〈アーカイブ〉旧陸軍第七師団「軍用水道」
●〈アーカイブ〉の新設について
旧サイトのうち、改めてブログにて紹介すべき記事を再録します。基本的にはそのまま転載しますが、一部手を加える場合もあります。
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2004年7月27日、知人のジャーナリストA氏から電話あり。A氏いわく、「いま戦争遺跡の取材をしていて、春光台の『軍用水道』を見に行くんだけど、戦前から春光近辺に住んでいる方にお話を聞きたいので紹介してもらえないか」とのこと。「えっ?『軍用水道』?初めて聞いた。面白そうだね。一緒に行っていいかい?」とすぐにお願いして取材に同行させてもらいました。翌28日、A氏、歴史教育者協議会のB先生(元高校教諭)とともに旭川市水道局石狩川浄水場(末広東)を訪ね、「軍用水道」について詳しく聞きました。
【1997年掲載、道新夕刊の記事】
旭川市に市民を対象とした「水道」が引かれたのは戦後のこと。それまで市民は井戸水などで暮らしていたそうです。明治までは軍隊も同じでしたが、チフス(伝染病)が発生した事件を機に旧第7師団と軍人住宅のみ対象とした「軍用水道」を建設することを決意。明治43年4月に起工し、大正2年3月に完成しました。総工費は当時約44万円。現在の価格に換算すると約90億円にものぼる大工事でした。
【写真①水道木管:石狩川浄水場展示品】
この水道は石狩川から取水して勾配を利用して現在の旭川市春光地区(旧4区)まで木管(写真①)で水を流します。ちなみにこの木管はいまだに地中に埋まっていて、土木工事をすると出てくるそうです。木管は陸上自衛隊旭川駐屯地内の「北鎮記念館」にも一部展示されています。
【写真②覆蓋付緩速ろ過池】
【写真③盛り土の上部分:突起は空気穴】
【写真④盛り土脇の説明看板】
【写真⑤水の無いときの内部構造】
さて旧4区まで到着した水はポンプを使って春光台にあげられます。そこで登場するのが今回紹介する「覆蓋付緩速ろ過池(ふくがいつきかんそくろかち)」です。「覆蓋」とは「天井」「おおい」のこと。なぜ「覆蓋」がついているか?には「軍用だから毒物や最近の投入防止のため」などの説を提示するサイトもありますが、実際にはそういう側面の検討もあったかもしれませんが主たる理由は対寒構造的な問題だと写真④の案内看板に示されています。写真③のように空気穴が開いていることからも対寒構造という説明が筋が通ってます。
「緩速ろ過池」とは砂利などを利用してゆっくりろ過をする池のこと。自然界が地下で行っている浄化作用を人為的に作り出そう、というわけです。写真②の奥側、盛り土された内部にレンガ造りの施設が埋設されています。写真⑤は掃除のときに撮影した内部の姿です。素晴らしいアーチ型にレンガが組まれています。ここに現在、「旭川市水道局春光台配水場」として春光台地域に配水されている飲料水が蓄えられています。いまは「ろ過」はしていません。「ろ過」は浄水場で行い、「配水池」の役割だけです。
【写真⑥配水場の門:春光台公園側から】
【写真⑦水神:配水場の片隅に祭られていました】
【写真⑧軍用水道碑:春光台公園内】
明治時代につくった「軍」のみ対象とした水道施設がいまだに使えるというのは、いかに軍事には予算を使っていたかの現われです。実際、水は軍事の要であり、旧4区に立っていたポンプ場は爆撃があっても破壊されないように分厚いコンクリートで覆われていたそうです。自衛隊の給水部隊も補給の要であり、だからこそ「人道復興支援」の代表格にされたのかもしれません。
この水道施設は「近代水道百選」にも選ばれているといいますが、市民にはあまり知られていないように思います。ぜひ、歴史の証言者・文化財として保存して欲しいと思います。
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