8月4日:自衛隊東京地方協力本部長
2007年(平成19年)9月1日:防衛研究所副所長
2008年(平成20年)3月24日:陸上幕僚監部装備部長
2009年(平成21年)7月21日:陸将に昇任、第31代第2師団長に就任

あの「ヒゲの隊長」佐藤正久・現参院議員の人選を行ったこと、何よりも防衛大卒ではなく東京大学工学部卒であること、外務省安保課への出向やドイツ連邦軍指揮幕僚大学への留学経験があるなど興味深いところです。人となりはよく知りませんので、今後どのような手腕を発揮されるか注視したいと思います。

一方でほぼ1年で交代・退職された佐藤修一氏(防大19期)、就任時56歳でしたから未だ57歳。陸将の定年は60歳なのでまだ3年残っておられますが、そういうものなのでしょうか。中央官庁では定年ギリギリまで在職せず事務次官競争に負ければ天下りに降りてゆく、という話を聞きますが、将官の慣例についてはよく知りません。

佐藤修一氏の前任の元第2師団長師岡英行氏(防大19期)はいまなお陸自補給統制本部長として在職中。後任の渡部氏が防大に例えると22期相当とのことですから一気に若返りました。

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2009年7月14日 (火)

博物館学の研究者と見学する北鎮記念館

7月12日(日)、当会青年部が呼びかけて「博物館学の研究者と見学する北鎮記念館」を実施し、北鎮記念館の展示物に関心をもつ人など7名が参加しました。これは予てより付き合いのある静岡県立大学国際関係学部の藤巻光浩准教授が来旭され、北鎮記念館を見学しに行くとの話を受けて呼びかけたもの。当会の若いメンバーと、歴史教育者協議会旭川支部のメンバーらが集りました。

P7120001 ■案内要員に質問する藤巻氏

北鎮記念館リニューアル後も一度見学している藤巻氏は全体を2時間くらいかけてじっくりと見学。他のメンバーも各々見学し、わからないことがあると説明の広報官(自衛官)や平塚清隆館長に質問。

リニューアル前の北鎮記念館と比べ「戦死した軍人の(戦死=美徳かのように書かれた)遺書など、あまりに軍国主義賛美な展示は少なくなっており全体として整理されている」と言いつつ、全体として郷土資料館的な印象が濃かった雑然と寄贈品を並べている旧館と比べ、言葉を精査し展示をすっきりとしつつも旧第七師団の存在をクローズアップさせようという狙いが鮮明な新館展示に残念そうな藤巻氏。

「博物館学の視点からすれば、展示スペースの冒頭に何を持ってくるかはコンセプトを決める」という藤巻氏。旧館は「国見の図」が掲げられていた同所に、いまは北海道開拓(侵略)の歴史案内ボードがあることに「どういう狙いがあるかわからない」と藤巻氏。山田が「むしろ狙いなど無く、単に時系列にしただけなのでは?」と述べると「そうかもしれない…」と。

また新展示として下記の写真が展示されていました。

P7120081 ■写真

P7120082_2  ■説明文

このように真偽が明らかでない資料を「参考資料」と展示冒頭に掲げてしまうあたりは、「そもそも北鎮記念館が博物館でなく自衛隊PR施設であることの証し」だと切り捨てた藤巻氏。山田もその通りだと思います。何の意図があって、何の関わりがあって掲げているのでしょうか?

また今回、新たに設置されたらしき(と山田が主観的に感じた)展示物がいくつかありました。まずは旧師団の全体模型に掲げられた戦前の写真。

P7120074

P7120077

P7120076

上記の他にも数枚ありますが、ご覧のとおり、とりわけ招魂祭にかかわるものが多いことが気にかかりました。旧軍のみならず、自衛隊もが護国神社との関わりを深めている証しでしょうか?

