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2007年6月に作成された記事

2007年6月28日 (木)

旭川市議会・西川市長の答弁②「自衛隊情報保全隊-国民自由の制約、許されない」

太田議員の質問は続きます。

次のテーマは「自衛隊情報保全隊」について。共産党が入手した内部文書には「P(共産党)旭川市議団」の名も登場します。これは2003年11月26日に旭川市役所にて当時の菅原市長に対して「派兵中止を政府に求めて」と要請したときのことだとか。太田議員は「立ち会ったのは、旭川市議団と菅原前市長と企画財政部の幹部職員だけ」「情報はおそらく(共産党市議団発行の)『民主旭川新聞』第638号、03年11月30日付だと思われ」ると推測。同新聞は議会活動の詳細な報告が行われており、「前市長の議会発言」も市議会での意見書採択も「監視対象になったと推察」し、「市民のあらゆる活動を監視し、記録していた実態に戦慄」すると述べています。その上で、「地方議会に対する監視活動は、地方自治に対する軍事権力による介入」だと指摘。市長の見識を問いました。同時に「国に対して情報保全隊の国民監視を直ちに止めるべきであることを表明する考えはないか」と見解を求めました。

西川市長は「北鎮記念館」についての答弁とは一転し、実に筋の通った答弁を行いました。

まず「情報保全隊」については「報道されている情報しか持ち合わせていない」と断りつつも、「情報保全隊に限らず、どのような機関であっても、憲法で保障されている国民の自由を制約するような行為は許されるものではない」と名言。ということは情報保全隊はもとより、警備・公安警察や公安調査庁による違法な情報収集活動も当然「許されるものでない」ということになりましょう。

そして国に対する意見表明については、「情報保全隊の行動にかかわらず、市民に対して不利益になるような活動などが確認され、その必要がある場合には、速やかに対応してまい」ることを表明しました。まずは「共産党旭川地区委員会」「共産党旭川市議団」や「有事法制反対旭川連絡会」(旭川平和委員会も加盟)などが内部文書に明記され、現に不利益が確認されていますので、ぜひとも市長には防衛大臣に対して意見表明をしていただきたいと思います。

●旭川市民が不利益をうけた被監視活動の証拠

以下に、内部告発された情報保全隊の資料から、全部ではありませんが旭川関係分の一部抜粋を紹介します。これだけでも、実際に旭川市民が監視対象となったこと、具体的に発言や行動が本人の意に反して記録され、不利益を被っていることが明らかであるといえます。

P6280053

▲こちらは道北平和フォーラムさん。

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▲私たちも加盟する「有事法制反対旭川連絡会」の街頭宣伝の記載。私、山田もこの日の街頭宣伝には参加していたと思います。

P6280056

▲でもって、こちら(一番上)は民主党さんと、連合上川さん。一番下の段は「イラク派兵に反対する女たちの会」とやら。こちらは川田悦子さん(元衆院議員)、鎌仲ひとみさん(映画監督)、中山千夏さんなどが主宰する東京方面の会だそうですが、旭川の「『テロ』も『報復戦争』も許さない、生かそう憲法女性たちの集い」の会員さんが一生懸命に取り組んでいる、ということで案内をいただいていました。

●どうでもいいこと(本当か?)ですが、「誤記載」目立つ「内部文書」

以前も「青年部長談話」でも指摘のあったことで、北海道新聞記者さんからも詳しく聞かれたのですが、これら内部文書は結構「誤記載」が多いのです。間違った情報を蓄積していけば、過去の間違った情報をもとに現在の情報判断でも間違いを犯す可能性があります。そういうところ、情報管理としてはどうなんよ?と思います。いづれにしても、私たちが求めているのは「民間個人・団体の情報蓄積をやめよ」ですがね。

P6280054

▲上の部分で「P関係者」とされているのは、様々な団体や個人の自然発生的な集まりでした。次の写真をご覧ください。

P2020026 内部文書で「抗議行動」とされる活動の写真です。これは山田が駐屯地側から撮影したものです(情報保全隊によるものではありませんので、あしからず)。

いまでも覚えていますが、この日は前日行われた小泉首相(当時)による隊旗授与式をうけて、本隊(施設部隊)が出発する、ということで情報を集めていました。出発にあたり、反対している多くの道民(当時、北海道新聞の道民世論調査で派遣反対59%、賛成37%でした)の声を伝える者がいなければならないと考えていました。この日の早朝に、あるメディアから「今日●●時に出発するようです」との情報が入りました。この情報は民主党や社民党、連合などにももたらされた、と聞きました。そこで私たちは、急きょ連絡をまわし、駆けつけられる人だけでも、と駆けつけたのです。共産党の人もいました。左側に見える赤い旗は「勤医協労働組合」さんの旗です。他に旭川労働組合総連合の人たち、民主商工会の人たち、旭川平和委員会もいました。団体所属していない個人の人も。少人数ですが、多様な人が駆けつけ「公務員の憲法擁護義務を守れ」と訴えたのです。駐屯地内では隊員とともに隊友会や日本会議の市民が集まり、日本会議上川が配ったとされる「日の丸」小旗がせわしなく振られていました。私たちは駆けつけてよかったと思っています。この動きを「P関係者」と括られてしまいました。

P6280057

▲先ほどの「イラク派兵に反対する女たちの会」の部分、内容説明のところで川田悦子さんを「元参議」と誤表記。元衆院議員ですって。

●西川将人旭川市長殿-市民の不利益に対しきっぱり行動をお願いします。

以上見てきたように、旭川市民は明らかに不利益を被りました。とても耐え難いプライバシーの侵害です。旭川市民の生命・財産・生活と権利を擁護すべき市長として、率先して国に対し「情報保全隊の活動の即時中止」を求めてください。

西川市長も副市長も秘書課長も、さあさあクリック♪

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2007年6月27日 (水)

旭川市議会・西川市長の答弁①「北鎮記念館-前市政完全継承、旭山人気を自衛隊広報に流用か?」

旭川市議会では第2回定例市議会が開かれています。各議員から通告されている質問要旨を拝見すると、一般質問でも大綱質疑でも「平和」に関わるテーマは一人だけ。日本共産党の太田元美議員が「北鎮記念館」と「自衛隊情報保全隊」について西川将人旭川市長の認識を問う質問を予定していました。そこで昨日(26日)午後、太田元美議員の質問を傍聴してきました。

Ohtamotomi_sitsumon 太田議員は、6月10日の第2師団創立記念行事での西川市長の挨拶を引用し、イラク派兵の評価、北鎮記念館を「旭川動物園に次ぐ第2の観光の目玉に」との姿勢を厳しく批判していました。軍の命令で殺された象についての絵本を紹介し、「平和の象徴・動物園と軍は相容れない存在」と指摘。動物園人気を軍事資料館見学へと結び付けようという西川市長の言動を批判しました。

これに対して西川市長の答弁ですが、結論からいえば「全て容認。何か問題でも?」という開き直りです。

Nisikawamasahito_touben 答弁ではイラクへの自衛隊派遣について、「国連安保理決議とイラク特措法に基づき、当時の政府が責任を持って、安全かつ平和的な国際社会への貢献ができると判断した上での派遣」と評価。自衛隊は「イラクの国民による自主的な復興努力を支援し、我が国を含む国際社会の平和と安全を確保するために、大変な重責のもとで活動にあたり、道路、橋等の維持補修、給水所の維持管理などの面で一定の成果を収めた」と積極評価しました。そして「そこに派遣された第2師団の隊員の多くは旭川市民であることから、その働きに対して感謝の意を述べた」のだと言明しました。

そして北鎮記念館について「北海道の防衛と開拓に関係ある屯田兵、旭川旧第7師団関係資料・物件等を収集して、広く一般に公開し、先輩達の苦労と功績を偲ぶとともに、旭川の歴史を伝える非常に貴重な施設」だと評価。最後に「動物園を中心に非常に多くの観光客」が来ていることを指摘した上で、「是非観光客の方々にも北鎮記念館を訪れていただき、旭川の歴史に触れ、多くの教訓を学び取っていただく」ことを願うと、やはり動物園人気の「流用」を言明しました。また「旭川の魅力を知っていただくことにより、再び旭川に来ていただくことにつながることを願」うとも述べ、北鎮記念館が魅力の一つであると「認定」し、理解を求める答弁をしました。

