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2008年3月に作成された記事

2008年3月28日 (金)

辺野古の有刺鉄線に巻かれたピース・リボンが焼かれる

ニュース紹介です。2008年3月27日付琉球新報のウェブニュースから「無残『平和のリボン』焼かれる-名護・辺野古」から転載します。

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無残「平和のリボン」焼かれる 名護・辺野古2008年3月27日

Img47eb465c03280 【名護】名護市辺野古の浜に設置されたキャンプ・シュワブを囲む有刺鉄線に結ばれた「平和のリボン」が27日朝、焼かれているのが分かった。
リボンには、キャンプ・シュワブへの普天間飛行場代替施設建設反対を訴えるメッセージが書かれ、500本以上結ばれていたが、ほとんどが焼かれている。
代替施設建設に反対し辺野古で座り込みを続け、現在も海外や全国から届くリボンを結び付けている篠原孝子さんは「基地を造ってほしくないという平和の気持ちを踏みにじっている。暴力的なやり方に憤りを感じる」と表情をこわばらせた。
篠原さんによると、26日夕方は、焼かれていなかった。【琉球新報より】

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■上の写真は山田が2007年8月に同所を訪ねた際に撮影した有刺鉄線とピース・リボン

法的には日米安保条約等関連法規に基づき設置されたキャンプ・シュワブと民有地の境目に米軍が設置した有刺鉄線に、勝手にピース・リボンを巻きつけたことになるわけで、政府や米軍はいいたいこともあるでしょうが、そもそも漁民達の生活の場である辺野古の海に民意など関係なしに基地をつくり居座っているのは米軍であり、それを許容しているのは自民・公明連立の福田政権です。その上で、「取り外す」のではなく「焼く」ことに現れている、日本の人々に対する敵意が許せません。何が「同盟国」なのだろうか。

もちろん記事でも、この事実を紹介している平和ブログでも、犯行が誰によって行われたかには言及していない。ある平和ブログでは米軍による監視カメラの存在を知らない第三者による犯行についても言及されています。しかし、その場(犯行時点)で捕まっていないことを考慮しても(第三者が米軍施設に火をつけたらどうなるでしょうか。その場で大変なことになりますよ)、米軍の監視カメラに映ってピース・リボンに火をつけて平気なのは、米軍自身ではないのかと・・・。あくまで推測です。

それにしても今回の事例は、辺野古を訪ね、ピース・リボンに平和の願いを託した全国の人々を震え立ち上がらせることでしょう。やはり、米軍基地は撤去しかない!

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2008年3月27日 (木)

「イラク開戦5年『海外派兵恒久法』学習会」に参加して

Dscf2823 2008年3月21日、旭川平和4団体(旭川平和委員会、道北原水協、安保破棄旭川実行委、旭労連)主催でイラク戦争開始から5年の節目を忘れず、アメリカの戦争に協力していく日本のあり方に疑問を対置する「自衛隊海外派兵恒久法」学習会が開催され、30名の市民が集まりました。講師には北海道平和委員会理事長で弁護士の石田明義さん(北海道合同弁護士事務所)が駆けつけてくださり、貴重なお話を伺いしました。

Dscf2826 現在、マスコミ報道では福田首相が今国会に「恒久法」を上程したい旨表明し、遅くとも年内の臨時国会での成立を視野にいれていることが報じられています。政府がこのように急ぐ背景には、「恒久法」づくりで民主党までが推進の立場をとっているうちに、そして2009年1月に新テロ特措法(いわゆる「補給法」)が期限切れになるまえにレールを敷いてしまおうということです。これは「戦争への一里塚」どころの話ではありません。日本国憲法第9条を骨抜きにし、9条改憲ができなくともどんどん海外に出て行き戦争できるようにする法律、それが「海外派兵恒久法」なのです。

参加したわが青年部のS・Sさんは「こんな大変な法律が国会に出ているとは知りませんでした。これでは、たとえ憲法9条があったとしても海外派兵恒久法が出来たらなんでもありじゃん!ということですよね。福田さんって、ぼよんとした顔してるけど、陰ではひどいことをやってる人なんだって、わかりました。あの雰囲気にだまされないようにしないと!」と感想を寄せてくれました。