一緒に見学していた女子学生Aさんは「北鎮記念館は2回目?か3回目くらい」と述べつつ、「『日支事変』とか『ノモンハン事件』とか、それぞれの事変・事件で第七師団が何をしたかは書いてあるけれど、その事変・事件がどういうことが起きたのか?どういう性格の事変・事件だったのか?背景には何があったのか?については全くわからない」と述べていました。この疑問には退職高校教員のB氏が「その通り。教科書を前提にしているかといえば、通常ここらで使われている教科書には記載されていない事柄もある。用語だって独特の使いまわしで、教科書との整合性も問われる。子どもは呼称が違えばわからないかもしれない」と感想を言っておられたのが印象的でした。

また上記Aさんは「沖縄戦で亡くなった北海道の兵士は沖縄を除く全国一多いのに、この資料館に展示品が一点しかないことに遺族は納得しているのだろうか?」と疑問を提示していました。山田から「広報陸曹の説明では、ここは旧第七師団の展示コーナーなので、再編成された別の師団等の展示は主目的ではない、ということらしい」と以前受けた説明を紹介すると、納得いかない様子でした。それはその通りで、「旧題七師団のみ」などという説明は詭弁に過ぎず、もし沖縄戦関係の寄贈品が無いのだとしたら寄贈呼びかけをするべきではないかと思います。

さらに藤巻氏は「屯田兵から第七師団創設の間には制度的にも大きな隔たりがあるにもかかわらず、そこが一連の流れとして描かれている。その意味では第七師団創設のあたりの展示は詳細な関連資料がなく、ここに歴史の錬金術があるとも言える」と述べ、錬金術の最たるものが「国見の図」であろう、と指摘しました。過去の一出来事を「国見」という言葉で飾り立て、あくまでも天皇制国家が旭川の礎を築いたのだと宣伝するプロパガンダであると。「国見の図」は昭和17年に書かれており、まさに時代背景的には合致します。

また「アイヌについての記述が少なすぎる」とし、和人の視点からしか描かれていない偏った「屯田兵史観」はアイヌ民族を先住民族とした国会決議とも相容れず、少なくとも第七師団に関わった事柄としても「沖縄戦に参加させられたアイヌ兵士のことなど展示すべき」と述べました。

1階に降りて、警察予備隊~自衛隊のコーナーは明らかにイラク関連の展示比重が増していました。

P7120083 ■イラク派遣装備モデル展示

P7120085 ■イラク派遣装備品

P7120093 ■イラクのお金

当日は北鎮記念館と民間のプラモデル愛好者らによる『北のモデラーズ大作品展』の初日であり、1階ホールでは展示者らがガヤガヤと準備し、展示スペースは多目的学習スペースや図書スペース、上記自衛隊コーナーまで広がっていました。

P7120098 ■旧日本軍の飛行機たち

P7120100 ■米軍の飛行機たち

この主催は「クラブ『ひこうせん』と有志メンバー」となっており、チラシを見れば市内4つの模型関連店舗が地図で紹介されています。期間中は7月18日(土)に「北のモデラーズコンテスト」、26日(日)には「夏休み親子模型教室」(受付終了)などが計画されているようです。

詳細は今後記事にしたいと思いますが、この作品展が紹介された雑誌『メディアあさひかわ』2009年7月号の記事などを読んでも、「なぜ北鎮記念館でこの作品展か」という疑問に答えるような記述はなく、単に北鎮記念館側の「人を呼べるイベントを」との意図と、クラブひこうせん側の「念願の『地元での作品展』を」との願いが合致しただけのこと。結果的にはモデルを餌に子ども達や若い世代(もちろん、昔作ったであろうオジサン世代)を集客し、官民合作の自衛隊募集大作戦を敢行しようという作戦に他ならない、と感じています。

もちろん、藤巻氏も山田も子どもの頃は戦艦や戦闘機、ガンダムやヤマトなどのプラモデルを散々つくった元モデラー。クラブひこうせん側の「自分の作品を見て欲しい」との願いは理解できます。ならばこそ、苦労してでも別に会場を確保して集客すればよいのです。むしろ北鎮記念館などより少なくともサイパルの方が適しています。それを安易に北鎮記念館の提案にのってしまった。残念でなりません。

さらに一言すれば、このような展示会・写真展をしようというときに、有志でコツコツ活動している団体の会場費負担が意外と重い負担になっていることも指摘しておきたいのです。旭川市は継続的に行われる文化活動への支援をすべきです。

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2009年7月 7日 (火)

8月10日晩、アン・ライトさん講演会「戦争の影にあるもの」

当会青年部も実行委員会に加わっている催事案内です。

8月10日晩に元アメリカ陸軍大佐で元アメリカ外交官のアン・ライト女史をお招きして、「戦争の影にあるもの」と題して市民講演会を開きます。以下要項。

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アン・ライト講演会「戦争の影にあるもの」

Photo

日時★8月10日(月)午後6時半~

場所★ときわ市民ホール4F多目的ホール

参加費★資料代500円(高校生以下不要)