市長がこのように自衛隊広報館である「北鎮記念館」を推奨することは、例えば市の部局での扱い方や市立学校(小・中・北都商高)での「総合学習の時間」での取り扱い方など影響がでる可能性も否定できません。とくに重大なのは子どもたちへの影響です。ただでさえ、北鎮記念館が「入館しやすい」場所・入館方法に変わったことで子どもらのグループ見学による無批判な「先達礼賛」「軍人顕彰」刷り込みが懸念されているところです。追い風を吹かせるように旭川市長が「貴重な施設」と持ち上げればどうなることか。その影響までも考えての答弁なのでしょうか?ぜひ北教組・道教組・高教組など良識ある教育関係者のご意見をお聞かせ願いたいです。

支持母体の一つ例えば旭川市職労などとはイラク派兵への認識はずいぶん異なると思いますがどうなんでしょう?西川市長がそういう見識を示されるのはご自身の勝手としても、ならば「推す」「推さない」もみなさんの勝手。ぜひ再検討してはいかがでしょうか。

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2007年6月24日 (日)

「大東亜戦争」の呼称についての疑問②-呼称論争

この問題、ネット上だけでも調べれば調べるほど「呼称論争」が行われていたことがわかりました。正確には、「太平洋戦争」という「連合軍が強制した呼称」をやめて「大東亜戦争」と呼ばせたい右派論陣からの論争、というべきでしょうか。まだ詳しく資料にあたったわけではありませんが、かなり古くからあったようですね。

比較的新しいものでしょうが「東京裁判開廷50年」といいますから1996年ごろの拓殖大学総長の文章「戦争の呼称を正そう」より引用。「今日の政官財界やマスコミ人の最大の缺陥は、自分たちの祖父が築き上げて来た自国の歴史を、「自分の」歴史として見ることができなくなったこと、換言すれば国民同胞感に裏付けされた歴史意識の喪失である。「太平洋戦争」も、「15年戦争」も、近時一部で用いられる「アジア・太平洋戦争」も、我々の敵国又は国籍不明者の見る戦争であって、決して「自分の」戦争ではない。政府が正しく「大東亜戦争」と呼称し、これを青少年に教育するとき、初めて日本は独立を回復したと言えるであろう」と述べています。

元特攻隊員なる方のサイトでは法律論とともに所見が述べられています。そこでは「 かりに、名称の改廃があったとしても、わが国があの当時「大東亜戦争」と呼称して、戦争を遂行してきたことは、歴史的事実である。事の善悪は別として、この事実まで抹殺することは不可能である。ところが、この歴史的事実を隠蔽するかのように、「太平洋戦争」などと根拠のない名称を使用するのが、今や報道機関などでは主流となっている」と述べています。氏は純粋な立場から述べているかもしれませんが、右派論陣のなかには「事実の善悪は別として」と宣告することで瞬時に思考停止させて「大東亜戦争」を持ち込もうという論理展開が見え隠れしています。これをイラク派兵時の「黄色いハンカチ運動」の論理と似ている、と考えるのは私だけでしょうか。あの当時、「派兵の是非は別として、隊員の安全を祈る」との宣告で「派兵そもそも」に思考停止させられた市民はどれだけいたことでしょう。あの時点でもなお「派兵に反対」し、現在陸自情報保全隊のリストに掲載されていたような「派兵反対運動」をしていたものを、あたかも「安全を願わない非道なサヨク」と描き出すことにより思想的な総動員体制を確立することが目的だったように思います。また氏は「そもそも「大東亜戦争」は、植民地化されたアジア地域からアメリカや西欧諸国の勢力を排除して、日本を盟主として共存共栄を図る「大東亜共栄権(ママ)」の建設がその目的である。そしてその目的が崇高なるが故に、「聖戦」と呼ばれたのである」とも述べ、「太平洋戦争」の呼称使用を批判しています。

このように戦前「日本帝国」の行った植民地主義的侵略主義的戦争を「大東亜共栄圏建設の崇高な目的があった」「自分達の祖先(一般論と言うか当時の政府・軍首脳部などの指導者たちが念頭にあると見ています)が選んだ選択は実現しなかったが間違ってなかった」と若い世代に教え込みたい勢力こそ「大東亜戦争」呼称に固執しています。その最たるものが「新しい歴史教科書をつくる会」がつくった扶桑社刊の歴史教科書なのではないでしょうか。

なお皮肉にも、扶桑社の歴史教科書に対する検定を実施した小泉前政権が閣議決定した政府答弁書では、扶桑社本が「大東亜戦争」についてカッコ書きで「戦後、アメリカ側がこの名称を禁止したので太平洋戦争という用語が一般的になった」と記述していたことについて「現在一般的には「太平洋戦争」と呼ばれている」ことが読み取れるからよいのだ、と説明していますが、当時の政府見解では「太平洋戦争」が一般的、との理解だったことがわかります。

以上見てきたような「大東亜戦争」呼称を持ち込もうという動きに対して、さまざまな論争があったようですが例えば外交官出身の金子熊夫氏は「アジア・太平洋戦争」を提唱しています。氏の主張は概念的な問題と、戦争の両当事者の思いに目を向けた比較的受け入れやすい内容かと思います。また対中関係にも触れ「日本にはこれまで、太平洋戦争が優れて日米戦争を意味し、最終段階で東京大空襲や広島・長崎への原爆投下で多数の非戦闘員が殺されたので、米国との関係で「被害者」意識が根強く存在する反面、朝鮮や中国に対する「加害者」意識はあまり強くない。そこに日中両国民間の認識の大きなずれがあるが、その最大の原因は、日中戦争と日米戦争を関連付けて正しく理解するような歴史教育がなされていないからだと思う」と言っている部分はなるほどと思う部分もあります。

ユーラシア21研究所理事長の吹浦忠正氏は自身のブログ「太平洋戦争」は米国がヨーロッパ戦線と区別して使った、日本との戦争に対する呼称。これをそのまま使うというのはなんとも「対米追随主義」ではないか。日ごろ、何かにつけて「対米追随主義」を批判する人に限って、太平洋戦争と言いたがるのは私には解せない。せめて、「第2次世界大戦」と言ってはいかがなものか」と述べていますが、「第2次世界大戦」ではあまりに大きくまとめすぎて「適切ではない」との批判もあるようです。

「しんぶん赤旗」では「聞きたい知りたい」欄への回答で、「この「大東亜戦争」という呼称も、侵略戦争の性格を覆い隠し、アジアの人々があたかも「共栄」できる「大東亜共栄圏」をつくる正義の戦争であるかのように思わせるものでした」と批判し、「歴史認識の深化とともに、「満洲事変」から「大東亜戦争」の終わりまでを含め、「十五年戦争」「アジア・太平洋戦争」という呼称も使われてい」ることを紹介しつつ「呼称の変化は、戦争の評価・位置づけと不可分です」と述べています。

この「しんぶん赤旗」の指摘する点が重要なのかな?と思うんです。それは現時点で安倍内閣が「大東亜戦争」を政府の公式定義としたことが、まさに戦前回帰主義というか天皇制政府が行った侵略戦争の目的であった「大東亜共栄圏」を現代に復興させようという靖国派の狙いそのものであるということです。

私たちは表面的な呼称論争だけに目を奪われず、靖国派の狙いをよく見定めていかねばなりません。同時に、「大東亜戦争」という呼称は1941-1945年の対米英はじめ連合国軍に対する戦争が「大東亜共栄圏建設のための聖戦だった」とする靖国派が植えつけたい思想を表す呼称であり、だからこそ彼らがその使用にこだわっていることについても注視し、これを許さない草の根の学習運動が必要だと思います。そもそも安倍内閣には、「大東亜戦争」呼称の使用は自らが堅持すると表明した「村山談話」の「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」との歴史認識に反するものであり、1941年の閣議決定を今更持ち出すのではなく、現内閣として少なくとも小泉前内閣が「一般的に呼ばれている」と述べていた「太平洋戦争」を定義とするよう閣議決定すれば良いだけの話なのです。

蛇足ながら靖国DVD『誇り』も、彼らとしては当然なのでしょうが「大東亜戦争」の呼称を使っています。そのアニメをみた子どもらは「日本がすべて悪いわけではないと思った。戦争の見方が変わった」(島根の中学生。視聴後のアンケートへの感想)との声も出ており、靖国派の狙いが一体であることがよくわかります。