問題は、学習会への参加者が30名出会ったことも含め、平和を求める人々の間で「自衛隊海外派兵恒久法」の危険な中身が知られていないことです。民主党案も含めて問題は山積みにもかかわらず、民主党は美辞麗句を重ね、「新テロ特措法」対案の法提案者に護憲派議員を並べることで党内護憲派の口を塞ごうとしているように思えます。自民・民主の2大政党がめざす「恒久法」の危険性について、立場の違いを超えて学んでいく必要があると思います。

以前もご紹介しましたが、日本平和委員会がこの問題についての安価なパンフレットを作成しました。メールでご連絡いただければお届けしますので、ぜひご一読ください。

Photo ▼1冊150円(送料別)支払いは郵便振替または切手返送など要相談

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2008年3月20日 (木)

2008年3月例会:北鎮記念館見学会

陸上自衛隊旭川駐屯地内に建つ広報施設「北鎮記念館」。先日、2007年6月新装オープン以来の入館者数が3万人を超えたと第2師団公式サイトが記していました。旧館は年間約1万人だったそうですから、このままのペースでいけば4倍の4万人ほどの入館者数になるかもしれません。初年度ということで多いのだろうと思いますが、それでも恒常的に3万人くらいが入館するとなれば、影響力も大きいです。とりわけ、子ども達への影響が心配な施設。「まだ見てない」というメンバーもいましたので、3月例会は北鎮記念館見学会と題してみてきました。ここでは北鎮記念館への「論評」というのではなく、見学会の感想ノート的な報告にしたいと思います。

3月のとある日、参加したのはメンバー5名に非会員2名の計7名。メンバーが企画を知らせると「ぜひ参加してみたい」と急きょ駆けつけてくれた人。実は他にもとある中学校教員の友人から「参加したかったが、出張で旭川不在だった」との残念そうな声。一人ではなかなか行く気になれないけど、気になる存在、というのが北鎮記念館のイメージのようです。

P3090003 さっそく館へ入ります。参加者の足は入口で早くも止まり、じっと説明を読む。このペースなら閉館までかかちゃう、と促して中へ。いつもそうですが、入ると1階中央の「第七師団史」コーナーのところで説明をしてくれます。ほぼ同じ説明、私は何度聞いたことだろうか。そこから順路の2階へと促されます。今回は説明の自衛官氏はついてこなかったのですが、メンバーが「詳しい説明をちゃんと聞きたい」と言い、私もそのようが良いと思ったので言いだしっぺの人が依頼しに行き、自衛官氏とともに戻ってきました。

P3090014 メイン展示の2階は原則的には時系列に展示がなされています。スタートは旭川開拓。2007年6月の第2師団創立行事で西川市長が「開拓の歴史は北鎮記念館」のようなことを演説してましたが、どうやら一つの売りにしているようです。見学会後の感想交流では、「旭川の歴史なら旭川市博物館(神楽、大雪クリスタルホールにある)の方がよいのでは」や「アイヌ迫害の歴史は何もわからない」などの感想が出されました。また「屯田兵→第七師団→第2師団を『流れ』として見せて、旭川の歴史をつくってきたのは軍だ、と言っているようで納得できない」との意見もありました。

P3090044 続いて目を引くのは日露戦争コーナー。ここは旧館よりも全体のうちの構成比率を増しているのではないかと感じるコーナーで、2階で唯一の映像資料がある場所です。日露戦争は「最後の勝った戦争の記憶」ということで、何年前かの日露戦争100年のときはテレビや雑誌などでも随分取り上げられ、靖国派もとにかく日露を語る、という頃がありました。その影響を色濃く受け継いでいる印象このコーナーでは、自衛官氏の説明も力を帯びます。映像資料は4分ほどのDVDですが、日本の権益を守るため仕方なく戦争をした、との印象を強く受けます。テロップでそういう解説も為されます。たたかって、勝って、帰ってきたと、そういう映像なんですが、そこには朝鮮半島や中国の人々の思いや生活は一切感じられない内容なんです。感想交流でも「日本とロシアの権益の話ばかりだったけど、占領されていた場所で元来生活していたひとのことが語られないのは靖国DVD『誇り』と同じだった」との声もありました。

