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2008年12月10日 (水)

12月某日、靖国神社を訪ねてきました

12月某日、所用で上京中に2時間ほど空き時間が生じたので靖国神社を訪ねてみました。生まれてはじめての靖国神社。映画「靖国」旭川上映会の準備に関わったこともあり、実際の靖国神社の雰囲気を肌身で感じてみたかったのです。

地下鉄東西線「九段下」駅を降りる(というか地下から地上へ昇る)と、目の前には東京理科大の建物。左手に日本武道館らしき「大きな玉ねぎ」を眺めながら爆風スランプの歌を思い浮かべる。右手を見ると大きな鳥居。靖国神社は目の前。

横断歩道の手前に何やら路上にボードを並べるおじさん。遊就館で上映されている「南京の真実」を宣伝する人だった。CS「チャンネル桜」関係の人かもしれない。神社敷地に入る。坂道の銀杏の落ち葉を集める用務のおじさん。目の前に日本一大きいという大鳥居。その向こうに大村益次郎の銅像が見える。

Pc060014 ■正面入口付近

Pc060016 ■大村益次郎像

それにしても銀杏臭い。懐かしい香りでもある。小学校の頃は秋になるとこのニオイがしたものだ。中高生の姿をいたる所で見かける。修学旅行なのだろうか、隣接する駐車場には大型バスが何台も停まっている。そういえば文部科学省が修学旅行等での靖国神社見学を解禁したのは最近だったと思う。その影響がすでにこんなにも出ているのか、と少し驚く。問題意識をもたない教員からすれば靖国神社も代々木公園も同じだというのだろうか。

「ビラ配布」「集会」など無許可での禁止事項が大書されている看板があちらこちらに目に付く。珍しい神社だ。それだけ特殊だということの裏返しではないだろうか。その隣に「創立140年記念事業」への「奉賛」を求める看板も立っている。これは後で述べたい。

Pc060017 ■禁止事項を並べた看板

少し歩くと道路に出た。その向こうはいよいよ本殿等がある。改めて敷地の大きさに驚く。この一等地でこれだけの敷地を所有していて、宗教団体だから無税(事業収入には課税されるが)だとすれば、あそれだけでもかなりの恩恵を受けている。もちろんそれは靖国神社だけのことではないが。

「神門」とやらの手前に「全国靖国献酒会」の看板があり、北海道の欄を見ると「北海男山」(男山酒造)、「国士無双・黒松高砂」(高砂酒造)、「大雪の蔵」(合同酒精)の旭川地元3酒造が勢ぞろい。「北海道ワイン」まで入っていることには驚いた。酒と宗教儀式というのは切っても切れないのだろうか。

Pc060023

Pc060024 ■「9条酒」を出す蔵元も(笑)

神門をくぐり進むとまたもや「創立140年記念事業」への「奉賛」を求める大きな看板。よく読むと事業の一つに「靖国教場」なる施設を新築するそうな。それは「次代を担う青少年の研修施設として活用」するというのだ。靖国派教育の総本山をつくろうというのだろうか。それで後述するが「遊就館」のような歴史観にたつ教育を徹底するというのは考えるだけで末恐ろしい。

Pc060020 ■境内に2ヶ所の看板

拝殿の前に遺書を掲示している看板がある。北海道護国神社の神門前にもあり「ああ、これか」と思って立ち止まる。オバちゃんが一人、看板に書かれた内容を紙にしたものを何枚も取り出し同行者らしき若い女性に「家で読みなさい」と渡しているのが耳に届いた。オバちゃんは何を思い、何を語っているのだろう?

Pc060027

拝殿前に若い女子中学生か高校生かがジャージ姿で並んで拝んでいる。この神社がどういう祭祀を祀っているか知っているのだろうか?知っているのなら、何を願っているのだろうか?客観的には他の神社やまたはお寺を訪ねるのと何ら変わらぬ屈託の無い笑顔。

Pc060019 ■人で賑わう境内

Pc060030 ■参拝する女子学生

時間が無いので遊就館へ向かう。800円の入館料を惜しみつつ払い、なかへ入る。遊就館の展示物をいちいち書いていたら何時間あっても足りないので省くが、最初は日本の歴史資料館みたいだと思って眺めていたら、明治維新後あたりから突然「新しい歴史教科書」かのような展示に豹変。それもそのはず。そのころ以降の戦没者を祀っているのが靖国神社。否応無くそこには靖国の政治が入る。

Pc060032

遊就館の内容は膨大すぎるので、細かい感想はまた機会があったら触れたいと思う。少なくとも丸一日、またはそれ以上の時間がないと展示と映像関係を全て観ることはできないな、と思った。いくつか観ておきたい映像資料もあったのだが、時間の関係で観れなかったのは残念だった。

遊就館ほどではないにせよ、展示論調や手法は北鎮記念館と似ていると思った。旧北鎮記念館で戦没者を「勇士」と称えていたが、それと遊就館が特攻隊員らを「勇士」としていることが脳裏で重なった。「勇士」という言葉は「勇気のある人。兵士」という意味があるが、侵略戦争であるアジア・太平洋戦争の戦没兵士のほとんどは国家の無法な戦争の犠牲者だと思うし、その慰霊の心を表明することは異論無いが、必要以上に褒め称えることは同じ過ちを繰り返すことになってしまわないか?そんなことを考える。

Pc060036 ■遊就館前の像

Pc060037 ■「特攻勇士之像」

以上、舌足らずであったが靖国神社を訪ねた感想を記しておきたい。(2008年12月某日見学:青年部員H)

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