さてメディアの掲載記録は、いまのところまだ発見できていません。情報求めます。

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「大東亜戦争」の呼称についての疑問

以下、靖国派安倍内閣に関わることなので「靖国派」カテゴリーで記事とします。

P6170011 この間、北鎮記念館は四度訪ねました。その際、毎回疑問に思っていたのが「第七師団と大東亜戦争」のコーナー。私にとって「大東亜戦争」の用語は近しいものでは無く、むしろイメージとしては忌避したいところ。それは「大東亜共栄圏」をつくろうとの「建前」を掲げ「平和」を訴え突入した1941年~1945年対米英戦争に対する日本側の呼称だからです。公的機関として安易に「大東亜戦争」の用語を使うべきでないと考えています。写真の通り、北鎮記念館には「第七師団と大東亜戦争」コーナーがありますが、一方で説明文のなかでは「太平洋戦争」と記されている部分もあり、不統一感もあります。その辺は、「館側数名と商工会議所など市民(?)と共同で」(館長談)書いた、という説明文立案過程の手落ちなのでしょう。しかしこの「大東亜戦争」の呼称、ある意味、意図的に公然と使用されていたことがようやくわかりました。ちょっと遅かった感もありますが、平和を求める人々への問題提起のため書き留めておくことにします。

それは2007年2月6日、安倍内閣による閣議決定で「大東亜戦争」を1941~1945年対米英はじめ連合国軍との戦争の正式な呼称だと決めたそうなのです。これは新党大地(国会会派では「無所属」)鈴木宗雄衆院議員の2007年1月26日質問主意書に対する答弁書で決定されました。以下に引用します。

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平成十九年一月二十六日提出
質問第六号

大東亜戦争の定義等に関する質問主意書
提出者  鈴木宗男

大東亜戦争の定義等に関する質問主意書
一 大東亜戦争の定義如何。
二 太平洋戦争の定義如何。
三 大東亜戦争と太平洋戦争は同一の戦争か。
右質問する。

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で、これに対して政府答弁書(閣議決定されたもの)。

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平成十九年二月六日受領
答弁第六号

内閣衆質一六六第六号
平成十九年二月六日

内閣総理大臣 安倍晋三

衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員鈴木宗男君提出大東亜戦争の定義等に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員鈴木宗男君提出大東亜戦争の定義等に関する質問に対する答弁書

一について
 昭和十六年十二月十二日当時、閣議決定において「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされている。

二について
 「太平洋戦争」という用語は、政府として定義して用いている用語ではない。

三について
 「太平洋戦争」という用語は政府として定義して用いている用語でもなく、お尋ねについてお答えすることは困難である。

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当時、報道では話題にならなかったかと思い、少し調べましたが記事掲載は見当たりませんでした。「しんぶん赤旗」でも2007年2月縮刷版CD-ROMの検索で「大東亜戦争」を調べても出てきませんでした。これらのやりとりが「ひっそりと」行われていて、報道にも出ず(実際のところどうなのか?についてもう少し調べてみます。少なくとも話題にならなかったのは事実)、これを前提として自衛隊の広報館で「大東亜戦争」の呼称を公然と使用している。これは驚きました。

ちなみに鈴木宗雄衆院議員は「質問主意書」を乱発することで有名ですが(国会で質問に立つ時間が短いためとのことですが・・・)、この「大東亜戦争」の質問主意書には経過がありました。それは2006年11月30日にも「大東亜戦争の定義に関する質問主意書」を提出していたのです。以下に引用します。

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平成十八年十一月三十日提出
質問第一九七号

大東亜戦争の定義に関する質問主意書
提出者  鈴木宗男

大東亜戦争の定義に関する質問主意書

一 大東亜戦争の定義如何。大東亜戦争という呼称の法令上の根拠を明らかにされたい。
二 太平洋戦争の定義如何。太平洋戦争という呼称の法令上の根拠を明らかにされたい。
三 太平洋戦争に一九四一年十二月八日より前に行われていた日中間の戦争が含まれるか。
四 政府は、いつから大東亜戦争という呼称を用いなくなったか。その経緯と法令上の根拠を明らかにされたい。
五 政府は公文書に大東亜戦争という表記を用いることが適切と考えるか。
右質問する。

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これを見れば、「四」の「政府は、いつから大東亜戦争という呼称を用いなくなったか」や、「五」の「政府は公文書に大東亜戦争という表記を用いることが適切と考えるか」のあたりに、鈴木宗雄衆院議員が政府に対し「大東亜戦争」の呼称を用いるよう迫っているようにも読み取れます。

この質問主意書に対する政府答弁書がこちらです。

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平成十八年十二月八日受領
答弁第一九七号

内閣衆質一六五第一九七号
平成十八年十二月八日

内閣総理大臣 安倍晋三

衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員鈴木宗男君提出大東亜戦争の定義に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員鈴木宗男君提出大東亜戦争の定義に関する質問に対する答弁書

一について
 昭和十六年十二月十二日の閣議決定において、「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされているが、お尋ねの定義を定める法令はない。

二及び三について
 「太平洋戦争」という用語は、在外公館等借入金の確認に関する法律(昭和二十四年法律第百七十三号)等に使用されているが、お尋ねの定義を定める法令はなく、これに日中間の戦争状態が含まれるか否かは法令上定められていない。

四について
 昭和二十年十二月十五日付け連合国総司令部覚書以降、一般に政府として公文書においてお尋ねの呼称を使用しなくなった。

五について
 公文書においていかなる用語を使用するかは文脈等にもよるものであり、お尋ねについて一概にお答えすることは困難である。

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この時点では政府としても「大東亜戦争」の呼称に対する態度は明確では無く、むしろ「呼称を使用しなくなった」ことを認めています。逆に「太平洋戦争」については「定義を定める法令はな」いとしながらも、昭和24年制定の法律に用語として使用されていることを明らかにしています。この答弁書の段階では「大東亜戦争」の呼称について、その使用は全否定されてはいませんが「一般に政府として公文書において」「呼称を使用しなくなった」のですから、仮に自衛隊がこれを使用することは適切でない、との判断が妥当だろうと思います。

これを覆すよう、さらに迫ったのが鈴木宗雄衆院議員だということでしょう。防衛「省」昇格法を通過させて勢いづいた靖国派安倍内閣はこれに便乗(同調?)し、ついには2月6日閣議決定に至ったものと考えられます。あくまで推察ですが。

いづれにせよ、この質問主意書と答弁書がなければ、北鎮記念館の当該部分では「大東亜戦争」の呼称を使用しなかったことでしょう。

さて残されたのは2007年2月段階での「閣議決定に対するメディアの反応」と「大東亜戦争呼称そのものに対する解明」ですが、それは次回への課題にしたいと思います。「大東亜戦争」「太平洋戦争」の呼称についてはWikipediaにも解説があります(あくまで参考まで)。

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2007年6月22日 (金)

靖国DVD『誇り』-文科省委託を辞退

「しんぶん赤旗」6月22日付の報道によれば、この間当ブログでも問題提起していた日本青年会議所(日本JC)作製のDVDアニメ『誇り』を使用しての「近現代史教育プログラム」について、世論の批判をうけて文部科学省中等教育局長宛に「辞退」の文書を同会議所・奥原祥司会頭名で提出していたことが明らかになりました。

この問題では5月上旬に共産党の石井郁子氏が国会質問で取り上げ、全国的に各種団体により教育委員会への申し入れや抗議活動が広がっていました。「しんぶん赤旗」もキャンペーンをはり、一連の動きをこまめに報じてきました。一方で、メディアではあまり取り上げられていませんが韓国青年会議所がこの問題で全韓国的な抗議行動を展開していたそうです。ブログ「土佐高知の雑記帳」さんから教えていただきました。感謝。

Article1 左は韓国青年会議所(以下、韓国JC)サイトから転載した写真。これを見ただけでも韓国側の怒り具合が読み取れるかと思います。このサイトを友人に頼み翻訳していただきました。一部だけ紹介しますと、こんなことが書いてあります。

<タイトル>
"日帝侵略美化,歴史歪曲DVD 廃棄しなさい" 要求
[糾弾大会] “日帝侵略美化、歴史歪曲DVD廃棄せよ”要求
全国各地から1000余名のJC会員参加し糾弾大会が開催された

また本文では「ソン・インシク中央会長の大会辞を始まりに進行された行事は決議文朗読、関係団体の団体長挨拶の言葉,坊主頭式、厄払い共同行動と続き、日本青年会議所が作った DVD ‘誇り’を糾弾するシュプレヒ コールで市民たちの呼応の中に鍾路区(チョンノ区)の日本大使館まで街頭行進をした」と「糾弾大会」の概要が紹介された上でソン中央会長の挨拶、集会での決議文が紹介されています。決議文のなかでは最後に「私たちのこの警告と要求が受け入れられない場合、私たちは日本青年会議所と40余年間持続してきたすべての友好交流の中断も辞さないと決意する」とのべ、日本JCに対して猛烈な抗議を行っています。この集会は6月14日のもの。韓国JC2万余を代表してとのこと。