P3090062 ノモンハン事件やアッツ・ガダルカナルあたりで戦局が怪しくなってくるに従い、自衛官氏の説明も怪しさを帯びてきます。つまり、オカルト的な色彩を帯び始めるのです。例えば、ノモンハンで全滅した部隊の遺骨が戻ってきたとき、その部隊の隊舎の前にいるはずもない歩哨が勢ぞろいして「ささげ銃」をした、だとか、アッツ玉砕のときは隣のキスカ島の残存兵を収容する船がアッツ島近くを通りかかった際、日本兵は誰もいないはずのアッツ島から「万歳、万歳」の声が聞こえたとか、まあそういう類の話が3-4例紹介されました。感想交流では「国が運営し子どもらがよく聞きに来る施設で、科学的根拠のない話をいかにも実話かのように説明するのは問題ではないか」との声も出されました。

P3090061 いわゆる太平洋戦争あたりの展示では館内すべて「大東亜戦争」の呼称が使われています。感想交流で指摘がありましたが、1階の自衛隊コーナーにあった年表でも第一次大戦の部分には「WW1」の記載があるにもかかわらず、第二次大戦の部分はわざわざ「大東亜戦争」と書かれていたとか。これについて私は説明を受けるたびに「なぜ大東亜戦争と書いてあるのですか?」と質問しています。もちろん毎回、説明してくれる自衛官は異なる人です。最初の自衛官A氏は「勉強不足でわかりません。調べておきます」と率直に言っておられました。このときは好感持てました(今度会ったら聞きたいと思います)。B氏は「地理的な特徴に注目した呼び名なんです」と説明しました。中国からアジア方面での戦争、その地理的特徴をわかりやすくするためだ、というのです。何か納得しそうですが、ではなぜ「大」をつけねばならぬのか筋は通っていません。そして今回の自衛官氏は「第七師団など旧陸軍がそう呼んでいたからです」と答えました。確かに旧陸軍は大東亜戦争と呼称していました。「では海上自衛隊の広報施設では太平洋戦争と呼称しますか?」と聞いたら「わかりません」と聞き流されました。旧海軍は太平洋戦争と呼称を主張していたのです。しかしその理由は、国民のなかに抵抗感のある「大東亜戦争」呼称をわざわざ使う理由としてははっきりしません。納得するまで聞いていきたいと思います。

P3090069 前回来たとき質問したのですが沖縄戦の展示がほとんどないのです。その時は「旧第七師団に関する展示をしているのですが、沖縄に派遣されたのは別の師団に再編成されて派遣されたのでここでは扱う対象ではない」との回答でした。しかし、「ああ沖縄戦」という新聞記事のスクラップは一つ展示されているのです。今回は前もって同様の説明がなされました。前回質問をうけて説明マニュアル(があるのではないかと推察している)が改訂されたものと思われます。それにしても、沖縄に派遣された部隊のことだけズバット欠落させているのはどうなんでしょうか?遺族の方々からの提供がなかったのでしょうか?沖縄戦では軍による住民虐殺が行われたとの証言があり、その地域には第七師団から再編された24師団がいたからなのでしょうか?真実はわかりません。

P3090081 最後のあたりに、なぜか海軍コーナーがあります。沖縄戦での説明と食い違いがあるのは何故でしょう。旭川縁の人がいたというなら、沖縄戦こそ紹介すべきなのに。それは置いといて、ここでは加藤建夫少将が大きなブースで紹介されています。ノモンハン事件などもそうですが、旧館で行われていた事件や部隊の紹介、という角度から、人物に光をあてて紹介する「パーソナル・ヒストリー」の手法が随分と取り入れられているように思います。以前、某高校の生徒グループが見学していたとき、5-6名の高校生に対し説明の自衛官が二人も付き添って、この加藤隼戦闘隊コーナーで「この人は旭川出身なんだ。旭川にはこんなにも立派な先輩がいたんだよ、すごいでしょう」という趣旨(正確には覚えてません)の説明をしていました。こういう手法の展示の方が、感情移入しやすいということなのでしょうか。

P6170010 全体を見学して2階で唯一説明をうけなかったコーナーがあることに気が付きました。他の参加者はみな初めてでもあったので気が付きませんでしたが、「226事件」コーナーについては説明されませんでした。なぜなのでしょうか?順路的に通過してしまう位置にあります。この配置自体が意図されたものなのかと勘ぐってしまいます。旧軍の汚点的な展示は、極力知らせまいという意図なのか?それはわかりません。

1階に下りてきて自衛隊コーナーと文学コーナーを見学。自衛隊コーナーには海外派兵ブースがありますが、ここの説明で自衛官氏は自衛隊のイラク派遣を「イラク派兵」と公言していました。私達としては「GJ」(グッジョブ)ってかんじですが、自衛隊的にはよいのでしょうか?ここでこんなことを書かなければ問題ないのでしょうが。