講師★アン・ライトさん(以下にプロフィール)

大学卒業後、合衆国陸軍に入隊。29年間軍務につき、大佐で退役。以後、国務省の外交官として16年間、ニカラガ、グレナダ、ソマリア、ウズベキスタン、キルギスタン、シラレオーネ、ミクロネシアなど世界各地の米国大使館で公務に就く。2001年12月には、アフガニスタン米国大使館の再建に尽力。その後、モンゴル・ウランバートルの米国大使館に赴任。モンゴル赴任中の2003年3月に、ブッシュ政権のイラク戦争の間違いを指摘し、間違った政府の代弁をする仕事はできないと辞任を決意し、国務長官に辞表を送りました。

以後、在野の「平和をめざす外交官」として、アメリカの平和運動の先頭に立ってきました。

備考★講演は日本語通訳を介して行います

主催★アン・ライトさん旭川講演会2009実行委員会

問合せ★事務局 0166-26-2949(新婦人・石川)

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今回、8月8日に矢臼別・川瀬牧場で開かれる第45回矢臼別平和盆踊りに参加するため北海道を再訪されるアン・ライト女史。札幌での講演を経て、10日夜、旭川においでいただきます。

アン・ライトさんはイラク戦争に反対され、シンディ・シーハンさんらと共に全米で平和運動を展開。米軍内で多発する女性兵士への性的暴行や女性兵士の「自殺」など、虐待される女性兵士の問題を追及されています。米軍では3分の1の女性兵が何らかの性的虐待を受けているとのデータも。

日本でも「女性自衛官の人権裁判」が今なおたたかわれていますが、当会青年部も参加した「女性自衛官の人権裁判を支援する道北集会実行委員会」が母体となり、アン・ライトさん旭川講演会2009実行委員会が発足しました。

多くの市民の参加を呼びかけます。

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2009年7月 2日 (木)

東川町周辺地域の朝鮮人強制連行・強制労働:日韓共同報告会

「江卸発電所・忠別川遊水池 朝鮮人強制連行の歴史を掘る会」から案内をいただきました。韓国政府機関のいわゆる「真相糾明委員会」との日韓共同報告会が開かれます。

東川町と旭川市にまたがる地域でも朝鮮人強制連行があったということが、「歴史を掘る会」による聞き取り調査などで明らかになってきています。それらの、いまわかっている全容を把握し、さらなる実態解明の糸口が見出せればよいと思います。

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7月20日(月・休)午後3時~5時

東川町農村環境改善センター・大ホール

資料代として500円(高校生以下無料)

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ぜひ多くの市民の参加を呼びかけます。

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ミサイルが走る旭川の一般国道

6月27日の夕方、旭川市末広の国道12号線終点付近=旭川新道でミサイル搭載車両を発見したと、メンバーから驚きを隠せない様子で連絡がありました。このメンバーは「住宅密集地を、むき出しのミサイルが走る姿の異様さに思わずカメラを向けた」と話しています。実際のところ、このような移動はしばしば行われているでしょうから国道を注意深く見ていれば年に何回か見かける光景でしょうが、とはいえ「されどミサイル」です。驚くのも無理は無いというものです。

Sn3d0445 ■一部画像処理あり

Sn3d0446 ■さらにズーム

メンバーによれば一週前(6月20日)の同じ時間にも同じミサイル搭載車両を見たそうです。6月20日も27日も土曜日。土曜日はこのメンバーの子どもが通う保育園のお迎えが6時までで、それに間に合うため5時40分すぎには自宅を出るので、20日も27日も間違いなくほぼ同じ時間です。それが何を意味しているか、私たちには知る由もありません。

さてこのミサイル、どこの部隊だろう?と思い写真をよく見れば車両には「1高群302」と部隊名が書いてあります。これは以下の部隊名の略記号です。

第1高射特科団
第1高射特科群
第302高射中隊

第1高射特科団は東千歳駐屯地に団本部が所在している部隊ですが、この第302高射中隊は北千歳駐屯地にいる部隊です。このミサイルは旭川から名寄方面に向かっていました。旭川新道を走っている様子からみて国道12号線を空知方面から走ってきて、新道を経由して40号線に向かったと思われます。40号線といえば同じ第1高射特科団の別の群(第4高射特科群)は名寄に駐屯しています。名寄演習場あたりで合同の団演習でもあったのでしょうか?