Sevp2 文化の違いなのか、ちょっと驚きつつ一瞬笑いそうになったのが「坊主頭式」ですね。でも真剣な決意表明の儀式なんですから笑ってはいけないことは重々承知です。本文でも「何より印象的な場面は 2万余韓国JC 会員たちの決然たる意志を表明し、厳肅な雰囲気の中で進行されたイ・ヨンデ常任副会長,ユン・ソンチァン仁川地区会長,キム・ソンギ仁川地区外務副会長の坊主頭式だった。これは我が会員たちの日本政府に対する強い謝罪要求の表現でもあった」と述べています。日本人がこの「強い謝罪要求」がなぜなのか?について深く理解する必要があると思います。私たちは靖国DVDではなく、もっと別のものを深く学ばなければならないのです。例えば日中韓の歴史学者が共同研究で完成させた歴史教科書などはどうでしょうか。

Book 未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史

著者:日中韓3国共通歴史教材委員会
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この韓国JCはじめ国際世論の反発、共産党や各種団体等国内世論の批判をうけての「文科省委託辞退」ではないかと思います。少なくとも「文科省のお墨付き」の触れ込みで全国の中学校への売込みはできないことになります。この点は評価すべきかと。

しかし中にはこういう反応をしている人もいます。「濱口和久の『国を憂い・国を想う』・竹島は日本領土」ブログより。

●日本JCの「辞退」記者会見について→「(略)また、今回の騒動を受け、(社)日本青年会議所としては文部科学省と新教育システムプログラムの依託契約を結ばない旨の発表がなされた。私は文部科学省とは正式に依託契約を結び、「近現代史教育実践プログラム」を展開しても何も問題はないと思うのだが。これでは共産党や朝日新聞が喜ぶだけだ。出席した記者の中には「このDVDは全く問題ない。共産党が騒ぐ理由がわからない」という(産経新聞)記者もいた。」

●韓国JCの抗議について→「日本国内でも日本共産党や朝日新聞をはじめとする左翼マスコミは「誇りのDVD」を批判しているが、今回の(社)韓国青年会議所の行動は、日本共産党や朝日新聞の動きに連動している。「誇りのDVD」の内容は韓国には一切関係がなく、(社)韓国青年会議所から文句を言われる筋合いのものではない。この際、(社)日本青年会議所は(社)韓国青年会議所と関係断絶ぐらいの態度に出るべきである。」(下線部は当ブログにて付加)

この濱口氏、様々な団体をごっちゃにし「左翼」と批判するのはよいとしても、下線部「韓国には一切関係がなく」とはよく言えたものです。こちらも「土佐高知の雑記帳」の指摘より引用しますが、靖国DVD『誇り』では幽霊の「戦死した青年」が現代の女子高生に対して「うん、日清・日露戦争に勝ったことで、日本が朝鮮半島と中国大陸の満州、そして台湾を統治下に置いたことは、昨日話したよね?日本はこれらの国を近代化する為に道路を整備したり、学校を建設した。さらに行政の整備などを推し進め、それぞれの国の水準を引き上げる努力もしたんだ」などと「日本は植民地支配でいいことばっかりしたかのように説明」(土佐高知の雑記帳より)しています。これは朝鮮半島はじめ戦前の植民地支配の反省の微塵も見られない立場です。

さて問題は今後ですが、日本JCが現場レベルでどのような動きに出るのか、が注視されます。地方青年会議所レベルでは必ずしも日本JCや濱口氏のような「徹底した」態度は貫かれていないようです。地域によっては黙殺しているJCもあるようで、日本JCも地域の主体性に任せているようです。それだけに、日本JCとしてはどれだけ『誇り』の教育システム自体を使って地域JCの幹部を「教育」できるかにかかっているだろうと思われます。今後、まず攻勢がかかるのは地域JC幹部に対してではないでしょうか。

また、旭川JCのように既に石破元防衛庁長官を招聘して自衛隊広報館「北鎮記念館」の完成を祝い、軍都旭川の歴史を軍・財界サイドの視点から再認識させようというフォーラムまで開いているJCの場合、民間レベルでの靖国DVD『誇り』上映運動が展開される可能性もあります。これらの動向を注視せねばなりません。

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2007年6月20日 (水)

6月例会―参加者の感想Sさん

先日ご報告した6月例会ですが、テーマ「銃社会を考える」でコメンテーターをお願いしたSさんから感想を寄せていただきました。以下にご紹介します。

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やっと、というか今更ながら、"bowling for columbine"を観ました。前の職場では結構観た人がいて、観てないのは私くらいじゃないか、という感じでした。michael mooreは好きで、2冊本も持っていますし(はじめしか読んでないけれど)bushに対する発言に感激してメールしたこともありますが映画は観ていませんでした。

映画はよくできていました。コロンバインの銃撃以外にも歴史的背景や社会背景・政治などの絡みがとてもわかりやすく描かれていました。誰が悪い、という結論ではなくて「みんなで真剣に考えようね」という終わり方だった気がして、あれもよかったです。

その中ではテキサスのWACOでの主犯・共犯にもスポットライトをあてて、被害者だけでなく加害者からの意見を聞いているのも◎でした。NRAのHESTONへのインタビューも無礼ではなく、フェアな立場での取材だと感じました。

映画の中では銃社会だけでなくて、米国は音楽をスケープゴートにしていることも取り上げられていました。私がアメリカにいるときも事件があるたびに、メタルやロックが非難されていました。そして規制・規制と共和党が中心に騒ぎ立てるんです、メディアを使用しながら。

この映画ではMARILYN MANSONがインタビューされています。確かにMANSONさんはイカれた格好しているし、サディスティックな映像を使ったり、表現もおかしかったりする。コンサートでガラスで切腹して血が流れてたときはさすがにびっくりしましたが冷や汗 でもそれは市場用で(デビュー当時はあそこまでじゃなかった)わりとまともな人たちなんです。ただのアートというか、表現のしかたのひとつとして音楽や映像をそう使っているだけですよね。

私も一番最初のころおもしろくてMARILYN MANSON好きでした。今は飽きましたが。今でも持っているビデオをたまーに観ますし。でも私は銃乱射なんてしませんよ、当たり前だけどわーい(嬉しい顔)

MANSONさんはインタビューでまともに答えていました。MOOREが「批判してる人に言いたいことは?」と聞くと「言いたいこと、というよりその人が何を言いたいかを聞くよ」と冷静に答えました。そう、ミュージシャンは喋って反論するより、音で詞で社会と対話しますからね。MANSONさんが言いたいことがよく理解できました。

私は例会で、自分がみた銃社会について少しお話させていただきました。日本にいたらすることがなかった経験に、聞いていた方たちは驚かれたようです。でも、日本が銃社会にならないとは限りません。そして犯罪率ももっと上がって治安の悪い国になるかもしれません。警察や権力が裏社会ときっぱり手を切って銃器を取り締まることはもちろん、音楽や言論を規制しようとする勢力が無くならない限り、犯罪はたぶんなくならないと思います。

この映画のタイトルになぜBOWLINGという言葉が入っているのか、観て初めて知りました映画
(M・Sさんの感想をそのまま転載しました)

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2007年6月19日 (火)

「福祉は平和な世の中だからこそ成立する」

今朝(2007年6月19日)の北海道新聞旭川版に掲載された記事をご紹介します。

0009 記事にもあるとおり、福祉施設職員氏のデザインが全国的福祉組織の行うTシャツの図案コンクールで入賞したとの話。よく読まなければそれだけの話ですが本文3段目真ん中あたりに図案の発想について書いている部分を読んでハッとしました。該当部分引用します。「数字の9の字をモチーフに・・・『福祉は平和な世の中だからこそ成立する。憲法9条を守りたい』との願いを表現した」とのこと。