P3090097 旧館になかった(というか極小さかった)ものに売店があります。旧館では入口に自衛隊グッズが数点置かれていて売ってくれましたが(パンの缶詰、買いましたよ)、新館では自衛隊と商工会議所のコラボ=NPO法人「北鎮友の会」が運営する売店があります。オリジナル商品が置いてあり、売上はどうなのでしょうか。年間3万人も来ればかなり売れるのではないでしょうか。

以上が今回の見学会の概要でした。もちろん簡単な報告ですので指摘漏れの部分はたくさんあります。全体的な展示の問題として「旧軍を受け継いでいる」との指摘もありました。2時間の見学後、場所を移して1時間半ほど感想を交流しました。「ただ見るだけでは誤解ばかりが残る」との声もありました。学校単位での見学に疑問をもちつつも、少なくとも子どもらを連れて行くなら、事前事後学習をしっかりやって、戦前・戦後のことを学ばないと平和を育む教育にならないのでは、との声が多かったです。しかし学校現場の先生達は忙しすぎて難しいことはできないのではないか、などの意見も。

P3090099 子ども達は広報官らの一番の「狙い」なんだろうと思います。子ども達に迷彩グッズを身に着けさせての記念撮影コーナーもありました。子ども達には「カッコイイ」と見せている銃や戦車をバーンと撃ったら、罪も無い人や敵の兵隊が傷つき死ぬんだということを知らせねばなりません。それが教育というのではないでしょうか。そっか、広報施設だからね・・・。

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2008年3月18日 (火)

2008年の「3・8国際女性デー旭川集会」に参加して

3・8国際女性デー旭川集会2008/なくそう!格差と貧困輝かせよう!世界の宝・憲法9条/2008.3.8(土)/主催 2008年実行委員会

Dscf1474 毎年旭川市長から祝電が届いていたそうなのですが、今年は届きませんでした。例年と会場が違ったので手違いがあったのか、故意なのか、気になるところです。集会の終わりに、沖縄の「米兵の女子中学生暴行に抗議し、日米地位協定の抜本的見直しを求める決議」が採択されました。

講演 「沖縄戦と教科書検定」

講師 河合剛俊さん(歴史教育者協議会会員。元高校教諭

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1、集団自決体験者の証言

冒頭で集団自決体験者の証言のドキュメンタリー映像が流されました。日本軍に殺害された集落の生き残りの方の証言です。

・当時3歳の女性「集団自決の際、母親の陰に隠れていて助かった。こっそり逃げていく人がいたのをみて、兄とともに逃げた。」

「山中に逃げ延び、米軍の配給などで暮らしていると、日本兵がやってきて、俺たちだってろくなものたべてないのに、どうしてお前たちがこんないいもの食べているんだといって、父親を連れて行き、日の丸だといって膝の皮を丸くくり抜かれて帰ってきた。」

この方が体験を語り始めたのはごく最近で「このままでは事実が消え去ってしまう」と感じ、自分が体験者であると名乗り出たそうです。

・当時28歳の女性。家族を5人殺された。夜中に日本兵が10人ほど家に押し入ってきて、まず集落の男性が全て連れて行かれた。連れて行かれるときに、殺されると感じた。そのあと、残っていた女性と子供が海岸に一列に並べられ、向かい合った日本兵の手から手榴弾が投げた。自分は最前列にいて伏せたので、一命をとりとめたが、振り返ると、誰のものかもわからない、手や首がちらばっっていて、4歳くらいの女の子が血まみれになっていた。日本兵が帰ったあと、集落の木に縛り付けられて惨殺された村の男性の遺体を見た。ナイフで何箇所も刺され酷い姿だった。

2、沖縄戦の特徴

沖縄戦では唯一日本に米軍が上陸し地上戦が行われたこと、日本軍が日本の民間人を虐殺したこと。

3、2008年用歴史教科書検定結果について

文科省は集団自決について記述のある全ての教科書に対し、沖縄戦の実態について誤解を与える表現であるという意見を付した。集団自決が日本軍によるものではなく、住民の自発的なものであるよう書き換えを強制した。この検定意見の根拠は「直接的な軍の命令を示す根拠が確認できない」としている。