ミサイルは地対空誘導弾改良ホークミサイルだと思います。通常3発搭載している姿をよく目にしますが、この日は1両に2発しか積んでいませんでした。実際に火薬を搭載したホンモノをこのような形で輸送するかはわからないので、本物か否かは不明です。ホンモノでもニセモノ(訓練用の模造品)でも、どちらにしても物騒な光景です。目撃したメンバーは「住宅地でいきなりミサイルが現れること自体、異常な風景だと思いませんか?」と憤っていました。それは普通の感情だと思うのですが、みなさんいかがでしょうか? せめて輸送の際はカバーをかけて市民から見えなくすることはできると思います。

このようなミサイル輸送は上でも述べましたが各地で目撃されています。ウェブ上をすこーし探しただけでも次の2つのブログを見つけました。いづれも2009年の目撃情報です。
▼九州
http://blogs.yahoo.co.jp/oyamanotanchan/31845003.html
▼四国
http://spomax.livedoor.biz/archives/51248276.html

旭川でも日常茶飯事に走っている他の自衛隊車両と比べ、やはりミサイル、されどミサイル。目立つし違和感が強いのです。日常生活にいきなり飛び込んでくるとドキッとします。ぜひ改善を図ってほしいものです。

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2009年7月 1日 (水)

2009年旭川駐屯地開放:見たまま聞いたまま

大雨の中、2009年の旭川駐屯地開放に参加して来ました。

朝9時30分、車で入場した頃はまだ雲行きは怪しいものの、それまで降っていた小雨も止んでいました。撮影のためのビデオカメラやカメラバックなどを持つ関係から傘は持たず、ついでにレインコートも忘れてしまいましたが、そのことが後日響くことになります。全体として小雨日和なせいか、参加の市民は例年よりも少なめ。半分か3分の2程度でしょうか。もちろん山菜目当てのご近所さんはこの時点で購入し、すでに退場済み。市価よりお得だということでしょうか。

観閲式が始まると再び雨が降り出し、佐藤師団長が式辞を述べる頃には本降りに。同行のA君が傘をさしてくれたのでビデオカメラは水没を免れましたが、危ういところでした。それでも雨天の中、カメラの出し入れはできず、ビデオだけの撮影となりました。よって今年の映像には日時の記載があります。

師団長式辞と市長・今津衆議の挨拶については前投稿に書きましたので、ここでは省きます。

Sn3d0444 ■「国旗」に敬礼…

以下、今年の特徴を中心に紹介しますが、観閲行進では各部隊の行進は例年と比し大きく変わった様子は感じませんでしたが、戦車部隊の後にヘリコプターの観閲飛行がありましたが、これは例年行っていたでしょうか?あまり記憶に無いのですが「今年初めて」と言うには記憶が曖昧です。

Sn3d0456 ■観閲飛行

観閲行進の後、本来ならば空挺降下が行われるはずでした。過日の記事にあるとおり、当会はじめ4団体は空挺降下の中止を申し入れていましたが、今回の空挺降下は天候不良のため中止になりました。結果的に危険な訓練が行われなかったのはよいのですが、一方で6月10日に行われたという予行演習の際は空挺降下が行われたという視認情報も届いています。

余談ついでに書きますと、2009年6月28日に行われた島松駐屯地の記念行事では空挺降下が行われ、1200メートル上空から降りてきた一人が降下地点を誤り立ち木に降下。行事が一段楽するまで暫くの間救助されない、という事故がありました。

Img_4s ■提供:道平和委Y氏

Img640_0069 ■提供:道平和委Y氏

現地調査中だった北海道平和委員会関係者によれば、降下隊員が無事であることが確認されると、行事終了後までそのまま放置されたようです。誤降下地点はすぐフェンスがあり、その向こうは民有地で年輩の方々がパークゴルフをしていたそうです。

今年は6月21日の名寄駐屯地開放でも空挺降下が計画されたそうですが、当日はどうだったのでしょうか?それにしてもなぜ急に空挺降下流行なのか?と。空挺降下については要請して来てもらうとの事ですので(2師団広報室長談)、島松はわかりませんが、旭川・名寄については第2師団のどなたかの発想なのでしょうか?