全国肢体障害者団体連絡協議会編『米食い虫、非国民と ののしられながら-戦争を生き抜いた肢体障害者たちの証言』(2004年3月刊)を読み、戦争というもの、総動員体制下の思想動員というものが、いかに弱者を排除し苦しめるものなのかを知りました。麻疹が原因で四肢障害になった男性は、「戦争中は・・・『おまえみたいなものが表を歩くものじゃない』と言われたり、憲兵に『びっこが町を歩くご時世じゃない』と言われた」とか、中学校の軍事教練のとき配属将校に「あいつは非国民だ、穀潰しだ」と言われたりと肩身の狭い思いをしてきたそうです。ハンセン病を発病した女性は終戦前後、ハンセン病の悪化から「手足がまったく利かなくなって、3年間というものは寝たり起きたりの状態」になっていたそうです。周囲がハンセン病だと気づかなかったために隔離されませんでしたが、逆に診断されなかったために病気が悪化しました。この女性は「お医者さんにいっても、優秀なお医者さんや看護婦さん(ママ)たちはみんな戦地に行ったり、また、軍隊のために派遣されていて、おそらく、病院にいたお医者さんというのはお年寄りか、インターンしかいないという時代の病院に私がかかっていたので、ハンセン病というのを見つけてもらえないがために、ずっと幼児慢性関節リューマチという病名でもって、12年間治療しました」と証言しています。

いまの政治はどうでしょうか?日本国憲法では「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(25条)と規定していますが、障害者自立支援法は収入のない障害者に家族の収入まで対象として施設利用料を負担させるという悪法です。政府は福祉予算をできるだけ削減したい、との意図を隠しません。

一方で防衛予算は5兆円もの巨大支出を続けており、GDP1%以内とはいえ、過大な支出との批判が渦巻いています。内容をみても対ソ戦のために開発された90式戦車(主に北海道に配備。本体価格8億円、周辺装備も含めると10億円)を毎年購入しており2007年度も9両購入する計画です。実効力に疑問符がついている「ミサイル防衛」システムへの総額1兆円を超える過剰な予算配分等問題は多すぎます。近頃は海外任務対応のため「海外派兵型装備」の購入も行われ、例えば1100億円もする「ヘリ搭載型大型護衛艦」(排水量では過去最大規模)が累計4隻も購入されています。そしてこれらの「価格」だって積算の根拠が明らかにされない、暴利をむさぼることも可能な価格設定との噂も絶えません。

これら軍事予算を最小限まで削減すれば、国民が切実に願っている暮らし・福祉・医療・中小零細企業振興などなど、多様な事業が展開できるのです。問題は予算をたてる視点、ではないでしょうか。平和憲法もつ国の政府にふさわしく世界各国に誇れる福祉重視の国づくりをすれば、「日本を見習え」ということで貴重な国際貢献をできるのではないでしょうか。

さて話題は大きくそれましたが、Tシャツのデザインをされた村山さんが勤務する施設には私たち旭川平和委員会のメンバーもいまして、つい先日も「女性自衛官の人権裁判」支援署名をお願いに訪ねたばかりでした。これら物品を扱っているのは「あかしあ労働福祉センター後援会」。Tシャツが売れれば販売利益は施設に寄付され最終的には施設運営に役立てられる、とのことですので、政府が予算削減している昨今、市民の平和への思いで支援の輪を広げようではありませんか。お問い合わせは電話0166-57-0888(社会福祉法人あかしあ労働福祉センター)までお願いします。

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2007年6月17日 (日)

当会6月例会を開催しました

6月例会を開催しました。内情を話すようですが、今年に入って正規の例会は3回目。2月例会(後日報告したいですね)、3月例会に続き6月例会。1月はちと忙しく、4月は例会を開かないこと急きょ決定、5月例会は予定していたものの、設定できなかったので6月10日のフィールドワークにて代替しました。んでもって、6月例会。

議題となったのは二つ。①銃社会を考える、②自衛隊基地公開FW参加報告等。ちなみに出席は青年部員の50%の出席。この他に平和新聞読者1名、その読者に連れてこられた20代男性1名。なかなかの出席率でした。7月例会以降のアイデアも数々出され、実り多き例会になりました。

●銃社会を考える

ここではまずマイケル・ムーア監督の記録映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002年、120分)を全員で視聴しました。

DVD ボウリング・フォー・コロンバイン

販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2003/08/27
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映画の詳細についてはリンク先のウィキペディアやアマゾンの紹介をご覧頂くとして、マイケル・ムーア監督については同じく記録映画『華氏911』で一躍名を馳せたのでご存知の方も多いかと思います。例会では映画を全編見た後、メンバーの一人でアメリカ留学経験があるSさんに「実体験からの銃社会」について簡単なコメントをしていただきました。Sさんの留学したカリフォルニア州は映画のように銃所持率が高いわけでない、ということでしたが、それでも留学中には何度か本物の銃を目にしたり、危険な経験に遭遇したそうです。またアメリカの警察は単なる交通違反で停止させられる際も相手がどういう人物か不明のため銃を抜いて接近すること。なので免許講習では、停止させられたとき「ハンドルを両手で握る」「窓を開け両手を出す」など銃を持っていないことを示さねばならないそうです。Sさんも一度パトカーに停められた際に、銃を向けられ恐怖を感じたそうです。

映画のなかで様々な問題提起がありますが、治安の不安定化や社会不安に対してメディアの果たす役割は大きいと思います。日本はすぐさま「相手が銃を持っているかも」とは思えない世の中ですが、社会的な疑心暗鬼や不安に踊らされる点ではアメリカ同様、メディアの影響を強く受けています。そのような点にも留意しながら「銃社会」問題を、単に「銃規制」だけに矮小化せず、もちろん「銃規制」は必要ですが同時に社会のあり方に目を向けるべきだと思います。

今日の意見交換の中で、①カナダは銃所持率が高いのに銃による殺人件数が少ないことと、カナダはイラク戦争に派兵しなかったことの相関関係が話題になりました。また②銃社会とは抑止力社会ともいうべきですが、社会的合法的(?)抑止力としての刑罰のうち、存置派から刑事政策的有効性を語られている「死刑制度」について話題となり、アメリカは州ごとに「死刑制度」の有無が分かれるのですが(同じ犯罪でも死刑になる州と、ならない州があり死刑制度の有効性の試験場ともされていますが、実際には死刑制度がなくとも教育的刑罰制度や貧困対策が強化されている州での再犯率が低い等のデータもあるようです)死刑制度の有無と銃所持率の高低は相関関係にないのだろうか?などが話題となり、今後の課題となりました。

●自衛隊旭川駐屯地「基地公開」フィールドワーク感想交流

6月10日に行われた「基地公開」FWに参加した4名から感想を出し合いました。

Kさんは「訓練展示のとき、空砲だけどすごい音がして衝撃にビックリ。近くにいた若いお母さんが『かっこいいねえ』と言っていたが、その子らは怖がっていた」と報告。

本州出身のHさんは「近所のおじさん、おばさんとか普通に『暇だし』とか『買物のために』とかで参加しているように思えた。蕗とか買って帰ってる。自衛隊が日常的にあふれていて本州出身からすれば『え、なんでこんなに自衛隊が走っていて普通なの?』と驚く。旭川生まれの人は慣れているのだろうか」と問題提起。

旭川出身者は「そうだね」と言い、別の人は「旭川駐屯地だけで3400人の隊員。家族あわせれば1万人を超える。出入り業者含めたらどれだけになるか・・・。親族や同級生たどれば必ず自衛隊関係者が1人や2人はいるという旭川市。それだけに自衛隊に疑問を呈するような発言はしづらいかもしれない」と分析。北鎮記念館の展示にも話題が及び、どうやったら自衛隊員等とも意見交換できるのだろうと論議に。「何でも自衛隊だからダメ、という態度はこちら側も直すべき」「自衛隊の悪い部分(例えば、海外派兵部隊化や米軍追従の部隊構成、装備構成など)を指摘する場合は、事実を知らせ情報提供型で疑問を提起すべき。結論の押し付けはいけない。そのためにも自分達自身、もっと学ばねば」などの意見が出され、交流を深めました。

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2007年6月16日 (土)

“靖国DVD”使用は委託事業に含まれず-文部科学省が回答

6月16日の「しんぶん赤旗」が、「“靖国DVD”使用は委託事業に含まれず」と文部科学省が言明していることを報じています。これは地味な扱いですが、実に重要な情報ではありませんか。以下、転載します。

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“靖国DVD”使用は委託事業に含まれず

子ども全国センターに文科省回答


 文部科学省は、十三日の子どもの権利・教育・文化全国センターの申し入れに対し、「文部科学省が青年会議所に委託した事業の中に『誇り』DVDを使って教える事業は含まれない」と回答しました。

 子ども全国センターが、先の侵略戦争を肯定・美化した日本青年会議所の“靖国DVD”を学校の教育現場に持ち込まないよう申し入れた際に答えたものです。申し入れでは「『誇り』DVD(“靖国DVD”)を使って教える日本青年会議所の事業を文科省『新教育システム開発プログラム』委託事業とすることの取り消しを求める要請書」を手渡しました。