4、通説と根拠

沖縄の悲劇がなぜおきたのか、体験者の証言などをもとに研究されてきた結果、「日本軍の「軍官民共生共死」という基本方針のもと敵の捕虜になることの禁止が徹底され、軍が手榴弾を配布し、あるときは役場職員を介して自決指示を出したなどの事実が明らかになった。それにより、軍が直接住民にその場で自決命令を発したか否かにかかわりなく、「集団自決」がまさに日本軍に強制・誘導されたものであったことが明確になったのである。日本軍が存在しなかったところでは「集団自決」がおきていないこともそのことを証明している。」

ここで河合先生は、手榴弾は軍にしか渡されていなかったのに、手榴弾で自決したのだから、軍がわたした=強制したと取れる。「米軍の捕虜になるとひどい目にあう」と話していた日本兵は、アジア諸国の人々をつい最近まで「ひどい目」にあわせてきたのだから、生々しい話ができたのではないか、と話されていました。

5、歴史教科書検定の歴史

・1982年の近隣諸国条項

歴史教科書について「政府の責任において是正」「アジア諸国の近代史の記述に国際理解と国際協調の見地から必要な配慮をする。」「沖縄の県民感情に配慮する」と、沖縄戦について記述する流れができる。

・1983年に4度書き換えられた教科書

1983年の高校用歴史教科書には沖縄戦の解説として日本軍の住民殺害について記述する原稿が出されたが文部省の検定によって、削除された。以下資料から抜粋。

原文「戦闘の邪魔になるなどの理由で約800人の沖縄県民が日本軍の手で殺害された」

→ 文部省、数字に根拠がないとして書き換え命令。

一次修正文「スパイ行為をしたなどの理由で、日本軍の手で殺害された県民の例もあった」

二次修正文「混乱をきわめた戦場では、友軍による犠牲者も少なくなかった」

三次修正文「沖縄県史では戦場の混乱のなかで、日本軍によって犠牲者となった県民の例もあげられている」

→ 文部省「検定制度を取り違えてませんか」

四次修正文 日本軍による殺害の記述なし

→ 検定パス

・1984年文部省が「集団自決」とかかせた。これに対し、「自決」という言葉で記載するのはおかしいとして裁判が起きる。

この家永教科書裁判で、法廷で現地住民の証言により集団自決の実態が明らかになっていく。家永教科書裁判第3次訴訟最高裁判決では「集団自決」と記述することを認めながらも、「集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体のあり方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのはあたらないとするのが一般的であったというのである」「集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切ではないとの指摘もあることは原審の認定するところである」と沖縄側の証人の主張を認めた。これ以降、「集団自決」が日本軍によって強制されたものであることは研究者の間でも定説となり、多くの教科書にも書かれてきた。

6、記述修正の背景

  自由主義史観研究会の「沖縄プロジェクト」2005

「今回の調査で軍命による集団自決が虚構である証拠をつかめたのが、現実の教科書に軍命説がいまだに書かれている現状をあらためなければならない」と述べている。

・大江・岩波訴訟2005年

原告こ告訴状から抜粋「大江健三郎氏が著した「沖縄ノート」を含む岩波書店発行の書籍は、・・・集団自決が、原告梅沢元少佐、あるいは原告赤松元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである・・・」

この口頭弁論を傍聴した「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」の構成団体は、自由主義史観研究会・昭和史観研究会、靖国応援団、新しい歴史教科書をつくる会大阪など。

・教科書検定制度と検定調査官の問題点

調査官、審議会について、教育現場の経験がない、教職免許がない人材の起用、教科書執筆者からも学問的知識や水準に問題があると指摘される、調査官任命の基準が不透明などの問題がある。また教科書会社と調査官と審議会に同じ大学の研究室のOBや教授と教え子などのつながりがある。

・防衛庁では沖縄戦を3ヶ月間よくがんばった、と高く評価している。

防衛版の戦史では「集団自決は当時の国民が一億総特攻の気持ちにあふれ非戦闘員といえども敵に降伏することを潔しとしない国潮がきわめて強かったことがその根本理由である」「戦闘員の煩累を絶つため崇高な犠牲的精神により自らの生命を絶つものも生じた」と記述されている。