続いて特科部隊と音楽隊の共同演奏が行われました。音楽隊は第2音楽隊のみならず、北部方面音楽隊、第11音楽隊も出演。大音楽隊による演奏となりました。しかしながら、その演奏は来賓の座る観覧席の真正面ですから屋根の無い飛行場芝生の上。時折強く雨が降るなか、楽器を雨ざらしにしての演奏です。いくら「さすが」(今津衆議談)と褒められても、楽器は相当傷んだのではないでしょうか。雨脚があまりに強く、遠く私の耳元まで雨でティンパニの音が鳴るような気持ちがしました。

Sn3d0458 ■雨の中の音楽隊

音楽隊の「不幸」に、さらに追い討ちをかけたのは特科部隊の出場場面です。アナウンスでは「世界初、自走りゅう弾砲との共同演奏」と紹介していました。確かにユーチューブなどで紹介している同様演奏では固定された大砲がタイミングにあわせて発射しています。ところが今回、演奏の途中で10数台の自走りゅう弾砲が爆音を響かせてエンジン始動(!)。さらに演奏中、爆音を響かせて入場してきます。

Sn3d0459_2 

Sn3d0461

Sn3d0464

定位置につくまでの間、演奏はまったく聞こえず…(汗)。音楽隊のみなさんは、演奏者としてこれでいいのでしょうか?忸怩たる思いは全く無いというなら、それは演奏者ではなく、やはり戦闘者なのでしょう。目指すはミュージシャンでは無く、木口小平(日清戦争に従軍、戦死したラッパ手)なのでしょうか?

■尋常小学校修身書より
キグチコヘイハ テキノ タマニ
アタリマシタガ、 シンデモ ラッパヲ
クチカラ ハナシマセンデシタ

余談ついでですが、留萌市議・村山ゆかり氏(=FMるもいボランティアパーソナリティー「青島なつき」氏)もその場に来賓として参加していたらしく、自身のブログで音楽隊のその様子を紹介しています。氏もまた今津衆議と同じく、雨中の不安感は「どんな過酷な条件でも計画通りに執行する厳しい姿勢に深い敬意の気持ちとなっていた」と述べ、音楽隊の演奏を「降り続く雨の中始まった音楽隊の演奏に不安の色を隠せませんでしたが」と書きつつ「爆音にかき消されることのない音楽隊の演奏は何かを思い、何かを信じ、何かを追いかけているかのように情熱的な静寂と激しさがピークに達していました。すごい。すごすぎる。今まで見たことも聞いたこともない体験でした。」と賞賛しています。いえいえ、爆音にかき消されていましたから…。冷静に事実に基づいて書きましょうよ。
http://blog.livedoor.jp/aoshima89/archives/51651353.html#comments

訓練展示では例年と同じ設定で模擬戦闘が展開されましたが、99式自走りゅう弾砲は「自家用車の警戒装置が誤作動をしてしまう」との理由から発射せず、またRecsを活用と説明がありましたが、どの場面でどういう風に活用したのかは見ていただけでは全然わかりませんでした。これまで気づかなかっただけかもしれませんが、火炎放射器が2台使用され、「敵部隊」に対して使用されていましたが、あれは異様な雰囲気をかもし出していました。

Sn3d0471

Sn3d0485

模擬戦闘とはいえ、戦闘力は圧倒的な差がありました。仮想「敵部隊」は戦車と装甲車、歩兵だけでしたが、自衛隊サイドは航空戦力にりゅう弾砲、戦車、装甲車、火炎放射器にRecsまで使って、武器の見本市です。圧倒的な武力で対することこそ戦術の基本とはいえ、そういう設定で「完勝」するさまばかり見ていても…と少々変わり映えしない光景に「ごちそうさま」気分でした。

訓練展示終了後、ゾロゾロとパーティー会場へ向かう来賓をのせるバスの車列は空虚な印象しかうけませんでした。ほんの少し先の宴会場なのだから歩けばいいのに、とも。

Sn3d0488

来賓といえば、例年ちゃんと聞いていなかっただけと思いますが、今年来賓参加した政治家に民主党の議員名が印象深かったのは私だけでしょうか。例えば、「イラク戦争反対」のピースウォークに参加していた女性民主党系道議の名前などもあり「市長が参加すりゃ誰も彼もなびくのかー」と残念に思いました。

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