 応対した文科省初等中等教育局は、「新教育システム開発プログラム」について説明し、「文部科学省が青年会議所に委託した事業の中に『誇り』DVDを使って教える事業は含まれない」と回答しました。

 子ども全国センターは「この日の回答は、今後、日本青年会議所が文科省のお墨付きを得たとして同DVDを学校現場に持ち込めないことを意味する」と指摘。これから地方教育委員会、学校に対する監視活動をいっそう強めることが必要だ―としています。

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これまでも全国的に都道府県教委、市町村教委に対して各政党、各団体による「使用しない」ことの申し入れが行われ、内容が「村山談話」に反していることがわかれば、どこでも「それは教委としてすすめない」などの回答がされています。実際にこのDVDが使用された報告は全国で数例であり、今回の文部科学省の回答は「靖国DVD『誇り』」を教育現場から完全に閉め出すことのできる貴重な材料にもなろうかと思います。しかし、これを活用するかどうかは、各地の取り組みにかかっており、JCのある全ての市町村で積極的に教委や中学校に対して働きかけがなされなければなりません。

これだけは村山富市氏の成果なり《人気blogランキング》

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女性自衛官の人権裁判-原告父の抗議、空幕長反論、署名開始

北海道新聞6月16日付記事より。以下転載します。

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「提訴後も嫌がらせ」 父親ら防衛省に抗議 空自わいせつ訴訟(06/16 01:01)

 道内の航空自衛隊基地の女性隊員(21)が同僚からわいせつ行為を受け、被害を相談した上司から逆に退職を強要されたとして国に損害賠償を求めて提訴した問題で、女性の父親(48)らが十五日午前、提訴後も職場で女性への嫌がらせが続いているなどとして、防衛省に対し職場環境の改善を申し入れた。

 申し入れ書によると、女性が札幌地裁に提訴した五月八日以降、上司が訓示で「(基地側の)対応に間違いがなかった」と一方的に述べ、女性の机を物置部屋に移そうとしたという。また、女性の代理人の佐藤博文弁護士は、わいせつ行為の被告の男性隊員(32)が十二日付で他の基地に異動したことを明かし「問題発生後九カ月も女性と同じ職場で勤務させたのは対処が遅すぎる」と批判した。

 一方、田母神俊雄・航空幕僚長は「訴状内容は、部隊で調べた内容に比べ一方的で承服しかねる。裁判で反論していきたい」と語った。

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これで、一等空尉以下上官連中の退職強要・嫌がらせは航空幕僚長はじめ防衛省の意向であることが明らかになったかと思います。退職強要・嫌がらせでは、直接の上官たちが加害の立場であるわけですから、「部隊で調べた内容」=本人達に都合のいいような「証言」であることは最初から疑って、第三者的調査機関を投入すべきところではないでしょうか。そういう意味で、かの空幕長氏、いざというときの祖国防衛を任せて大丈夫か?「無能」の愚かな艦隊運用で宇宙の塵と化した多くの将兵が生まれたことを、『銀河英雄伝説』は教えてくれます。石破氏の15日夜の講演によれば、同様のことが太平洋戦争でも起きていたと。このあたりが猪瀬直樹氏の著作の受け売りでしかないものの、説得力のある部分でした。そういう愚をおかさぬよう、司法の結論が出る前に、一度きちんと調査すべきではないのか?空幕長氏。「ここはひとつ、情報保全隊の活用を」などとは悪い冗談ですね。失礼しました。

さて、当の「女性自衛官の人権裁判を支援する会」では署名活動をスタートしました。署名用紙はこちら。内容は2件。裁判所宛の「現職女性自衛官への暴行・猥褻事件裁判 迅速・公正な審理を求める請願署名」と、防衛大臣宛の「提訴した女性自衛官への組織的嫌がらせのとりやめ」の請願署名です。ぜひご協力ください。署名の送付先は次の通りです。

【署名の送付先】
060-0042 札幌市中央区大通西12丁目 合同法律事務所気付
女性自衛官の人権裁判を支援する会宛

さあさあ、どなた様も1日1クリック《人気blogランキング》

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旭川駐屯地「基地公開」に参加して

昨夜(15日)は旭川青年会議所主催のフォーラム(ブログでは既紹介済)が開かれ石破茂元防衛庁長官が講演していきました。私も参加しましたが、300名の会場は満席。しかしあちらこちらに見たことのある顔ぶれが。旭川の平和を目指す勢力の勉強会のために石破氏が来旭されたように錯覚しました。途中まで納得することも多かった氏の講演ですが、有事法制制定以降、自らの行為に及ぶと一気にプロパガンダへと転進。結局、理性的な決着はできなかった氏。「軍事マニア」の風評もある氏に、もうちょっとまともな論を期待していたのですが、国会中継とさして変わりませんでした。講演の内容等、詳しくは後日。

●旭川駐屯地「基地公開」に参加して

先日ご報告した6月10日旭川駐屯地「創立記念行事」ですが、参加したE・E氏から感想が届きました。「自衛隊」「軍隊」について考える一助としてご本人の許可を得てご紹介させていただきます。

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小~中学生のころは結構軍用機マニアだったので、航空自衛隊の基地には何度か足を運んだことがありました。その後は軍隊が何であるかに目覚め、基地の中には足を運んでいませんでした。旭川に住むようになって15年あまり、自衛隊が当たり前のように存在していることに驚いていますが、今回基地開放に行ってさらにびっくりすることがいっぱいでした。
P6100042 十勝岳辺りに行くと上富良野の演習場から大砲の音が聞こえてこんな環境のすばらしいところになんて似つかわしくないんだと腹立たしい思いをしています。間近で撃ったときの衝撃音が空砲でもすさまじいものであることを身をもって体験しましたが、すごいものですね。あの衝撃がイラク戦争では市街地で響き渡り、殺戮が行われているということをもっと多くの人が想像できるようにならなければならないとおもいます。
P6200018 装備の展示では手術車両を見ましたが、国が災害救助の組織を持って同じ装備をできたらどんなに国民を守るために役に立つだろうと思いました。模擬店の目玉はウドやフキ、キョウジャニンニク、ネマガリタケなんかの山菜のようですが、聞くところによると売り上げは隊員の打ち上げに使うとか...おそらく勤務時間中に「訓練」と称して国有地とかで採集して、元手はタダのものを一束300円とかで売ってというのはどうなんでしょうか(写真は2004年の同駐屯地記念行事から)。国家予算が厳しいときに国庫にでも入れたらどうなんでしょう?(笑)私も山菜好きなので、どこで取ったか詳細に知りたいですね。「軍事機密」だから教えてもらえなかったりして。
冗談はさておき、西川市長のあいさつの「北鎮記念館を第2の観光名所に」には開いた口がふさがりませんでした。教育行政にもそういう態度で臨まれてしまうのではないかと大変心配になります。自衛隊を知るにはよい機会でした。もっと多くの人が(批判的な目を持って)参加したらよいと思いました。
(E・E氏による原文に一部加筆・訂正し掲載)

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2007年6月13日 (水)

女性自衛官の人権裁判-原告の意見陳述

女性自衛官の人権裁判について、6月11日の第1回口頭弁論での原告の意見陳述をご紹介します。被害者である原告の訴えに耳を傾けてください。(氏名・地名等固有名詞部分は空白になっています)
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原告の     です。
私は、航空自衛隊,    基地で勤務しています。職種は警戒管制レーダー整備員です。現在21歳です。今回,国に対する国家賠償請求裁判を起こしたことで,  の部隊からひどい嫌がらせを受けました。そしてその嫌がらせは現在も続いています。国民には裁判を受ける権利があります。それは自衛官であっても同じことです。裁判を起こしたからといった理由で嫌がらせをするなど,民主国家においてありえないことです。自衛官にも人権はあります。
今日私は,この法廷で,意見陳述をいたします。今まで心無い上司のせいで埋もれていた意見を,直接国に対して言える。私にとってこれほどの機会はありません。どうか,裁判だけは公平にしてほしい。裁判官には先入観を持たず,まず私の意見を聞いて頂きたい。そして公平な判断をしてください。

私が事件にあったのは20歳の時です。同じ20歳の女性は,大学に行ったり,旅行に行ったり,買い物をしたり,しているかもしれない。しかし,私の20歳は暗黒の年でした。自衛隊は私を傷つけ,私の人権を踏みにじりました。私の青春を返してください。私の人生を返してください。