7、2008年検定意見を撤回しないことの意味

改憲、新教育基本法を支える歴史認識の育成。殉国美談で愛国心・軍民一体の国防意識を育てようとしている。

南京大虐殺の死者数、慰安婦における軍の強制性 集団自決の軍の直接命令 などの歴史事実の歪曲・否定。

侵略戦争の否定。戦争の悲惨さ、人権破壊、人間性の否定・喪失をまなばせないことで対米従属戦争(国際貢献)への批判的視点をくもらせ・戦争肯定の意識を醸成させようとしている。

8、国を守るとは誰から誰を守ることだったか

東条内閣成立の背景「皇族内閣で開戦。失敗したら国民の怨みが皇室にあつまる」

45年2月近衛文麿上奏文「敗戦必死 国体護持のために敗戦より敗戦にともなって起こる共産革命」

ソ連の対日参戦と御前会議・「聖断」「(国体維持は)大丈夫だろう」

●レポーターMNさんの感想

最後のほうは講演の時間が足りなかったのでレジュメのままです。国を守るとは「国体を守る」「国民から天皇(あるいは天皇制)を守る」という意味だったのではないでしょうか。

冒頭の証言で、がまの中での集団自決だけではなく、その後も日本軍が集落で虐殺を行っていた事実は衝撃的でした。また、事実をゆがめようとあの手この手で工作してくる力に恐怖を感じましたが、事実は事実です。「事実が消されてしまう」と、語り始めた体験者の気持ちにこたえ、私たちが事実をしっかり学び受け止め、伝えていかなくては!と考えました。あと、防衛戦史の話は書きとめていて胸が悪くなりました。

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2008年3月 8日 (土)

「大雪山国立公園に演習場」とは!?

ニュース紹介ではありますが、今朝(2008年3月8日)付の北海道新聞に「大雪山国立公園に演習場」の驚くべき記事が掲載されていました。95年から順次買収し演習場の「緩衝地帯」のような目的で利用されており、着弾も想定していたにもかかわらず、立入禁止措置を具体的にとっていなかったというのです。安全管理の側面と、環境保護の側面の両面の問題があると思います。近く関係する地元の方にコメントをいただき、追加掲載したいと思います。以下、北海道新聞サイトから転載。

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防衛省 大雪山国立公園に演習場 589ヘクタール買収、拡張 95年度から市民に周知せず(03/08 06:55)

0002  防衛省が、陸上自衛隊上富良野演習場(上川管内上富良野町、中富良野町、富良野市)の東側に隣接する大雪山国立公園の国有天然林計五百八十九ヘクタールを、演習場用地として林野庁から買収していたことが七日までに分かった。同省は買収の目的を「流れ弾などの着弾による市民の危険を防止するため」としているが、立ち入り禁止の周知はしておらず、登山愛好家らが拡張された演習場内を歩いていたケースもあった。環境省によると、国立公園内の土地の売買は自由で、林野庁も「売買は正当な理由によるもので問題ない」としている。

 買収区域は十勝岳連峰の西端にある富良野岳と旭岳の山麓(さんろく)。演習場を幅約一キロ、延長約六キロにわたって拡幅する形で買収しており、すべてが国立公園内。

0001 【図を拡大】

 同演習場は、一九五五年度に開設、りゅう弾砲、戦車砲などの射撃訓練を行ってきた。九五年度に最高で地上二千メートルという高い弾道を描く一二〇ミリ重迫撃砲の演習が始まり、着弾地が風下にぶれる可能性が出てきたため、演習場拡張に着手した。買収は同年度から二〇〇六年度まで、計十二回にわたって行い、買収総額は約七億八千万円。同演習場の現在の総面積は約四千ヘクタールで、今後、さらに国立公園内の約二百ヘクタールを買収する予定だ。

 上富良野駐屯地によると、同演習場では月平均百二十時間程度の演習を行っているが、これまで国立公園内に着弾した例はないという。同駐屯地は「険しい地形なので市民は入らないと判断した」として、拡張部分について看板などで立ち入り禁止を周知する措置は取っていない。

 しかし、実際には地元住民らが山スキーなどで入山しており、二年前に春スキーを楽しんだという男性(58)は「現場には拡張された演習場と分かる標識も何もなかった」と話す。

 これに対し、同駐屯地は「(市民が入山している)事実は把握していない。市民が立ち入り禁止区域に勝手に入ったことになる。今のところ、立ち入り禁止を広報するなどの考えはない」としている。

 川口迪彦・北海道平和運動フォーラム事務局長は「市民に知らせず立ち入り禁止措置もとらないまま演習を実施していたとは危険きわまりない。最低限、人命尊重のために敷地を明確化すべきだ」と指摘している。

