安保破棄大阪が北鎮記念館に公開質問状を送付
今年(2007年)8月、安保破棄諸要求貫徹大阪実行委員会(大阪安保)のメンバーが旭川を訪問され北鎮記念館を見学されたそうです。そこで展示物のあまりの「侵略戦争・・・美化」(大阪安保の公開質問状より)に驚き、以下の公開質問状を送付したそうです。
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第2師団司令部のある旭川で、北鎮記念館を見る機会がありました。
私がまず驚いたことは、戦前の第7師団とその戦歴に関する展示が文書、写真、のぼりなどさまざまな遺留品によって大規模に紹介され、展示物の大半を占めていることです。
明治初期から軍都とされた旭川の第7師団が日清、日露戦争をはじめ満州、中国侵略から太平洋戦争に至る長い戦争の時代に、第一線の派遣部隊とされて各地で多くの「戦果」と犠牲を生んだことが詳しく展示・説明されています。
しかし、それは戦前の師団の話です。同じ場所に自衛隊の師団がおかれているからといって、天皇制下の帝国陸軍とは本来なんの連続性ももたない陸自の第2師団の資料館展示が、なぜこういう内容になるのでしょうか。
新記念館は「旧兵器庫をイメージしデザイン・設計され」「歴史教育の場としての役割を果たしている」、「先人たちの遺した『北鎮』という旭川師団精神を継承し・・」、明治37年12月の「二〇三高地攻撃の師団命令」などを展示、桂太郎陸軍大将による石碑の説明文には「建立以来、百五年余の時を越えて北を睨み、その意思を陸上自衛隊第二師団が受け継いでいます」とまで明記しています。
いうまでもなく、1945年の「ポツダム宣言」受諾と無条件降伏によって、戦前の帝国軍隊は武装解除され、侵略軍として断罪されました。その国際的な審判を受け入れたうえで、戦後の日本は憲法で「再び戦争はしない」ことを明らかにして国際社会への復帰が認められ、再出発しました。
憲法9条のもとで、その存在自体が憲法違反としかいいようのない自衛隊が、1954年以来増強され、その経費の一部で戦前そこに置かれた帝国陸軍の威容と戦果を称揚する、そして「北の守り」という「伝統を継承する」、歴史にたいする無反省な立場にたってそのことを内外に誇示する、まるで戦前の軍国主義体制への回帰という危険なもくろみを隠そうともしない・・こんなことが許されていいのでしょうか。
貴職の説明によれば、同新館の建築費用に4億円以上、ビデオ・パネル展示施設などの経費として1億数千万円がかかったといいます。これは国民の税金の不法・不当な使用といえるのではないでしょうか。現在の国民の負担で、国際社会と日本国憲法がきっぱり否定した戦前の軍隊と侵略戦争を美化する展示をおこなう・・このことが自衛隊法上、あるいは国の財政支出に関する法律、規定、基準からいって許されるのかどうか。その法的根拠を明確に示して、私の疑問に文書ですみやかに回答してください。
2007年8月28日
竹 馬 稔(安保破棄大阪実行委員会事務局長)
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戦後、自衛隊を創設する際に「旧軍との連続性の排除」ということが不文律的に約束され、一定時期までは厳格に守られていたそうです。山田自身、今回この公開質問状を読むまではそのことを知らず、旧第七師団のことを展示すること自体の問題性を認識していませんでした。しかし、確かに「戦前の軍隊と侵略戦争を美化する展示」という側面があり、その具体的な指摘のポイントは(大阪安保と当方とで)多少違っても、大筋では賛同できる主張で論立てしている公開質問状だと思います。
よって、これへの回答がどうなっているか関心あるところですが、大阪安保にお聞きしたところ「北鎮館副館長に再三電話をしましたが『師団司令部を通じて北部方面総監部にあげているのでそちらを詰めるように』といって回答回避に終止。総監部にも幾度か電話をしましたが、明確な返答のないまま気にはなりながら今日にいたっています」とのことでした。
北部方面総監部は「すみやか」な回答をすべきであるとこの場にて改めて訴えます。今後、北部方面総監部からの回答があり次第教えていただけることになっていますので、回答内容に注目したいと思います。
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