私は平成16年3月に東京都内の高等学校を卒業し,航空自衛隊に入隊しました。私の学校では,初めての女子学生の航空自衛隊入隊でした。私の家庭は現在母子家庭で,下に2人弟がいます。上は19歳です。下は,加害者の長男と同じ8歳です。私は,仕事で忙しい母の代わりに,当時0歳の弟の世話を中学2年生の時からやってきました。中学校ではバドミントンクラブで活動していました。高校受験の時は弟の世話と勉強の両立にとても苦労しました。高校へは無事に推薦で合格することができました。しかし,高校ではバドミントンクラブに入部するのはあきらめました。私は華道部に入部しました。その理由は,バドミントンクラブは毎日活動があり,弟の面倒を見なくてはいけないので週一回の華道部しかできなかったからです。私はバドミントンクラブで活動がしたかった。しかし,母にそれは言えませんでした。私はバドミントンができない代わりに華道部で精力的に活動し,1年生から3年間,華道部の部長として活動しました。高校卒業後は大学に進学したかったですが,経済的な理由から,現役での大学への進学はあきらめました。私は仕事をして,お金を貯め,通信制大学にいくのが目標でした。

高校2年生時,親友に誘われ,自衛隊の募集事務所に行くことになりました。私は就職して働くならば,人の役に立つ仕事がしたいと思っていました。募集事務所には陸・海・空の広報官がいました。中でも,陸上の広報官の阪神大震災の災害派遣の話を聞いて,私も自衛隊で勤務したいと思いました。自衛隊にはさまざまな職種があり,医療関係の仕事もあると聞いたので,自衛隊に入隊を決めました。

私には就職してお金を自分で稼げたら,ぜひやりたいと思っていたことがありました。それはフォスタープランです。フォスタープランとは,発展途上国の子ども生活を助け,子どもを大学まで支援するプログラムのことです。私は今まで母親に養ってもらっている身だったので,就職したならばぜひ,母親と社会に恩返しがしたいと思っていました。私は自衛隊に入隊してすぐにフォスタープランを始めました。1ヶ月3000円の支援です。支援する子どもをフォスターチャイルドと言いますが,フォスターチャイルドは私の弟と同じ年の男の子を希望しました。現在私はバングラディッシュの8歳の男の子の支援(フォスターペアレント)をしています。フォスタープランを始めて現在4年目になります。
入隊した当初は,訓練中に怪我をするなど色々ありました。先輩の女性自衛官を見て,早く私も先輩達のようになりたいと思いました。基礎訓練が終わり,私の職種は警戒管制レーダー整備員に決まりました。入隊当初の衛生職種ではないですが,決まった仕事でがんばろうと思いました。術課学校では教育部長褒章を頂きました。
術課教育が終わり,初めての初任地配置が    基地です。私は,17年の4月に    基地の群本部に配置されました。  には群本部,監視管制隊,通信電子隊,基地業務隊と大きく4つの部署に分かれます。群本部はその中で,  の運用に関する業務を主に行います。初任地での勤務で,私には初めて仕事が任されました。私はその仕事を一生懸命しました。先輩方が17時で帰るところを,毎日私は20時近くまで残り仕事をしました。

群本部で約3ヶ月ほど勤務し,同年8月に通電隊に配置になりました。通電隊では私の特技である警戒管制レーダー整備員として,レーダーの保守・整備に携わりました。 18年6月には,北部警戒管制団の英語弁論大会に出場して,初級の部で準優勝しました。

そして18年の9月に今回提訴した原因となる事件が起こりました。

今回提訴した内容のうち、2月の7日に退職前提の有給休暇を強制的にとらされたこと、提訴したこと、そして提訴後の部隊の対応と、現在まで続いている嫌がらせについて、少しくわしくお話したいと思います。
 
まず、退職前提の有給休暇を強制的にとらされた2月7日のことについて話したいと思います。私は事件があった9月9日以降、シフト勤務から、月曜から金曜まで勤務,土日が休みの通常勤務に戻っていました。2月7日の朝、  3尉は朝の8時に朝礼をするために私の職場であるオペレーションに顔を出していました。オペレーションとは,オペレーター達が24時間,日本の領空を監視する装置がある建物です。私は,  3尉に外出申請をしました。自衛隊では,休日でも外出申請をして,許可されなくては外出ができません。事件があった9月から,  3尉はたびたび私に「お前は処分待ちの人間なんだぞ」「お前は自分のことを被害者だと思っているかもしれないが,俺から見たら加害者だ。」「お前がなぜこういう扱いを受けることになったか,その経緯の事件を俺に説明してくれないか」といった嫌味を皆の前で言い,外出もさせてもらえませんでした。私が事件のことを話すということは、皆の前で裸になれと言われているのと同じです。私は  3尉がやったこと,それを見て見ぬ振りをしている上司達も,   と同じ性犯罪者だと思います。この時も  3尉は私に「外出はさせない。」といって外出許可には印鑑を押しませんでした。そしてこの日は,今まで9月の事件については無関心だと思っていた,私の職場の班長,  曹長に、「お前もう終わりだよ。」「終了だよ。」「休暇やるから帰れ、いつまで休むんだ。」「お前はまだ若いから1ヶ月もあれば仕事探せるだろ。十分だろ。」と迫られたのです。  曹長は、職場の上司や同僚がいる前で,1時間以上私に有給休暇をとって退職するようにと強要しました。私はそれまでの  の対応や  3尉や関係上司達からの嫌がらせ,  曹長からの退職強要などで心身共に疲れ,泣く泣く有給休暇を取らされたのです。

私は部屋に帰ると,泣きながら父に電話しました。父はとても心配した様子でした。東京に帰ってからも、執拗に退職強要の電話がありました。内容としては「お母さんに同意書を書いてもらってこいよ。退職しますっていう同意書だ。」「お前ほんとに分かっているか?2年継続して自衛隊に残っても,俺はお前を2年間外出させないつもりだ。大学のスクーリングも行かせない。」といった内容でした。そして,2月22日に帰ってくるようにと電話がありました。悔しくて、はらわたが煮えくり返るというのはこういうことを言うのだと思いました。

 
明日には退職させられるという日まで、残り1日、2月21日に運命の出会いがありました。北海道合同法律事務所の佐藤弁護士と出会ったのです。佐藤弁護士は,父が東京の弁護士に相談して,紹介していただいた方です。私は最高のプレゼントをもらいました。それまで、加害者に強姦未遂され、周りの同僚や先輩方に傷つけられ、上司にまで退職強要された私にとっての初めての希望でした。佐藤弁護士は、まず私の話を静かに聞いてくださいました。その後、私にいくつか質問をされ、落ち着いた様子で「わかった。」と言ってくださいました。佐藤弁護士は,「この話はひどい人権侵害だから、具体的には裁判に向けてやっていこうと思う。しかし、私にも君と同じ年の娘がいるから、今の職場で頑張れなんて言えない。君は仕事を辞めてもいいんだよ。辞めても裁判は続けられる。」と言ってくださいました。そして一言「ただ、君が仕事を辞めなくちゃいけない理由なんて,本当はないんだよね。」と言いました。私はその言葉にはっとしました。私は今まで、上司からは「問題を起こしたやつ」という扱いを受けていたし、加害者呼ばわりされたり、休日に基地から外出させてもらえなかったり、差別を受けてきました。いつのまにか、自分が悪いんではないか、と思い始めていたのです。しかし、佐藤弁護士と話をして、「自分は何も悪くない!悪いのは加害者の  3曹であり、退職しろといった  曹長であり、私を加害者呼ばわりした  3尉であり、その事実を知っても何もしなかった   1尉であり、退職強要を命令した  1佐なのだ」と確信したのです。私は,自衛隊で働くことが人の役に立ち,仕事も覚え,通信制の大学の勉強も続けて卒業したいという夢を思い出しました。