 現場は国立公園内としては最も規制の緩い「普通地域」だが、工作物の設置や土地の形状の改変には届け出や事前通知が義務づけられている。流れ弾が着弾した場合は土地の形状が変わる可能性があるが、環境省は「(流れ弾は)事前予想ができないため通知は不要」としている。買収後は自衛隊が自然公園法に基づいて土地を管理しており、工作物の設置などはしていないという。

 防衛省によると、道外では国立公園内に開設した演習場が三カ所、演習場開設後に国立公園に編入された所が一カ所あるが、演習場拡張のために新たに国立公園内の土地を買収した例はない。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/80355.html

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2008年3月 5日 (水)

集会告知:イラク開戦5年・学習講演会/ストップ海外派兵恒久法

イラク戦争が始められて5年が経とうとしています。「終わった」とされた戦争は、いまなお日本(航空自衛隊)も含む多国籍軍により遂行され、無辜のイラク人民(とりわけ子ども達)が被害を受けています。私達はイラク戦争が始められようとしている頃イラクへの自衛隊の派兵が、わが街旭川から為されようとしている頃、その都度街頭に立ち、ピースウォークで、または集会でと戦争反対の声、派兵反対の声をあげてきました。

5年が経ち、いま国会で自民党・民主党の政策的「オール与党」によって企まれているのは「自衛隊海外派兵恒久法」についてです。これは新テロ特措法審議の過程、民主党の小沢代表によって提唱され、民主党が「テロ根絶法案」として「海外派兵恒久法」の法整備を義務付ける「おまけ」付法案を提出していました。リンク先の民主党ウェブサイトのページでは明記されていませんが、DLで法案を見てみますと第5章に明記されているのです。このような法案を自民党「新テロ特措法」の対案として提起するなど、理解に苦しみます。残念なことにこの法案の発議者として民主党サイトに登場しているのはNGO活動家、世界日報記者の日韓ハーフ、日教組出身の元教員の3名。自衛隊を恒常的に海外に出すことについては否定的な意見をお持ちのバックボーンをお持ちと思うのですが・・・。これをうけて福田首相も「海外派兵恒久法」の検討を開始すると明言しています。国民の知らぬところで、事態は明らかに進んでいます。

そこで旭川平和4団体(旭川平和委員会、道北原水協、安保破棄旭川実行委員会、旭労連)ではイラク開戦5年のいまこそ、市民によく知られていないものの非常に危険な「自衛隊海外派兵恒久法」について深く学び、語り広げようと以下の学習講演会を企画しました。当日は日本平和委員会が緊急作製した「ストップ『海外派兵恒久法』-それは海外派兵自動マシーンです-」(頒価150円)をテキストにします。

イラク開戦5年・学習講演会「ストップ海外派兵恒久法」

と き:2008年3月21日(金)午後6時30分~8時30分(予定)

ところ:ときわ市民ホール402号室

講師:石田明義さん(北海道平和委員会理事長、弁護士)

資料代:300円(「ストップ海外派兵恒久法」パンフを含む)

主催:旭川平和4団体(以下の4団体)

   旭川平和委員会

   原水爆禁止道北協議会

   安保破棄諸要求貫徹旭川実行委員会

   旭川労働組合総連合

問い合わせ:旭労連(℡0166-22-2133)

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●緊急出版パンフ「ストップ『海外派兵恒久法』」

 発行:日本平和委員会

 発行日:2008年2月21日

 A5版24ページ、2色刷、イラスト・写真付

 頒価150円、送料実費

メールでご注文いただければ郵送でお届けします。

代金支払いは郵便振替(手数料ご負担いただきます)にて。

学習講演会に参加できない方等、どうぞご注文ください。

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憲法の平和原則と海外派兵

著者:日本共産党
販売元:日本共産党中央委員会出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

自衛隊の海外派兵

販売元:社会批評社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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集会告知:3・15大弾圧事件80周年記念集会

2008年3月15日の夜、旭川市内で「3・15大弾圧事件80周年記念集会」が開かれ、映画「蟹工船」が上映されます。

3・15大弾圧」とは、1928年3月15日未明に共産党、労農党をはじめとして進歩的労働者・農民など1600余名が検挙され、言語に絶する拷問を加えられた治安維持法違反事件のことです。2月例会報告でもご紹介しましたが、治安維持法違反を理由として反戦平和や民主主義を求める人々の言動がことごとく弾圧され、同法施行下の20年間で逮捕者数十万人、虐殺80人、獄死1.617人、送検者75.681人、実刑5.162人にのぼりました。