2月22日、私は部隊に帰りました。部隊に帰るとすぐに、私は  3尉から通電隊長室に呼ばれました。隊長室の前で待っていると、そこに  曹長が現れました。そして,「お前のハンコ持ってきたからな、押せよ。」と私だけに聞こえるようにささやき、手に持った私の印鑑を見せました。私の職場と通電隊長室とは別の建物にあり,職場には印鑑をまとめて入れて置くボックスがあります。そこから  曹長は私の印鑑を勝手に持って来たのでした。私は鳥肌が立ちました。退職強要のことは通信電子隊長の   1尉は知らないはず、これは   1尉に聞こえないように言ったに違いない、と思いました。私は通電隊長室に入りました。最初は私と  3尉と  曹長の3人でした。3尉は、「ちゃんと考えてきたか」と私に聞きました。私は「はい」とだけ答えました。実際は、これだけ退職強要されて考える余地なんてなかったのです。そこに   1尉が現れて、「総人班長も呼んでいいかな」と言ったので,「はい」とだけ答えました。総人班長とは、総務人事班長の略称で、  3尉のことです。  3尉が来て、4人で私の退職強要が始まりました。 まず,私の退職願が前に出されました。その退職願には下書きがしてありました。そして「今後の進退はどうする」と聞かれたので,「退職を前提に考えています。」と答えました。すると   1尉,  3尉,  曹長は笑って,  曹長は「それならもういいな。退職願を書け」といいました。しかし,私は「退職を前提に考えていますが,それは私の意志で決めたことではありません。退職を迫られたからです。」とはっきり言いました。そして,その日は退職願いには印鑑を押さずに通電隊長室から出ました。次の日も、その次の日も退職願いに印鑑を押すように言われましたが、私は押しませんでした。2月末に警務隊が入ることになり、やっと私への退職強要はなくなりました。


次に、提訴以後のことについて述べます。提訴当日、私は休暇をとりました。そして、部隊に帰ると、皆が私に対してよそよそしい態度でした。なぜだろうと思いました。実はその日の夕方、いつもは17時に仕事が終わり、皆17時20分のバスで帰るのに、司令は皆を帰さずに、18時30分ごろ皆を体育館に呼び、「  士長が国に対して裁判を起こしたが、自衛隊としては  士長への指導は間違っていなかった。人によって感じ方が違うので、パワハラにとられないように、上司は注意をして指導してほしい。また、  士長には冷静になって、淡々と仕事をしてほしい。」という内容を皆に指導したということでした。このときから、私はさらに部隊で一人孤立させられるようになったのです。そして翌日の9日から私に対する嫌がらせは始まりました。
 
まず、9日に仕事にいくと、運用班長の  1尉から、「  士長、君の訴状は読んだ。こちらとしても重大に受け止めて対処したいと思う。まず君には席を移動してもらう。裁判は大変だろう、弁護士との打ち合わせもあるし。そして君が今している仕事は継続的にやらなくてはいけない仕事なんだ。裁判を理由に穴を空けられたら困るんだ。だから、君は奥の部屋に行って簡単な業務に移ってもらおう。君の席にはもう新しい人間を配置する。以上」といわれました。私は納得ができませんでした。提訴の前にも、裁判の準備で休みをとったり、仕事に穴を開けたことなどなかったからです。弁護士との打ち合わせも、私の仕事の休みの日にやっていたので、まったく仕事を変わる必要がありませんでした。

調査官の  3尉は、会計小隊長です。自分の職場の会計班のテーブルの上に、2チャンネルの書き込みを紙に印刷したもので、50枚はあっただろうものをテーブルの上に皆が見えるように広げておりました。私は、「2チャンネルをテーブルの上に広げるのはやめてください。」といいました。すると「2チャンネルは検索すれば誰でも見れるものだから、何が悪い。」と言いました。自分の事件に関する誹謗中傷が書かれたものが皆がいる部屋のテーブルの上にあったら、誰だって嫌だと思います。
私の直接の上司である  3尉は、よく裁判のことを私がいる部屋で、大きな声で話しをします。提訴直後は私がいる前で、電話で「いやー、俺も  を訴えるのはわかるんですけど、何で国を訴えるのかわからない。」と言っていました。最近では「もう嫌です!  1尉こっち来てくださいよ!現場は大変なんですから。もう俺じゃ対応できないですよ」等と言ったり、電話を切ったあとに「馬鹿上司ども、何にもわかってないで。現場に来て見ろって。ほんとガキだな」と私の前で言いました。私は  3尉から「お前のせいだ」と暗に言われているような感覚に陥りました。
 
このように,裁判を起こしたことによって,上司から嫌がらせを受けましたが,その嫌がらせは未だに続いています。今回ここで言ったのはその嫌がらせの一部であり,まだ話していないことがたくさんあります。

自衛隊は私を退職させることで,今回の強姦未遂,勤務中の飲酒,退職強要,パワーハラスメントを隠そうとしました。問題を被害者である私になすりつけて,事実を隠そうとしました。この事実は決して許せません。自衛隊にはたくさんの問題があります。部隊にはカウンセラーが配置されていますが,カウンセラーといっても,1ヶ月くらい自衛隊の研修を受けた,自衛官が兼務している状態です。私が実際に,セクハラやパワハラ,退職強要のことを,カウンセラーに相談しても,「自分に相談されても困る」「自分は幹部自衛官には意見できない。」といわれました。また,民間の相談センターに相談しても,自衛隊の内部の問題は解決でいないと言われました。自衛隊には労働組合もありませんし,被害者にとってはとても不利な状況なのです。

国は,一刻も早く事実を確認し,改善をしてください。もしこのまま事実を隠そうとすれば,同じ過ちは繰り返されます。そうなればよい社会は作れないし,美しい日本は作れないと思います。私は,私の事件を通して,私のような思いをする女性が二度となくなるようにしたいです。 私の踏みにじられた人権を取り戻すため,同じ経験をした女性の人たちに勇気を与えるため,たたかいます。被害者が泣き寝入りをする現実があってはならないのです。私は今後も現職としてたたかいます。私の訴えていることは間違えていないと,皆さんに受けとめていただけることと信じています。
以上です。

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2007年6月12日 (火)

女性自衛官の人権訴訟-第1回口頭弁論

0007 6月11日午前、女性自衛官による人権訴訟の第1回口頭弁論が行われました。左にも掲載しましたが、北海道新聞6月11日付夕刊記事をご覧ください。

この事件、訴状を読ませていただきましたが規律を重んじる軍隊組織のなかでの出来事とは思えない最悪の強姦未遂事件および嫌がらせ・退職強要事件です。以下に、女性自衛官の人権裁判を支援する会のウェブサイトから「事件の概要」をご紹介します。

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当事者
*原告:北海道の航空自衛隊北部航空警戒管制団(北警団)の基地(総務)に勤務する21歳の女性 空士長 独身
*被告:国
*暴行の加害者(A) 同じ基地内のボイラー室勤務 三曹 32歳 既婚

基地
航空自衛隊のレーダー基地 隊員180人うち女性は5人(原告が最年長)
庁舎は
3階 女性自衛官5人の宿舎(大部屋)
2階 本部の事務室(原告の勤務場所)
1階 食堂など
地下 ボイラー室(A三曹の勤務場所)
原告は勤務時間内外ともに庁舎内にいる。家庭を持っている隊員(A含め)は基地外の官舎に住み、通っている。

第1の被害 Aによる暴行・強要・猥褻行為
<暴行のあったその日 2006年9月9日>
午前2:30 3階の宿舎に、地下のボイラー室で当直勤務していたAから電話で呼び出しがあり、原告は断ったが、しつこいのできちんと断ろうと地下へ。ボイラー室には酒席の残骸が残り(当直中の酒席はひんぱんだった)、Aはソファで泥酔していた。原告がAを起こし、「夜中に呼び出さないで欲しい」旨を言うと、Aは両手で肩を押さえて原告をソファに座らせ、延々と話を始めた(このように酒席に女性隊員を侍らすことは過去にもあった)。原告が立ちあがろうとすると肩を押さえて帰ることを許さなかった。
午前3時30分 Aは花火をやろうと言い出した。原告は制止したが聞き入れず、屋外に出、煙突の下に行って、無理やり抱きかかえられ、梯子をつかまされ追い立てられて、最上部(高さ15m)まで登らされ、60連発の花火をさせられた。
(ここからは、あまりにひどい猥褻行為表現なので省略します。)  
午前4時30分 ボイラー室に戻ったAは「ボイラーを動かさなくてはならないので、5時に起こせ」と原告に言って、すべてのドアに鍵をかけ照明を消した。その直後、暴行・猥褻行為(強姦未遂)に及んだ。原告は必死に抵抗したが叶わずパニックに陥った。
午前6時30分 起床ラッパが鳴り、Aは原告を庁舎外に追い出した。「次の泊まりの時も相手をしてくれ」「今度は○○(後輩の女性隊員の名前)にも相手をしてもらおうか」などと言い、原告は、嫌悪、恐怖を感じた。
<暴行のあと>
Aの暴行・猥褻行為により、原告は切り傷・打撲など各所に傷害を負った。しかしその日から2日