弾圧の犠牲者等でつくる「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」道北支部は、以下のとおり同事件80周年記念イベントを開催します。治安維持法による民主主義への徹底弾圧を過去のこととせず、いまを生きるために役立てることは貴重な視点です。ぜひあなたも参加してみてください。

3・15大弾圧事件80周年記念集会

とき:2008年3月15日(土)午後6時30分~

ところ:ときわ市民ホール304号室

内容:小林多喜二不朽の名作「蟹工船」(監督・脚本:山村聡)を上映

wikipedia「蟹工船」も参照ください

費用:入場無料

主催:治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道北支部(℡0166-22-2133代)

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集会告知:3・8国際女性デー旭川集会

「3・8国際女性デー旭川集会2008」が開催されます。

案内チラシによれば「国際女性デーは、世界の女性達が平和と権利を求めて連帯し、行動する日です。1908年(wikipediaによれば1904年とされています-山田注)、アメリカの女性達が『パンと参政権』を求めて起こした行動に学び、1910年に開催された国際社会主義婦人会議で3月8日を世界の女性の統一行動日と決めました。今では国連事務総長がメッセージを発表する全世界の取り組みとなりました」と紹介されています。

実際、国連広報センターによれば「1977年、国連総会は各国に対し、それぞれの歴史、国民的伝統や習慣に沿うかたちで任意の日を「国際女性デー」と宣言するよう呼びかけました(決議32/142)。女性に対する差別撤廃と、社会開発への完全かつ平等な参加に向けた環境整備に貢献することが各国に期待されています。この国際デーは国連総会が宣言した「国際女性年」(1975年)および「国連女性のための10年」(1976~1985年)に引き続くものです。国連が3月8日を国際女性の日としたのは、国際女性年(1975年)のことでした」との記述があり、国際女性デーが国連総会決議に基づくイベントであることがわかります。

今年の旭川集会は教科書検定での沖縄戦集団死「削除」問題について講演が行われるということです。お近くのかたはぜひ参加してはどうでしょうか。

3・8国際女性デー旭川集会

とき:2008年3月8日(土)午後7時~

ところ:旭川勤労者福祉会館/大会議室(旭川市6条4丁目)

演題:「沖縄戦と教科書検定」

講師:河合剛俊さん(歴史教育者協議会旭川支部)

参加費:500円

保育:保育室があります。必ず事前にお申し込みください。

問い合わせ:新日本婦人の会旭川支部 電話0166-26-2949

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2008年3月 3日 (月)

「3・1ビキニデー旭川集会」に参加して

2008年2月14日に開催された「3・1ビキニデー旭川集会」には、会場いっぱいの参加者で熱気溢れました。集会では元第五福竜丸乗員の大石又七さんが講演され、核兵器廃絶への決意を改めて確認しあう場となりました。主催は原水爆禁止道北協議会(道北原水協)。以下に、当会から参加したAさんのレポートをご紹介します。

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Pict0001 2月14日、講師に第五福竜丸乗務員の大石又七氏を迎えて「3・1ビキニデー旭川集会」が開かれました。会場には40人弱の方が集まりました。

講演で大石氏が第五福竜丸に乗船していて被爆したのは20歳のとき、終戦から9年ということで、戦時中の情報がなく、広島、長崎に「ピカドン」という爆弾が落とされたことは知っていましたが、それがどのような爆弾かは知らず、実験の光や音も最初は自然災害と思っていたそうです。

Pict0003 敗戦で小さくなっていた政府は「アメリカの核実験に賛成で協力する」などと国会で答弁し、9ヶ月でアメリカと政治決着を結んで事件にふたをしてしまい、後から色々な情報が出てきているそうです。

大石氏自身もガンを発病し、また最初の子どもが死産で奇形児だったことから、体験談を語るようになったそうです。現在、第五福竜丸の乗組員23人のうち12人がなくなり11人が生存していますが、体験談を語っているのは大石氏だけだそうです。

大石氏は「若い方に知ってもらいたい」と・・・ビキニ事件が忘れ去られようとしている今、この事件のことを後世の人にも伝えなければならないと思います。

(レポート:旭川平和委員会会員M・A)

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